閑話: 見舞い
エイドリアンは良い子です。
エイドリアンは母が体調を崩したことを知らなかった。
家庭教師と別室で勉強中だったため、マリアンヌが子供部屋を出て行ったのを見ていない。
昼食の席に母がいないことで初めて、異変に気付いた。何かと多忙な母は留守にすることもあるが、何も言わずに出かけることはない。何かあったのだと、直ぐに察した。
「メアリ」
マリアンヌ付きの侍女を呼ぶ。母がいないのに、彼女だけいるのも可笑しい。
「何でしょう?」
質問がわかっていながら、メアリは尋ねた。
エイドリアンはアドリアンやオーレリアンに比べれば普通の子だ。だが決して、愚鈍なわけではない。比較対象の兄達が規格外なだけで、エイドリアンも十分に優秀な子供だ。兄弟達の中では一番マリアンヌに似ているので、実はメアリはエイドリアンのことを一番可愛く思っている。
だがもちろん、そんなことを態度に出したことは一度もなかった。
「母様は?」
エイドリアンは聞く。
「少し体調を崩したので、お部屋で休まれています」
メアリは答えた。
下の子供達にはマリアンヌが寝込んでいることを伝えていない。
まだ小さな2人を無駄に不安にさせる必要はないとアントンが判断した。
幸い、2人には乳母がついている。今のところ母親の不在を気にしている様子はない。
マリアンヌが不在なのは稀にあることなので、慣れている。下の子達は母は出かけていると思っていた。
だが、エイドリアンはもう9歳だ。いろいろわかる年なのでちゃんと伝える。
「そうか……」
エイドリアンは心配な顔をした。
見舞いに行きたいが、言い出せない。エイドリアンはそういう性格だ。
「後で、見舞いに行かれますか?」
メアリの方から聞く。
「いいのか?」
エイドリアンは不安な顔で聞いた。
メアリがエイドリアンを可愛く思っているのにはもう一つ、理由がある。
エイドリアンはとても人に気を遣う子だ。誰の影響なのかよくわからないが、弟妹が出来てからエイドリアンはいろんなことを我慢している。
何でも下の子達に譲った。そこには母の愛情も含まれている気がする。
それがメアリにはちょっと切なかった。そして愛おしい。
王族としてもっと堂々としていればいいと思う反面、このまま優しい子でいて欲しいという気持ちもあった。
「もちろん。マリアンヌ様も喜ばれます」
メアリの言葉に、エイドリアンは嬉しそうな顔をする。それが可愛らしくて、メアリは出来ることならぎゅっと抱きしめてあげたくなった。
その日のお茶の時間はもともとアドリアンとオーレリアンは戻ってこないことになっていた。国王に誘われている。
マリアンヌにどうせなら贔屓しろと言われた国王は他の側近達と同様に2人を扱うのを止めた。もともと、孫と文官を同列に扱うのは無理がある。
その方が案外、上手くいった。
アドリアンやオーレリアンの扱いに困っていた側近達の方向性も決まる。
国王の孫として、次の皇太子になる可能性の高い人物として、対応していた。
お茶の時間は結構な頻度で孫と飲むように国王はなる。
エイドリアンはお茶の時間にマリアンヌのところを訪れた。午後からもエイドリアンの予定は詰まっている。空いている時間はそこしかなかった。
トントントン。
ノックをするとどうぞと返事が聞こえた。すでにメアリから、エイドリアンが見舞いに来ることをマリアンヌは聞いている。
「失礼します」
エイドリアンは部屋に入った。ベッドに寄っていく。
「あの……」
ちょっと困った顔をした。
「具合、どうですか?」
遠慮気味に聞く。
マリアンヌはふっと笑った。
「大丈夫。少し、疲れただけよ。2~3日は大事をとって休むけど」
答える。
その顔色には血の気が戻っていた。
それを見て、エイドリアンは安堵する。
「エイドリアン、いらっしゃい」
マリアンヌは微笑んだ。
エイドリアンはベッドの横ぎりぎりに立つ。
マリアンヌはその頬に手を伸ばした。優しく触れる。
「アドリアンやオーレリアンが寄宿学校に行ってからは貴方には無理ばかりさせているわね」
思いもしないことを言われて、エイドリアンは驚いた。
「愛しているわ。貴方にはちゃんと伝わっていないかしれないけど、愛している。優秀な兄達とやんちゃで自由奔放な弟妹に挟まれて大変かもしれないけど、わがままを言ってもいいのよ」
母の言葉に、エイドリアンの瞳から涙が溢れた。
「おいで」
母が手を広げる。
何も言わず、そこに投げるとぎゅっと抱きしめられた。
「無理して頑張らなくていい。貴方は貴方でいいのよ。アドリアンになる必要もオーレリアンになる必要もない」
そう囁かれて初めて、自分が兄達のようになろうとしていたことに気づいた。
2人の兄は何でも弟である自分に譲ってくれた。2人にとってそれは自然なことで、無理をしているわけではない。自分もそうなろうと、弟妹が出来た時に決めた。
だが兄達が何でも譲って平気だったのは、たった一つ、自分が一番の存在を持っていたからだ。
アドリアンにはオーレリアンが、オーレリアンにはアドリアンがいる。それ以外は、兄達にとっては譲っても平気なものだったのだろう。
だが、エイドリアンにはそういうのがなかった。ただ我慢するだけになる。
「でも、私はいい兄にならないと……」
エイドリアンは呟く。
「そういうのは戻ってきたアドリアンとオーレリアンに押し付けちゃえばいいのよ」
マリアンヌは笑った。
良い子になり過ぎなくてもいいのです。




