識字率
気づいたことがあります。
無事に肖像画の展示が認められたことをマリアンヌは夕食の席で夫から聞いた。
「それは良かったです」
にこやかに笑う。
「まあ、反対する理由はないからね」
ラインハルトは苦く笑った。
許可を貰った後、お茶に呼ばれていろいろ聞かれたことも話す。
その話はアドリアンたちも初耳だった。
お茶の時間はみんなが取る。休憩室や食堂で取る者が多いが、アドリアンとオーレリアンは何もなければ離宮に戻りマリアンヌたちとお茶を飲んでいた。それは同じ側近として働く貴族達への気遣いでもある。
国王の仕事を補佐するという点において、アドリアンたちの立場は他の側近達と同じだ。同等の扱いを受ける。だが、本当の意味では同じわけがない。
アドリアンとオーレリアンは皇太子の息子で国王の孫だ。
2人のうちどちらかが未来の国王であることはもう貴族達の間では暗黙の了解になっている。
それを見据えて、国王も自分の側近として側に置き、仕事を覚えさせていた。
そんなアドリアンとオーレリアンにどう接すればいいのか、他の側近達は悩んでいる。
敬うのも違うし、かといって気楽に接することも出来なかった。
それでも、仕事中はまだいい。淡々と仕事をしていれば問題はなかった。
しかし、お茶の時間は困る。話しかけるのも躊躇われるし、かといって無視も出来ないだろう。
そういう空気を察して、アドリアンとオーレリアンはあえて他の側近達とは同席しないことにした。
その方が彼らも気楽だろう。
アドリアンとオーレリアンは基本、お茶の時間は離宮に戻る。
父が国王に呼ばれていたなんて知らなかった。
「それで、肖像画の展示はいつからしていいのですか?」
マリアンヌは聞く。
「いつからとは?」
ラインハルトは聞き返した。
「飾るのは建国祭当日である必要はないでしょう? どうせなら、早目に飾って貴族達や出入りする市民達にも見てもらおうと思っています」
マリアンヌは説明する。
「……マリアンヌ?」
ラインハルトは不安な顔をした。
「何を企んでいる?」
問いかける。
自分が父から受けたのと同じ言葉に、複雑な顔をした。
「人聞きが悪いんですよ。企んでいるなんて」
にっこり笑うマリアンヌの顔には明らかに含みがある。
(怖いな)
アドリアンは心の中で呟いた。
自分の母親だが、マリアンヌが何を考えているのかわからない時がある。母の発想は普通とは違うところに軸があることが多かった。
「肖像画を展示する時に、誰の肖像画なのか一目でわかるようにラベルをつけるつもりでいたのです。ですが、そこで思い出したんです。この国の識字率の低さを」
マリアンヌはため息を吐く。
この国には学校というものがない。貴族や商人の子弟は家庭教師を雇って勉強するが、それ以外の市民の多くは自分の名前を読み書きするのが精一杯だ。中には自分の名前さえ書けない者もいる。それでも日常生活に支障は特になかった。問題ないから、識字率の低さは誰にも取り上げられない。
尤も、それはこの国だけの問題ではなかった。他の国も似たようなものだ。アドリアンたちが通った寄宿学校のある国も初等教育が充実しているわけではない。貴族や王族のための寄宿学校がたまたまあるだけだ。王族や貴族とコネクションを作るために、教育目的より政治的な目的で運営されている。
誰も困っていないから、国民の識字率を上げようとする国は今のところなかった。
「せっかくラベルをつけても、読めなければ意味がないでしょう? だからちょっと、作戦を変更しようと思っているの。前もって飾っていれば、勝手に噂を流してくれると思うのよね。噂好きな人々が」
マリアンヌはざっとラインハルトと息子達に説明する。
王宮には様々な人が訪れていた。貴族も、商人も。彼らはもちろん、読み書きが出来た。彼らが肖像画を目にしたら、周りに話してくれるだろう。それに、王宮には噂話が好きな使用人達もたくさんいる。王宮で働く彼らは最低限の読み書きは出来た。
「まあでも本当は、国民の識字率を上げたいところよね」
マリアンヌはため息を漏らす。意味深にアドリアンとオーレリアンを見た。
オーレリアンは困った顔をする。
「それを私達にさせたいのですか?」
尋ねた。
「ええ」
マリアンヌはにっこり笑う。
(嫌な予感しかしない)
アドリアンは心の中でぼやいた。
ラベルつけても読めなければ意味がないのです。




