上手
相手は強者です。
レティシアはお茶を一杯飲み終わると、帰って行った。
気づけば、会話の主導権は常にあちらに握られていた。
わたしは話したかったことをすべて話せたわけではない。
言い出せなかったこともいろいろあった。
マルクスに押しつけられそうな仕事をしれっと回そうと思ったのだが、そんなことを切り出す会話の切っ掛けが作れない。
相手はわたしより一枚も二枚も上手のようだ。
長年、王宮で暮らしているのは伊達ではない。
わたしは素直に諦めた。
とりあえず、今後は狙われることはなさそうなのでよしとする。
「それじゃあ、また来るわね」
去り際、レティシアはそう言った。
(いえ、もう十分です)
気疲れしていたわたしは心の中で断る。
だがもちろん、そんなことを言えるわけがなかった。
「ええ、ぜひ」
社交辞令の言葉を口にする。
作り笑いが引きつりそうだ。
レティシアはにこりと笑う。
「今度は母親似の弟にも会わせてね」
そんなことを言った。
(駄目です)
心の中で即答する。
シエルを面倒なことに巻き込むわけにはいかなかった。
「それは難しいかも知れません」
首を横に振る。
神妙な顔をした。
「弟は近日中にランスローに戻りますので、王都を離れます」
いなくなるから無理ですよと伝える。
「あら、そうなの。残念ね」
少しも残念に見えない顔でそう言った。
何かを企んでいるかもしれない。
わたしは警戒した。
穏やかな口調に騙されてはいけない。
(シエルを出来るだけ早く帰そう)
レティシアを見送りながら、わたしは心の中でそう決めた。
離宮の扉が閉まりレティシアの姿が見えなくなると、シエルがいる客室に向かう。
トントントン。
ノックをした。
「シエル、いる? 入るわね」
返事を待たずにドアを開けた。
「姉さん?」
部屋にいたシエルは驚く。
「どうしたの?」
突然やって来たわたしに尋ねた。
「荷造りをして、明日には帰るようにしなさい」
わたしは告げる。
「どうして?」
当然の質問をされた。
「嫌な予感がするから」
わたしは答える。
「巻き込まれたら厄介なことになるから、早く帰った方がいいわ」
わたしはレティシアがシエルに興味を持っていることを話した。
ついでに、今回のことの顛末を簡単に説明する。
レティシアは犯人ではなく、犯人はすでに処分されたらしいことを伝えた。
犯人が捕まったことを聞いて、シエルは安堵する。
わたしの身が安全になったことを喜んだ。
しかし、わたしはあまり喜べない。
浮かない顔をしているわたしをシエルは気にした。
「そんなに警戒しなくても大丈夫じゃない?」
シエルはわたしを宥める。
「結局、王妃様は犯人ではなかったのでしょう?」
会うくらいなら構わないというような口調で言った。
「鉢植えの件はそうね。でも他の件もレティシア様の仕業ではなかったとは言い切れないでしょう?」
わたしは顔をしかめる。
「むしろ、鉢植えの件を利用して、他のことも全て彼のせいにしてなかったことにされた気がしているわ」
ため息をついた。
ネズミの死骸を投げ込むなんて、とても女性的な発想だと思う。
貴族の男性が考えることではない。
鉢植えの件は彼なのかもしれないが、他は違う可能性が高いと思った。
レティシアは全てを彼のせいにして、手打ちにすることにしたようだ。
それにわたしが乗ることもたぶん確信している。
わかっていても、わたしは乗るしかないからだ。
わたしの望みは犯人の糾弾ではない。
我が身の安全の保証だ。
レティシアは犯人を処罰したと宣言することで、今後、わたしの身を狙うことがないことを示す。
わたしの目的はそれで達せられた。
「姉さんはそれでいいの?」
シエルは尋ねる。
「構わないわ。もともと、レティシア様を処罰するなんて無理ですもの。大事にしたくないのは、わたしもレティシア様も同じよ。今後、レティシア様がわたしの身を狙うことがないならそれでいいの。今日、レティシア様がいらしたのはそれをわたしに告げるためと、わたしがどんな人間なのか見極めに来たのだと思う」
わたしの言葉にシエルは渋い顔をした。
「王宮は大変だね」
ため息をつく。
「そうよ」
わたしは頷いた。
「そんな大変なところに長居をしては駄目よ。シエルは明日、ランスローに帰りなさい」
命じる。
「そんなところに姉さんを一人残して立ち去るのはとても心配なのだけど……。僕はいない方が姉さんは安心なんだよね?」
シエルは問うた。
「そうよ。シエルが安全なところにいると思うだけで、わたしは安心できるの。だから、わたしのために帰ってちょうだい」
わたしは頼む。
「わかったよ、姉さん」
シエルの返事を聞いて、ようやくわたしは安堵した。
何事もなかったことにしますが、何事もないわけではありません。
用心は必要です。




