食生活充実化計画
美味しいものが食べたいだけなのです。
シエルの荷物は夕方に届くことになった。
荷造りは大公家の方でしてくれるらしい。
荷物が届くのを待ちながら、わたしは久しぶりにゆっくりシエルと過ごした。
まるでランスローにいた時のような、穏やかで優しい時間が流れる。
この二ヶ月、シエルがどんな日々を過ごしていたのかを聞いた。
わたしも忙しかったが、シエルはシエルで忙しかったようだ。
とりあえず、社交界のお誘いが凄かったらしい。
「モテモテね」
わたしが笑うとシエルは苦笑する。
「姉さんがね」
そう言った。
どうやら、わたしとの繋がりを求めて寄ってくる人が増えているらしい。
「それは面倒ね」
わたしも苦く笑った。
養女に行っても繋がりは切れませんよアピールの効果はありすぎたらしい。
だが、誘いが増えた理由はそれだけではないようだ。
マルクスの件も大きいらしい。
わたしが思ったよりずっと、マルクスのランスロー滞在は大事になっていた。
周囲の貴族たちはマルクスと懇意にしたいとチャンスを狙っているらしい。
「結局、王宮にいても王宮を出ても、王族に穏やかな日常は縁遠いのかもしれないわね」
わたしはぼやく。
マルクスは王宮の煩わしさから解放されて、好きな植物を育てる生活を送りたかっただけだ。
だがそれがマルクスの立場ではとても難しい。
煩わしさはたいして減らないようで、気の毒に思った。
「その辺はアルフレット様がなんとかするんじゃない?」
気に病むことはないと、シエルはわたしを慰めてくれる。
確かに、ことはもうわたしの手を離れていた。
わたしには何もしてあげられない。
自分の出来ないことを考えても仕方ないと、わたしは割り切ることにした。
「そういえばマルクス様の家は出来たの?」
すっかり忘れていたが、マルクスの家がそろそろ出来上がってもいい頃だと思い出す。
「出来たよ。アークがもう住んでいる」
シエルは答えた。
たった二ヶ月かそこらですでに懐かしく思える名前がその口から出る。
「アークは元気かしら?」
わたしは嬉しくなって尋ねた。
「元気だよ。姉さんの畑の面倒もちゃんと見ているから安心してくださいと言っていた」
シエルは伝言を伝えてくれる。
たわわに作物を実らせている畑の様子が頭に浮かんだ。
(ああ。帰りたい)
心の中で呟く。
それを口に出せないのはわかっていた。
寂しい気持ちには、見ないふりで蓋をする。
「あと、三年経ったので出来ましたって瓶に入ったものを預かってきたよ。渡してもいいのかわからないけれど」
シエルはそう言って、わたしの傍らにずっと控えているメアリを見た。
わたしに聞くのではなくメアリに確かめようとするあたり、シエルはわたしの性格をよくわかっている。
わたしが駄目と言う訳がなかった。
「三年?」
わたしは小さく首を傾げる。
咄嗟に思い浮かばなかった。
何のことかわからない。
だが少し考えて、思い出した。
三年前、わたしはあるチャレンジをした
魚の代わりに肉で醤油を作ろうとする。
実は魚醤を作ろうと考えたことは以前から何度もあった。
だが、チャレンジをすることなく諦める。
それはランスローに海がなかったからではない。
前世のわたしは生ものが苦手だった。
そのわたしに魚醤はちょっとハードルが高い。
どうしても生臭いイメージがあった。
無駄にするかもしれないと思うと、チャレンジ出来ない。
魚は大切な食料だ。
だが、魚ではなく肉ならどうだろうと考える。
たまたま三年前、鹿がたくさん捕れた。
余った内臓の有効利用を試みる。
アークに手伝ってもらって、樽に仕込んだ。
発酵には3年かかる。
私はすっかり忘れていたがアークは覚えていてくれたらしい。
その気持ちだけで、すでにわたしは嬉しかった。
「それ、凄く欲しい」
シエルの方に身を乗り出す。
ワクワクした。
成功していれば、この世界で初めて口にする醤油になる。
この世界で生まれ育ったわたしの身体は醤油を口にしたことなんてもちろんない。
だが、前世の記憶として醤油の味をわたしは覚えていた。
時々、とても恋しくなる。
口にしたら、感動のあまり泣いてしまうかもしれない。
わたしはちらりとメアリを振り返った。
受け取ってもいいわよね?――と目で尋ねる。
「食べ物や飲み物は毒が入っていないか確認できたら、持ち込めます」
メアリは教えてくれた。
先走りそうなわたしに釘を刺したようにも見える。
その言葉に、わたしは引っかかりを覚えた。
「毒が入っていないか、どうやって確認するの?」
気になって尋ねる。
もしかして……と思った。
「毒見をします」
メアリは当然のように答える。
「……」
わたしはちょっと引いた。
予想していたが、やはりそうかと思う。
化学が進んでいないこの世界では薬品で毒を判別することはない。
毒見役が必ずいた。
だが、自分の代わりに誰かが身代わりになるなんて気分のいい話ではない。
今回のように、絶対に大丈夫だとわかるものは受け取っても、それ以外は出来るだけ毒見が必要なものは受け取らないことにしようと思った。
怪しいものは持って来た本人に毒見してもらうのもいいかもしれない。
それを周知すれば、そもそも毒を持ち込もうとする人間が減るかもしれない。
「運んでくれる荷物に入っていると思うから、届いたら渡すよ」
シエルは約束してくれる。
「ありがとう」
わたしは微笑んだ。
しょうゆが手に入ったら、わたしの食生活充実化計画は大きく前進する。
味噌や鰹節など、自分がなんとなく作り方がわかるものの製造に取りかかるのもいいかもしれない。
(後はなんといっても海苔よね)
わたしは心の中で呟いた。
海苔を醤油につけてご飯を巻く。
そんなシンプルな料理とも呼べないものが、ここでは一から作るのでこんなにも大変だ。
前世がどんなに便利な世界だったのか、しみじみと実感する。
だが、ないことを嘆いて仕方がない。
今、できることからしようと燃えた。
だが、そんなことを暢気に考えている場合では実はなかったらしい。
そのことをわたしは後で知った。
でもそんな場合ではなかったようです。




