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妊娠疑惑

まったくの知識ゼロではありませんでした。






 わたしはベッドの中で身を起こし、枕を背凭れにして寄りかかった。

 楽な姿勢で、診察を受ける。

 おばあさんはわたしの熱を確認したり、脈を計ったり、いろいろした。

 プライベートのごにょごにょについても質問される。

 わたしは全て正直に話した。

 答えながら、デジャブを感じる。

 昔、こんな光景を見たことがあると思った。

 いつだったろうと考えて、はっとする。

 母がシエルを身篭った時だと思い出した。


(もしかして、わたしの知識ってゼロではないんじゃない?)


 妊娠や出産に関しては何の知識もないと思い込んでいたが、違うことに気づく。

 この世界でのそれを一度、シエルの時に経験していた。

 あの時、わたしは12歳だ。

 すでに子供ではない。

 精神年齢はさらに上だった。

 母はいろいろ説明してくれる。

 わたしは母の世話をあれこれ焼いた。

 16年も前のことなので、記憶は完全に意識の底に沈んでいたが、一度思い出したら蘇ってくる。


(なんとかなる気がしてきた)


 少しだけ、気持ちは楽になった。

 知らないことは必要以上に怖い。

 知識の重要さを改めて思い知った。


「おめでとうございます。ご懐妊です」


 おばあさんはわたしに告げる。

 にこにこと満面の笑みを浮かべていた。

 だがそれが100%確実な話ではないことをわたしは知っている。

 この世界には妊娠検査薬なんてないし、エコー検査もない。

 科学的に妊娠を判断する手段はなかった。

 そのため、妊娠初期での判断は産婆さんの長年の勘に頼るところが大きい。

 その勘はもちろん、外れることもあった。

 実際、母の時は二度ほど、懐妊を告げられたが外れている。

 三度目も間違いかもしれないと期待していないでいたら、母のお腹が大きくなった。

 そこでやっと、本当に妊娠したのだと判明する。

 お腹が大きくなるまでは、喜ぶのは早いのだ。

 もっとも、王族の出産を任せられるお産婆さんは田舎の産婆さんとは違うだろう。

 もっと精度は高いと思う。

 だがそれでも絶対はなかった。


「どのくらいの確率で、確かなのですか?」


 喜ぶ前に、わたしは聞く。

 そんなわたしの反応に、おばあさんは意外な顔をした。

 もっと喜ぶと思ったらしい。


「嬉しくはないのですか?」


 問われた。


「嬉しいです。でも、お産婆さんの判断が必ずしも当たるわけではないことをわたしは母の時に知っています。母は二度、懐妊を告げられましたが間違っていました」


 わたしの言葉に、なるほどとおばあさんは納得する。


「婆は八割がた、間違いないと思っています。でももちろん、確実ではありません。お腹が大きくなるか、悪阻が始まるかするまでは発表は控えた方がよろしいかもしれません。それに、結婚されたとはいえ挙式はまだです。公表するのは挙式後の方が差し障りないかもしれません」


 その意見にわたしも同意した。


「では必要最低限、伝えておかなければ困るところにだけ報告しようと思います。どこまで報告すればよいのか判断するために、妊娠初期の注意事項を教えてください」


 わたしはおばあさんに聞く。

 これから、わたしはけっこう忙しくなる予定だ。

 そろそろ挙式のリハーサルも始まると聞いている。

 立ちっぱなしになるそのリハーサルがけっこう問題なのではないかとわたしは思っていた。

 それはおばあさんもわかっているようで、具体的に妊娠の可能性を話しておいた方がいい部署をいくつか教えてくれた。

 衣装チームや式典チームにはやはり、連絡は必要らしい。

 わたしはそれを指折り数えて、覚えた。


「さて、そろそろ扉の前でやきもきしている坊ちゃんを呼びますか」


 おばあさんは優しく微笑む。

 自分が取り上げた王子への愛情がその言葉には滲んでいた。

 ラインハルトがばあやと呼ぶくらいだから、懐いているのだろう。


「知ったら、喜ぶでしょうね」


 わたしは呟く。

 どこか他人事っぽいのは、まだ実感がないからだ。

 そして、喜びよりこれからの大変さの方が重く圧し掛かってくる。


「大喜びでしょうね。噂はいろいろ聞いていましたが、坊ちゃまは本当にマリアンヌ様を大切に思っているようですから」


 おばあさんは微笑んだ。


「……」


 わたしは黙って、苦く笑う。

 そんなわたしをおばあさんは不思議そうに見た。


「嬉しい、良かったと、単純に喜べる殿方が気楽で羨ましいです。産むこっちはこれからいろいろ大変なのに」


 わたしはため息を漏らす。

 おばあさんの見立てだと、わたしは今、妊娠3~4週辺りらしい。

 それはつまり、そろそろ悪阻が始まるということだ。

 しかも、挙式の時あたりからピークに入る計算になる。

 だだでさえ緊張する挙式に、つわりのピークが重なったら、大問題だ。

 それを考えると、なんともブルーな気持ちになる。


 母はあまり悪阻が重い人ではなかった。

 それでも大変そうな姿は見ている。

 全ての妊婦が悪阻になるわけではないのは知っていた。

 確か8割くらいの人がなると前世で見た覚えがある。

 その他大勢のわたしが残りの2割に入るようなレアキャラだとは思えない。

 悪阻で辛い思いをするのは覚悟した方がいいと思った。

 嬉しいより先に、大変なことの方が頭を過ぎる。


「殿方というのはそういうものですよ」


 おばあさんは慰めてくれた。

 そんなことを気にしても仕方ないという顔をされる。


(前世で友達が愚痴っていた時にはわたしもそう思いました)


 わたしは心の中で呟いた。

 だが今なら、彼女の気持ちがわかる。

 こちらが大変な時に、暢気に気楽な顔をされるとイラッとするのだ。

 八つ当たりだとわかっていても、当たり散らしたくなる。


「そんな殿方を教育するのは、マリアンヌ様の腕の見せ所です」


 にっこりと微笑まれた。


(いや、そんな腕は持っていないです)


 わたしは心の中で苦笑する。

 黙って、肩を竦めた。






 扉の外にいるラインハルトに声をかけると、急いで中に入ってきた。

 気が急いているのがよくわかる。

 いつになく、落ち着きがなかった。


「どうであった?」


 おばあさんに聞く。


「おめでとうございます」


 おばあさんは一言、そう答えた。

 それを聞いて、ラインハルトは子供みたいに目を輝かせる。


「マリアンヌ」


 嬉しそうにわたしの名前を呼んだ。

 こっちは大変なのに気楽なのものだとぼやきたい気持ちは、喜ぶ顔を見たらちょっと失せる。

 思った以上に、ラインハルトは喜んでいた。

 そんなに喜んでもらえると、わたしも嬉しくなる。


「でも、まだ確実ではありません。なので、しばらくは公表を控えてください」


 わたしは頼んだ。

 浮かれるラインハルトに釘を刺す。


「そういうものなのですか?」


 ラインハルトは驚いた顔をした。

 初めて知ったようで、戸惑っている。

 ラインハルトには同母の兄弟がいないことを思い出した。

 妊婦に関わったことなど、人生で一度もないのだろう。


(妊娠をこんなに喜んでいるのは、血をわけた家族が出来るからなのかもしれない)


 そう思うと、少し切なくなった。

 兄たちや父王は血をわけた家族でも遠い存在なのだろう。

 わたしは弟のシエルとべったりとした兄弟関係を築いていたので、その寂しさはよくわからなかった。


(シエルに会いたい)


 思い出したら、胸がきゅんとする。

 もう一月以上、顔を見ていなかった。

 こんなに離れたのは初めてだ。

 これからはこれが普通になるのだと思うと、胸が苦しくなる。


「坊ちゃま。マリアンヌ様と今後のことはよくご相談なさってくださいませ」


 おばあさんに言われて、緩んでいた表情をラインハルトは引き締めた。


「そうだな。これからが大変なのだろう?」


 わたしに問う。

 わたしは頷いた。

 挙式に関して、いろいろと不都合が出てきそうなことを話す。

 ラインハルトはわたしの言葉を真剣に聞いていた。





妊婦で挙式は気が重いです^^;

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