忠誠
厨房はクロウのテリトリーです。
いろいろ困った国王の無茶振りだが、わたしにとってはメリットがないわけでもなかった。
ラインハルトの許可がなければ駄目だと言われた厨房に出入りできるようになる。
わたしはラインハルトと共に朝の挨拶を終えると、真っ直ぐ離宮に戻り厨房に向かった。
離宮にいる時は基本的にどこに行くにもついてくるメアリも一緒だ。
「おはよう、クロウ」
クロウに声をかける。
クロウは椅子に座って、野菜の皮むきをしていた。
すらっと背が高いクロウは、座ると長い足を持て余しているように見える。
わたしは近くの椅子に座った。
メアリはわたしの隣に立つ。
「おはようございます、マリアンヌ様。毎朝、毎朝、よく続きますね」
クロウは困った顔をした。
今日で三日目なので、口調がだいぶ砕けている。
いい傾向だと、わたしはにんまりした。
「忙しくなったら、こうやって顔を出す時間が取れなくなるかもしれないもの。今のうちにクロウとは仲良くなっておくべきでしょう?」
にこりと笑う。
「私と親しくなっても意味がないですよ」
クロウは苦笑した。
「そんなことないわよ。いろいろ聞きたいことがあるもの」
わたしの言葉にクロウは微妙な顔をする。
「それは料理のことですよね?」
念を押された。
どうやら、警戒されているらしい。
「料理以外にも聞きたいわ」
わたしは素直に答えた。
「それを聞いてどうするんですか?」
クロウは尋ねる。
ジャガイモの皮を剥きながらで、視線は手元に落としていた。
だが、神経はこちらに向けられているのがわかる。
「どうもしないわ。ただ、安心するだけ」
わたしは囁いた。
「料理に毒を入れられるようなことはないと安心するし、何かあっても守ってもらえるとも思うわ」
そう続ける。
「毒についてはいろいろ学ばれたと聞きましたが……」
クロウは困惑した。
手は打っているだろうと言いたいらしい。
(どうしてそんなことを知っているのか、こちらの方が困惑するわよ)
わたしは心の中で苦笑する。
「一通り、学びました。ちゃんと覚えてもいますよ。でも、咄嗟に的確な判断が出来るとはかぎらないでしょう? 動揺して、頭が真っ白になってしまうかもしれません。毒なんて入れられないのが一番です。クロウがいるから大丈夫って安心出来るなら、それが一番いいではありませんか」
力説した。
「私のようなものをそんなに信頼されて、大丈夫なのですか?」
クロウは逆に聞く。
「それを確かめに日参しているのです」
わたしは答えた。
「クロウはメアリの仲間なのですか?」
問いかける。
クロウの視線がメアリに向かった。
「メアリは何も教えてくれませんでした。だから、クロウに聞いているのです」
わたしはメアリを庇う。
叱られるのはかわいそうだと思った。
「何故、私なんですか?」
クロウは問う。
「一番、偉い気がするから」
わたしは笑った。
お頭っぽいと言おうと思ったが、たぶん、意味が通じないだろう。
伝わりそうな言い方に変えた。
「最初は執事のアントンがそうなのかと思いました。でも、アントンは違うようなので、それならクロウだろうと考えたのです。他のメイドたちも仲間なんですよね?」
わたしは小首を傾げてクロウを見つめる。
「マリアンヌ様は私たちをなんだと思っているのですか?」
逆に尋ねられた。
「国王直属の情報収集と護衛を兼ねた密偵」
わかりやすく言えば忍者なのだが、この世界に忍者なんて存在はいない。
簡潔に纏めるとこういう表現になると思った。
「何故、国王直属だと思われたんです?」
わたしの言葉を肯定も否定もせず、クロウは話を続ける。
そういうところ、メアリと似ていると思った。
「国王様は何でもよくご存知だから」
わたしは微笑む。
王宮内に密偵がいるのは明らかだ。
それが誰なのか考えた時、たくさんいる使用人の中にいるのが妥当だと思う。
「普通は、国王が王宮に密偵を放っているなんて考えませんよ」
クロウは苦く笑った。
「じゃあ、どうやって情報収集していると考えるの?」
わたしは問う。
わからなかったので、聞いた。
「密告です」
クロウは答える。
貴族は密告で情報収集するのが普通のようだ。
「密告ね。それが嘘だったら、どうするのかしら? 密告が真実かどうか判断するためにも、密偵を放つ必要はあるのではないですか?」
質問したら、クロウは面白そうに笑う。
「本当に変わった方ですね」
誉めているつもりらしいが、全く誉め言葉には聞こえない。
「どこからそういう発想が出てくるんですか?」
問われた。
(時代劇からです)
そんなこと、言えるわけがない。
「小心者なんですよ、わたし。優れた能力なんて何一つ持っていない、その他大勢の平凡な人間ですから。我が身を守る方法なんて、慎重に注意深く周りを観察するくらいしかないでしょう?」
わたしの言葉に、ふむとクロウは呟いた。
「そのよく口にされる、その他大勢って何のことですか?」
今まではなんとなくスルーされてきたことを聞かれる。
「自分が平凡なその辺にいる人間って意味です。わたしは人より秀でた能力なんて何も持っていないので」
わたしの答えにクロウは微妙な顔をした。
「持っていませんか?」
首を傾げる。
「持っていませんよ」
わたしは言い切った。
「見た目も特に美人ではないし、中身もまあ……普通です。特技も別にないし、この分野では負けないという特化した知識も持ち合わせていません。運動神経もどちらかといえばとろい方だし、剣術は習ったけどさっぱりでした。人に誇れるようなものなんて何もないんですよ」
にこにこ笑うと、苦笑される。
「それを何故、嬉しそうに言うのですか?」
問われた。
「そういう自分が嫌いではないからです」
わたしは答える。
「特技や人より優れた何かを持っていなくても、いいじゃないですか。平凡な人間でも、自分なりに頑張って、自分なりに幸せになれるということをわたしは証明してみせるのです」
熱く語り、ぐっと拳を握り締めた。
でもそんなわたしにメアリは冷ややかな反応をする。
「王子の妃になる人生が平凡だと私は思いませんけど」
突っ込まれた。
わたしはうっと言葉に詰まる。
「それはわたしも思っていますけど。わたしの人生設計に王子の妃になる予定はありませんでした」
ため息をついた。
「お妃様レースに参加しておきながら、ですか?」
クロウは笑う。
「それにはいろいろ理由があるのです。ちょっとしたお小遣い稼ぎがまさかこんなことになるなんて。人生は思い通りにいかないものですね」
肩を落とすと、クロウは笑いを堪えられなくて震えだした。
「それはお妃になれなかった方がいうセリフです」
突っ込む。
堪え切れなくなったのか、声を上げて笑い出した。
「兄さん、失礼です」
メアリが慌てる。
クロウを叱った。
(兄弟なのか)
関係を知って、そう言われるとどことなく似ているかもと二人を見比べる。
「別にいいわよ。それくらいのことで機嫌が悪くなったりはしないわ。ただ、アントンの前で同じことをしたら叱られると思うから気をつけて」
わたしの言葉にクロウはニヤリと笑う。
「マリアンヌ様はその他大勢などではないので、そろそろ認識を改めたほうがいいと思います」
そんなことを言われた。
「どうして? こんなに何も持っていないわたしなのに?」
わたしは不満を口にする。
「よく回る頭と、他人とは違う発想と、それを実行に移す行動力。少なくとも3つは持っていらっしゃいますよ」
クロウは指折り数えた。
「それは誰でも持っているものでしょう? わたしが言っているのは容姿が優れているとか、魔法が使えるとか、剣術に優れているとか、誰にでもわかりやすいやつです。そういうのを一つでも持っている人が主役なんですよ」
わたしは反論する。
「王子の妃は主役じゃないんですか?」
クロウに問われた。
「だから、困っているんですよ。わたしには荷が重くて」
眉をひそめると、クロウはふっと笑う。
立ち上がって、わたしに近づいてきた。
「?」
それをわたしは不思議に思いながら眺める。
クロウはそんなわたしの手を取った。
跪く。
「マリアンヌ様。貴女に私の忠誠を。貴女とラインハルト様は必ず私がお守りして、王と王妃にしてみせます」
思いもしないことを言われて、わたしは目をぱちくりと瞬いた。
メアリも唖然としている。
そんなわたしたちに構わず、クロウはにこりと笑う。
掴んだわたしの手の甲に触れるだけのキスをした。
そのまま何もなかったように去って行く。
仕事に戻った。
「……今のは、何?」
わたしはメアリに聞く。
「自分が支えるというアピールかと」
メアリは渋い顔で答えた。
そんな顔をしたくなる気持ちはわかる。
わたしもかなりびっくりした。
ちょっとドキッとしてしまったことは内緒だ。
(荷が重いって言ったからか)
わたしは理由に思い当たる。
とりあえず、クロウに気に入られたのは確かなようだ。
(安心していいってことかな)
クロウが味方なら心強いと思った。
クロウは無自覚たらしタイプです。




