(四) 明日へのパス
それから俺と少女の共同生活が始まった。最初は大泣きしたものの汐美は大人しい性格みたいで俺の言う事を従順に聞いている。女の子とはともかく弁が立ち口達者とのことで
「男の子のような攻撃的な態度をとったりして心配です」
「気持ちの上がり下がりが激しすぎてどう接していいかわからず困る事があります」
「ともかくおしゃべりでずっと話を聞いていて疲れます」
のような意見がネットに書かれている。俺は今車の中で昼食を取りながらスマホをいじっている。検索ワードは「女の子の育て方」「小学生の娘との接し方」などといった内容だ。そこでは親(主に母親だが)の様々な体験談が書かれていた。
汐美は大人しく大泣きはしても乱暴を働くようなことはない。感情の起伏がそこまで激しいわけではないが寂しがりやな一面がある。お喋りではないが意図的に会話の数を減らしているようにも思える。恐らく俺を気遣っているのだろう。俺も何を話していいか分からないのとその方が気楽なため現状を維持している。 そんな感じで数日を過ごし、仕事が終わって家に帰り駐車場で車を停めたところで電話がかかってきた。通知には『全日本・新里親協会 白山』と表示されていた。
最初に来た女性は白山と言うらしく「あなたの携帯電話の番号は登録しています。何かお困りの時にはこちらに電話をかけてください」そういわれて一応登録していたがまさか相手からかかってくるとは思わなかった。
「もしもし」
「もしもし白山です。飯野さんですか?」
「どうも、飯野です」
「急にお電話をかけて申し訳ありません。少しお時間をいただいてよろしいでしょうか?」
「はい、丁度アパートの駐車場で車にのっているところなので」
「そうですか。それは良いタイミングでした。その後汐美さんとの生活はどうですか?」
それから十分ほどの電話だった。色々なことを言われたが要約すると「女の子は喋るのが好きです。けれど男性の里親にはおしゃべりが好きではないかたもいます。ですが里親として子どもとコミュニケーションをとらないければなりませんので飯野さんから汐美ちゃんに話しかけるように努力していただけますか」
「善処します」
「最初は上手くいかないでしょうけど根気強くやってみてください。それでは失礼します」
そう言って電話は切れた。
「話しをしろたって何を話すればいいんだ?」
女子小学生との会話内容に頭を悩ませながら俺は家に入った。
「ただいま」
「おかえりなさい」
そう言ってスリッパをパタパタと音を立てて汐美が出迎えてくる。その手には料理本が握られていた。
調理学校を出た俺は料理人として大手飲食店に就職した。色々な経験を得て20代半ばで独立し自分の店を持った。そこから店舗数を拡大し俺は大手飲食店の経営者となった。経営者になっても新メニューの開発には四苦八苦している。色々なところから情報を集め流行を知り良いと思ったものは取り入れる。
汐美は料理に興味があるようで自主的に本を読んでいた。
(料理の話題ならネタはたくさんあるな)
そう気付いた俺は汐美に質問してみた。
「何か興味のある料理はあったか」
「え?あ、はい!これが作ってみたいです」
突然質問されて戸惑った様子の汐美だったが、すぐに気を取り直し本を開いて答える。それはオムライスだった。ケチャップで可愛らしい動物の絵が描かれている。
「次の休みの日に作ってみるか」
「本当ですか!」
「ああ、約束だ」
「はい!」
そう言って汐美は嬉しそうに微笑んだ。そんな彼女を見て俺はふと気になったことがあったので聞いてみた。
「これまで料理はしたことがあるか?」
その問いに汐美は首を左右に振った。それで俺は思った、まず包丁の扱い方から教えないといけない、と。
そう言うわけで俺はその日に汐美に包丁の扱い方を教えることにした。
料理をするには一人で包丁を使えるようにならなければならない。これが幼稚園や小学校低学年の子どもなら少し考えるところだが汐美は小学校五年生であり、例えば包丁を振り回してはいけないと言う分別を持った年の子どもだ。猫の手など切り方をしっかり教えてやれば手を切らないように包丁を扱えるようになると思った。
その日は豆腐やきゅうりなど切りやすい食材からチャレンジさせた。
俺は基本的な切り方だけを教えて少し後ろから見守ることにした。エプロンをして台所に立つ姿は可愛らしい新妻のようだ。
(なんて、小学生の子どもだがな。っつうか包丁の扱い方が見てて怖い)
そんな不安を感じつつもあえて口出しはしない。今は包丁を持って扱い始めたところだ。集中している状態で外から色々言われると逆に怪我をする恐れがある。これまで店舗を運営するために人材を育ててき経験が子育てに活かされるとは思わなかった。
「で、出来ました」
一通り教えたことを完了した汐美は俺を見上げてくる。正直綺麗に切れているとは言えないが最初なのだから当然だ。
「包丁で手を切らずによくやった」
「えへへ」
そう言って褒めてやることで刃物を持つことの恐怖をやわらげてやる。
「だが包丁は刃物だ。気を抜くと怪我をしてしまうから扱うときは気を抜いてはいけないぞ」
「は、はい」
同時に刃物への警戒心を緩めないように言いつける。「失敗をしないように」と言うのではなく「油断しないように」と伝えることがネックだ。
「これから少しずつ教えていくからな」
「はい!ありがとうございます」
「じゃあ飯にするか」
そうして俺がご飯を作り汐美がお皿を並べた。いつも通りの二人の食事。その後はお風呂だ。
「先に風呂に入って来い」
俺が洗い物をしている内に汐美が風呂に入る。いつもの流れだがその日は汐美はあるわがままを言って来た。
「あの、私も皿洗いを手伝いたいです」
包丁の扱い方を習ったので他にも色々と習いたいということだろうか。俺はそんな風に汐美の内心を予想した。
「手伝いたい気持ちは嬉しいが何事も少しずつ慣れていく方がいい」
「で、でも私はお父さんの手伝いを何も出来ないから」
そう言って申し訳無さそうにする。そんな様子の彼女を可愛らしいと思った。
だからだろうか、自分でもこの子がここにきてからそんなことをするとは思わなかった行動を取ったのは。
「あっ」
「そんなに気を遣わなくても大丈夫だ」
俺はそう言って汐美を抱き上げた。141cmの小柄な体がこの子がここにいるのだと言う実感を与えた。
「あ、あの」
「ん?どうした。嫌だったか。なら降ろすよ」
「や、止めないで」
そう言って赤面した彼女は俺の肩に顔を乗せる。
「少し抱っこしててください」
そう言って甘えてくる汐美。少女の独特の香りが俺の鼻をつく。柔らかい肌が彼女が幼くとも女性なのだと実感させた。
「お父さん」
「ん?」
「私、ずっとここに、いたいです」
「いたいならいればいい。でもとりあえずお風呂に入ろうか」
「はい!」
そう答えた汐美を見て俺は汐美を降ろす。彼女はそのまま言われたとおりお風呂に入っていった。