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僕と私シリーズ

僕と彼女の終わりと始まり

作者: 浜田 桂

 僕が彼女の存在をはっきりと認識したのはいつ頃だったろう、と思いを馳せてみる。

 その出会いは高校一年の時。同じクラスに、彼女はいた。

 彼女の第一印象は地味。ただ地味。確かにここは地方ではあるけど、それでも彼女ほどに地味っぷりを発揮する女の子は他にいなかった。少し悪い表現をすれば、イモ臭い女の子だった。

 友達が欲しくても作れなかったのか、それとも作るつもりもなかったのか。当時はその意中は分からなかったけど、彼女はいつも一人でいた。授業中は黒板と教科書とノートを、休み時間はなんだか妙に小難しそうな本を睨む。そんな彼女は誰にも歩み寄ろうとはしなかったし、誰も彼女に歩み寄ろうとはしなかった。

 もちろん、僕も例外じゃない。

 そしてかく言う僕もまた、地味な男子校生だった。周りはどう思ってたか知らないけど、少なくとも僕自身はそう思っていた。ただ同じ地味者同士でも、彼女とは明らかな違いがあった。

 たとえば僕には友達がいた。便宜上ではあるけど友達がいた。もちろんその交友は表面的で形式的。学校で会えば昨夜のドラマにスポーツ、ゲームなんかの話で盛り上がり、それでいながらお互いのプライバシーには徹底して無関心。そんな付き合い。

 それはそれでまあ気楽で楽しいものではあったけど、それ以上にびっくりするほど窮屈で退屈だった。

 ともかく、そんな僕と彼女が一緒だったのは一年の時だけで、クラスが別になって以降は一切の接点が無くなった。

 それから大学へ入り、適当な文系サークルに参加し、その新歓コンパの席でまさかの再会。

 意外だったのは、僕が彼女を覚えていたことよりも、彼女が僕を覚えていたことだった。その時の会話で知ったのだけど、彼女は高校どころか中学時代からずっと友達がいなかったらしい。作れなかったのではなく、作らなかった。

 なんでも同年代の人間の中に、まともに『会話』を出来そうな相手がいなかったことが理由だそうな。彼女は身にならない会話を良しとしない。いや、もちろん彼女だって世間話ぐらいはする。ただ、その世間話にすら彼女は「意味」を見い出そうとするのだ。

 だからこそクラスメイト達の、上辺だけの薄っぺらい交流の中に入っていくことが出来なかったんだとか。

 それはある意味、僕と同じベクトルにありながら、まるで正反対の性質。僕もクラスメイト達を幼いと感じていた。その幼さは若者らしいと言えばそうなのだろうけど、僕にはある種、嫌悪の対象ですらあった。正直言って、気持ちが悪かった。

 然れども僕はそれを許容し、彼女は拒絶を選んだ。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、ただ、それだけの違い。だけどそれだけの違いは、僕と彼女の決定的な違いであったように、今なら思う。

 そうして、僕と彼女はコンパの席で初めてまともに言葉を交わしたわけだけど、その中で彼女は言った。

「ウチも案外人を見る目がないね。アンタみたいな人が同じクラスにおったのに、全然気付かんかった」

 そう、素直に驚いた顔をしていた。

 どうやら彼女は、僕のことを存外に気に入ったようだった。

 それから学内でよく会話をするようになり、次第に外でも会うようになり。気付けばなんとなく、本当になんとなく、僕らは自然に男女の関係になっていた。

 毎日毎日、多種多様なジャンルにおいて議論めいた会話をして、お互いが納得するまで意見を出し合う。政治、経済、法律から犯罪、哲学に果ては恋愛まで。彼女は図書から得た膨大な知識を駆使し、僕は拙い経験と想像力を駆使して論破を図る。

 きっと僕らの関係は、一般的な若いカップルのそれとは大きく異なるものだったと思う。なんたって、お互い裸でベッドの中に重なっていようと、ふと思いついたことを口にしてしまえばその途端から議論が始まり、行為を中断したまま気付けば朝になっていた――なんてことも珍しいことじゃなかったぐらいだから。

 思い返せば、そんな彼女との生活はひどく滑稽でくだらないものだったけど、呆れるくらい充実した時間だったように思う。

 だけどやがて、彼女との蜜月も終わる時が来る。曖昧な形で始まった僕らの関係は、やっぱり曖昧な形で終わった。大喧嘩したわけでもなければ、どちらかに好きな相手が出来たわけでもない。はたと気付けば終わっていた。そんな感じだった。

 それからはお互い連絡を取り合うことも、顔を合わせることもなくなっていたわけだけど。

 偶然なのか必然なのか。ある日、街中でばったりと再会。その時はお互いに用事があったから挨拶を交わしたぐらいだったけど、「時間を取って話をしよう」ということでついでに約束を取り付けた。それを言い出したのはどっちだったろう。よく覚えていない。

 場所は、彼女の行きつけだというバー。彼女がバーなんて小洒落た場所に来ていることが少し意外だったけど、彼女だってもう立派な社会人だ。学生だったあの頃とは違って当然だ。

 約束より早く着いてしまったこともあって、一人でチビチビとカクテルを口に運ぶ。

 僕はアルコールが得意じゃない。だからちっとも美味いとは思わないのだけど、店の雰囲気も手伝ってか、不思議と喉には心地いい。

「お待たせ」

 僕の到着から少し遅れて彼女が現れた。相変わらず地味ではあったけど、さすがにかつてのイモ臭さはすっかり抜け切っていた。服装や装飾品、化粧に立居振舞い……地味なんだけど。地味にセンスが良くて、ちょっとかっこいい。

 あえて砕けた物言いをするなら、出来る女、とでも形容したい出立ちだった。

 僕のカクテルを一瞥して彼女は、「同じ奴」とバーテンに注文する。その姿にもまるで無理がない。

 シャカシャカと小気味好いシェイカーの音。会話もなく、僕らはバーテンのシェイクを見つめる。機械的にカクテルを作る物憂げなバーテンは、店内の薄暗さも相まってとても絵になった。

 グラスにカクテルが注がれる。彼女がそれを手に取り、「それじゃ」とこちらにグラスを差し出す。

「必然の再会に」

「偶然の再会に」

 「乾杯」とグラスを合わせる。そして、二人で同時に吹き出した。

「いや、でもホントね。近い内にアンタと連絡取ろうと思いよったんよ」

「ん? なんか用でも?」

 まあね、と右手に持ったグラスを小さく揺らして、彼女は意味深な笑みを浮かべる。

「ねぇ、アンタ今仕事はなにしよる?」

「うん、出版社でね。編集の真似事を」

 とはいえ、しょせんは地方の出版社。本を作っても部数はたかが知れてる。まあ、それでも忙しくないわけではないのだけど。むしろ忙しいんだけど。

「編集ねぇ、かっこいいやん。作家さんのこと「先生」とか呼んだりするん?」

「はっは、まさか。せいぜい「さん」付けぐらいよ。それよりそっちは? なにしよんの?」

「ウチはしがないOL。友達はゼロ。相変わらずやろ?」

 んふふ、とさしてどうということもなく、彼女は笑った。

「まあ、お前は一般人から見たら異端も異端やしね。ええんと違う? むしろ、友達と楽しそうに話すお前とか想像出来ん」

「言うねぇ。似た者同士のくせに。ていうか、アンタの異端ぶりはウチの比やないで、ホンマ」

 どっちもどっちってことで。

「――――で?」

 ん? なんだ? なにが、で? 切り出し方があまりに唐突すぎて、不覚にも意味が読み取れなかった。

「彼女は? おるん?」

「あ、あー……うん、まあ。同棲しよるのが一人」

 へぇ、と彼女は意外そうに。それでいてどうということもなさそうに、目を大きく開いた。

「同棲はどれぐらい?」

「二年……あぁ、三年、かな」

「ほほぉ、それはそれは。アンタにしては続くね。ウチとはすぐ終わったくせに」

 それでも二年は持ったやん、と返し、カクテルを喉に流す。

「お前は?」

「んぅ? ウチ? あー、ウチはねぇ。んー……」

 と顎先をポリポリと掻きつつ、妙に話しづらそうにする彼女。なんだろう。なにか特別な事情でも抱えてるんだろうか。ヒモとか? あぁ、もしかしたらツバメなんてのも考えられるな。彼女なら。

 などなどと、割とありえないでもない有り様に想いを巡らせていると、彼女が左手の甲をこちらに向けた。その薬指に、紫の石が光った。

「あ、ウソ。もしかして――」

「……うん、結婚することになった」

 なんだか妙に照れ臭そうな彼女。

「おー、それはそれは。相手は?」

「会社の上司。アンタとは全然正反対なタイプの人でね。ウチの疑問に、誰でも思いつきそうな答えを素直に返してくるみたいな。けどなんかねぇ……それが凄く、安心する。不思議やけどね」

 そうして彼女が見せた笑みは、僕がこれまで一度も見たことがないような、優しげで穏やかなものだった。胸がチクリと痛んだ気がした。

 ……きっと気のせいだろう。

「おめでとう」

 素直に、その言葉が口から出た。自然にそう言えたことが、少し嬉しかった。

「……ありがとう」

 彼女が、目を細めて微笑った。

「なんやろうね。ウチ、もしかしたらアンタとの付き合いでもう満足してしもうたんかもね」

「なにが?」

「なんやろう。よく分からん。でも、そんな気がする」

 ふーん、と生返事。満足、か。確かにそうかもしれない。僕と彼女は、あまりにも多くの時間を二人で使いすぎた。一組の夫婦が一生のうちに行う対話を、わずか二年の間に全部詰め込んで消化したような、そんな感じ。だから僕らは、僕らの関係に満足してしまった。もう互いに得られる物はなにもないと。もう互いに失う物はなにもないと。

 そう気付いてしまったのかもしれない。だから僕らは自然に離れていった。

 それだけの時間を以っても、決して僕らは僕らを理解するに至らなかったけど、きっと僕らは誰よりもお互いを知る存在になった。これからもそれは、それだけは変わることはないんじゃないかと思う。

 婚約の報告を受けたその後の時間は、かつての二人に戻ったように、色んなことを語り合った。お互いあの頃とは違う僕らだけど、二人はそうでなくてはいけないとでも言わんばかりに、時間と場所を忘れて、言葉をぶつけあった。


          … …


 彼女には将来の旦那様が、僕には同棲相手がいる。というわけで、日付けが変わる前にお開き。というより、気付いたらそんな時間になっていたから慌てて終わらせた。

 まだまだ冷たい夜風の中を二人で並んで歩き、そして別れの時。

「じゃあ、また」

「うん、また」

 小さく手を振って、それぞれの帰路に着く。振り返りはしなかった。彼女もきっと振り返らないだろう。またしばらく顔を合わせることはないかもしれないけど、だからといって今生の別れというわけでもない。

 縁があれば、また会える。というか、一応連絡先も交換してるし。

 結婚か。まさか彼女に先を越されるとは思わなかったな、正直。ある意味、そういうのにはまったく縁のない奴だと思ってた。なにより、彼女自身がそうしたものに価値を求めていなかったはずだ。価値観の変遷なのか。ただの心変わりか。もしかしたら一時の気の迷いなんてこともあるかもしれない。

 なんにしてもそれは本当にめでたく、慶ばしいことだ。出来れば幸せになってもらいたいし、結婚を後悔して欲しくない。

 しかしまあ、彼女が家庭に入る、その微笑ましい光景がちっとも想像出来ないな。少なくとも僕と付き合っていた頃は家庭的な要素がまるでなかったから。でもいざ人妻になって母親になれば、きっとその姿が少しずつ「サマ」になっていくんだろう。人間ってのは、得てしてそういうものだ、多分。

 アパートの裏が見えてきた。部屋の窓を見ると閉ざされたカーテンの向こうにまだ明かりが点いている。なんだ、まだ起きてるのか。ひょっとして僕の帰りを待ってくれてるんだろうか。なら早く帰ってやらないと、と足を速める。

 が、階段の一段目に足を掛けたところでぴたりと止まった。

 僕はこのままでいいんだろうか。

 恋人との生活を三年続けてきて、当然お互いに将来のことを意識するようにもなってきた。結婚を前提にした交際ではなかったけど、軽い気持ちで同棲を始めたわけでもない。

 でも僕は心のどこかで躊躇していたんじゃないだろうか。今いる場所よりも一歩踏み出すことで、僕らを取り巻くなにもかもが変わってしまうことを恐れていたんじゃないか。あまりに濃ゆすぎた彼女との二年間を、終わらせたくなかったんじゃないか。

 だけど久しぶりに会った彼女はしっかりとその一歩を踏み出していた。僕との日々などとうに終わらせて、今まさに新しい人生を始めようとしている。

 なのに僕は本当にこのままでいいんだろうか。

 ふとそんな考えが頭をよぎって、どうしてだか階段を上がれなくなってしまった。恋人の待つ部屋はもうすぐそこだっていうのに、足が動かない。

 さてどうしたものか。とりあえず頭の中を整理しよう。

 などとアパートの階段の前に突っ立ったまま考えごとを始める不審者じみた僕であったのだけど、どこかの部屋の玄関が開く音で強制的に思考を中断させられてしまった。

 見上げるとそこにいたのは、僕のような人間と三年も一緒に暮らす奇特な恋人だった。

「あ、やっぱり。おかえり」

「……ただいま」

「なんかあんたがおる気がしたんよね。ほんでなんでそんなとこおんの?」

「いや、まあ、なんとなく」

「あぁ、そう。部屋入らんの?」

 いや、入ります。と階段を上がる。びっくりするほど足が軽い。

 部屋に入って、上りがまちであくびをしながらサンダルを脱ぐ恋人の背中に声を掛ける。

「ねぇ……」

「はい?」

 と振り返る恋人。毎日見ているその顔が、なんだか僕の知らない顔に見えた。

「結婚しようか」

 僕は今どんな顔をしてるだろう。おそるおそる新しい人生の一歩を踏み出そうとしている僕は、今どんな顔をしてるだろう。

 少しの時間見つめ合って、それから恋人はにやりと笑った。

「ま、いいけど」

「……うん」

 安心して僕も靴を脱ぐ。廊下を歩く足が変にふわふわする。顔がかっかと燃えるように熱い。時間差で緊張と恥ずかしさが襲ってきたみたいだった。なんで目の前の恋人は平然としてるんだろう。なんでなにごともないように振舞ってるんだろう。

 と、居間に入ろうとしたところで恋人が立ち止まった。それからおもむろにその場にしゃがみこんで恋人は言った。

「マジかぁ……マジかぁ」

 見ると、耳が茹でたタコみたいに真っ赤になっていた。

 思わず吹き出すと、恋人も一緒に笑い出した。

 彼女が僕とは正反対の相手との結婚を決めたように、この恋人も彼女とはまったく違うタイプだ。読書が好きなわけでもないし、知識が豊富なわけでもない。ベッドの中で突然哲学的な話を始めることもない。

 確かにかつての二年間は、恋人とのここまでの三年間よりもずっと濃密だった。だけどその分だけ急ぎ足で、身も心も休む間がなかった。

 これから歩む人生はきっと、随分とのんびりとした歩みになることだろう。

 でもそれでいい。それがいい。

 長い人生なんだ。ゆっくり、少しずつ時間を積み重ねていけばいい。

 そうやって僕らは、ささやかな終わりと始まりを繰り返していくのだ。


          終

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