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3 荒谷真二郎

 これは浮気というのだろうか。

 荒谷にデートに誘われ、あたしはホイホイされた。

 視界に広がるのは大きな水槽。小さい頃によく両親に連れられてきた水族館にあたしはいる。

 しかし、隣にいるのは六藤ではなく、荒谷だ。

 六藤よりもがさついた、働いている男性というような手に、あたしの左手は繋がれている。六藤よりドキドキするのは背徳感からだろうか。

 それとも、普通にときめいてしまっているのかもしれない。

 六藤と一緒にいてこれほど、ときめいた事があっただろうか。

 付き合いたての頃は毎日こんな感じでふわふわしていた気がする。

 だが、最近はそれが日常の一部になってしまって、キュンとすることが少なくなってきた。ただし、それに比例してぞくりとすることが増えたような気もする。あくまで当社あたし比だが。

「こうやって多比良といると、妙に照れるな。」

 頭をかきながら、荒谷は照れくさそうに言った。

 いつもの『店長』と違う姿に、またあたしの心臓は音を鳴らす。あんなにからかってくる荒谷がそんな顔をしていると、あたしまで調子が狂ってしまう。

「あー。店だともっと余裕なんだけどな。お前と二人っきりって、久しぶり過ぎて緊張しちまう。」

「もう、誘ったのは店長ですよ。緊張しないでください。あたしは暇だったから、来ただけなので。」

「へぇ? 彼氏に内緒で?」

 六藤に内緒で遊んでいるが、断じて浮気ではない。だが、世間一般でいえば十分非常識な行いだろう。

 彼氏がいるのに他の男性とデートに出かける女なんて、ビッチと罵られても文句は言えない。

「たまには、あたしだって悪いことしたくなるんですよ。」

 あたしはやさぐれているのだ。六藤以外の人との繋がりが薄すぎて、不安で仕方がない。

「オレは悪いこと大歓迎だぜ。日向はどんな顔するかな? 大事な彼女がおっさんとデートだなんて知ったら……うおっ、殺されそうな未来しか見えねぇ!」

「は、ははは。」

 今更ながらにあたしは自分の行いについて後悔が込み上げてきた。おそらく六藤はどんな顔もしない。恐ろしいまでの美貌を、無表情に固めてしまうだろう。

 それはどんな表情よりも恐ろしく、冷たいものだ。

 今までこんなことをしたことがないので、六藤がこれを知ったときどう出るか分からない。それが一番怖いところである。

 急にぶちギレて刃物を振り回すかもしれないし、今までの甘い言葉が嘘のように冷たくなってしまうかもしれない。もしかしたら『なかったこと』にして日常を創るかもしれない。

 どちらにしても、碌なことにならないのは確かだ。

(でも、店長だし大丈夫だよね。)

 荒谷の歴代彼女は出るとこが出ている素晴らしい肢体の持ち主が多かった。アルバイト時代に何度かお店に来ているのを見たことがある。

 それを六藤も知っているから、不機嫌にはなってもぶちギレたりはしないと思いたい。間違いは起こらない。

「店長、今日はどうして水族館に?」

「ん? 下見だよ、下見。今度親戚のチビ共がこっちに来るもんだから。この辺で子供が好きそうなのっつったら、ここしかねぇだろ。」

「はあ……。」

 なんだか釈然としない。どうして下見といってあたしを水族館に連れてきたのだろう。あたしはてっきりお店で使う食材を見に行くから、付いて来いと言われたのかと思っていた。

「まあ、そういうのは建前で。本音を言えば多比良と遊びたかったんだよ。」

「?」

「なんか、多比良と日向の二人を見てるとな。ギクシャクしてるみてぇだったから。」

「え?」

 言われるほど、あたしと六藤の仲はおかしかっただろうか。

 六藤が若干ピリピリしているくらいなもので、ギクシャクはしてないはずだ。別れ話だって半月前に片は付いている。

「そんなにギクシャクしてました?」

「空気というか温度差がえぐいんだよ。六藤は爆発しそうで、でも多比良はどこか一歩引いてるような感じって言ったら分かるか?」

「なんとなく?」

 さっぱり分からないが、なんとなく相槌を打っておく。

「多比良の惚気だけ聞いてると分かんなかったけどな。二人揃ってみると、オレにも隙はあるんじゃないか? ってな。おっさんこう見えて、多比良のこと結構好きなのよ。」

「はあ……そうですか。って、え!?」

 最後に聞き捨てならない事が聞こえた気がした。

 荒谷があたしのことを好きというような内容が。

(待て待て、あたし! 店長だよ? 毎度からかってくる人なんだよ。どうせ人間として、とかいうオチがついてくるよ。)

 なんとか頭の中で理由をつけて、あたしは落ち着こうとした。しかし、そんなあたしを見透かすように荒谷は決定的な一言を付け加えた。

「もちろんライクじゃなくてラブの方で。」

(え~っと。)

 完全にあたしの頭は停止してしまった。

「オレ、結構尽くす方だぜ?」

「あの、あたし……」

 こんなとき、なんと言えば良いのだろう。言葉がでない。

「分かってる。お前は真面目なヤツだからな。オレと違って、人のものだろうが関係なく攻めてくような人種とは関わりがないだろう? ったく、日向より先に惚れてたのにな。あいつ横からさっさと持っていきやがって。」

「う、店長。あたし、今日はその。」

 帰る、と紡ごうとしたあたしの唇を荒谷は人差し指で押さえた。

「ま、もう少し付き合え。日向よりいい男だって思って欲しいからな。」

 顔を赤くして動きを止めてしまったあたしはずるずると荒谷に引きずられていった。


 *~*~*~*~*


 この辺りで有名なレストランにあたしは連れて来られていた。

 先程からまったく味を感じられないまま食べている。何度かあたしも来たことのあるレストランで、美味しいのは知っているが、緊張で分からなくなってしまっている。

「そんなに緊張すんなって。別に今すぐに取って食ったりしねぇよ。安心しろ。紳士だからな。」

「わ、分かってます!」

「なんなら今は二番目でもいいぜ? すぐに一番になるからよ。」

「なっ、冗談はそれくらいにしてください。あたしそろそろ帰ります。」

 このまま荒谷と一緒にいたら流されてしまいそうだ。

 何と例えればいいのか分からないが、魔力のようなものがあると思う。吸い寄せられるような何かが。

 荒谷の言うようにあたしにも隙はあったのかもしれない。

 このまま六藤と付き合っていていいのか、そんな疑問を持って半月しか経っていないから、荒谷の誘惑に乗ってしまった部分はあるだろう。

 ただ、誘惑は誘惑でも、あたしの思っていたものとは大分違っていた。

 色恋ではなく、逃げ場としての誘惑だと思っていたのだが、あたしは案外モテていたみたいだ。

「店長はあたしのどこがいいんですか?」

「ん? 気の利くところとかだな。優しくて気配り上手。理由はこれで十分じゃないか?」

 まさか、本当に荒谷はあたしの事が好きなのだろうか。

 どうしても信じられない。あたしなんかのどこが良いのだろうかと考えてしまう。

 六藤のように理由もなく本能であたしを好きだと言ってくれる方がまだ信用できる。

「多比良はちっと日向に染まりすぎて、他の男が視界に入らなさ過ぎだろ。」

 言いにくそうに荒谷は言った。おそらく、おかしな関係だと言いたいのだろう。

 六藤の嫉妬深さは全世界で五指に入りそうなくらい特殊だ。荒谷のような大人にはそれが分かってしまう。

「今は強引に振り向かせようとか考えちゃいないが、多比良が限界になった時は、勝手にオレが助ける。共依存みたいになってたとしてもな。無理やり引き離す。だから、まあ。今は思うように日向を好きでいていいと思ってるぜ。」

 ホントは今すぐにでも自分のものにしたい、と苦く笑った荒谷にあたしは何とも言えない気持ちになる。

 これが今日言いたかったことだろう。あたしを好きだとか、そんな話よりも。

 ちゃんと、気付く人は気付いてしまう。

 あたしは異常でも良いと思っているが、周りの人はあたしを助けたいと思うだろうことにようやく気付いた。友人たちもあたしの為を思って六藤の異常性を指摘した。

 そのことは分かっていたが、今になってようやく実感できてしまった。

「日向はちっと変わっちゃいるが、悪い奴じゃない。だから、あんま言えねぇのが微妙なとこだよな。」

 そうですね。とあたしは相槌を打つ。

 その後、あまり言葉を交わさないまま荒谷の車で実家まで送ってもらった。


 *~*~*~*~*


 自分の部屋に帰ってから、あたしは六藤にメールを送ることにした。

 今日の事を伝えることにした。どんな反応を示すか試したいという下心もあるが。

『今日、六藤くんには黙って店長と遊びました。』

『ごめんなさい。』

 そんな風にメッセージを送ってみた。すると、すぐに返信が返ってきた。

 びくびくしながらメールを開く。

『会いたい。』

 たった一言それだけがあった。これでは怒っているのか悲しんでいるのか分からない。

 しかし、今はもう夜だ。この時間から出ると父になんて言われるか。

 あたしはかなりの時間悩んでから、一つ思い出した。

 謝罪をメールで済ませてはいけない。それは告白でも別れの時でも同じことだ。

 特に今回はあたしが全部悪い。六藤がどんな顔をしているのか分からないと、あたしも怖い。彼を失ってしまいそうで。

 あんなにあたしの事を好きでいてくれる人を失う、そう考えて身体を震わせた。

『どこに行けばいい?』

 あたしが返信すると、ちょうど六藤の家とあたしの家の中間地点にある公園を指定された。

 寝間着からあたしは普段着に着替える。

 そして家族にはバレないよう慎重に家を出て、あたしは公園へと歩き出した。

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