3 荒谷真二郎
待ちに待った四連休。あたしはウキウキしながら駅のホームに降り立った。やっぱり、地元が一番だ。
「梓。」
あたしはげんなりしながら後ろを振り向く。すると、満面の笑みを浮かべた六藤の顔があった。
新幹線で一駅の間だったが、六藤は異常なまでにあたしにべったりくっついていた。まあ、異常というか六藤は正常なのだろうが。
「六藤くんまで帰って来なくて良かったでしょ。連休なんだし、バイトとか入れてなかったっけ?」
月始めに六藤からメールで送られたシフト表では、大学生である彼はこの四連休全部に入れられていた気がする。
「うん? 俺も久しぶりに店長に会いたいなって思っただけだけど。」
六藤は店長を警戒しているようで、あたしが不用意にゲロってしまったあの日から、彼の前でしか店長にメールを送れていない。だが、あたしは言われた通りにすることが癪なので、自分の家ではこっそり送って送受信履歴を一部だけ消している。
こんな小細工が六藤に通じるとは思えないが、気休めでもやっておきたい。
「店長に変なこと言わないでね。あと、こっちにいる間はキスも嫌だから。もしエロいことしたら、あたし嫌いになるから。」
また、中村の時のようになってはいけない。
相手だって見たくもないものを見せられる苦痛を味わっているのだ。あたしの羞恥より、周りに配慮してもらわなければ困る。
そんなあたしに六藤は頷いた。
「勿論だよ。知り合いから梓のご両親に話が伝わったら困るからね。俺、梓とは結婚するつもりで付き合ってるから。悪印象は与えたくない。」
「結婚するかどうかはまだ分からないけど、変なことしないなら良いよ。」
色々、気が早いというか。あたしと六藤の温度差がひどい。
あたしは本当に六藤のことが好きなのだろうか。
うんうんと唸っていると、六藤の顔があたしの視界に入った。
「……梓は、結婚しないつもり?」
不安そうに問う六藤に、あたしは罪悪感を覚える。
「それは、ほら、ご縁だから。あたしが他の人を好きになることも、六藤くんが他の人を好きになることも有り得るでしょ?」
「ねぇ、梓は俺の想いを疑うの?」
細められた目は険しい光を浮かべていて、あたしは唾を飲んだ。六藤はかなり怒ってしまっている。
「気持ちは疑ってないよ! でも、未来は分からないから……不安で。ごめん。変なこと言った。六藤くんと結婚したくない、ってわけじゃないよ。」
「良かった。ちゃんと伝わってて。伝わってなかったら今度からどうしようかと思ったよ。」
そう言って微笑む六藤に、ぞくりと肌が粟立つ。そんな不穏なことを言わないでほしい。
*~*~*~*~*
手を繋ぐことは良いよね? と言われたので、手を繋ぐくらいは大丈夫と思ってあたしは『いいよ』と言ったが、六藤は元バイト先の店に到着してからも手を離すつもりはないらしく、あたしは六藤に手を繋がれたまま店内へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい! ……って、なんだお前らか。久しぶりだな!」
相変わらず元気そうな人だ。店長、荒谷はあたし達を見てニヤニヤと笑った。
「おうおう、お前ら相変わらずラブラブだな! ったく、独身の寂しいおっさんを苛めて楽しいか?」
ウソ泣きをするいい年をしたおっさんを、あたしは白い目で見る。荒谷はなんというか、一つのグループに一人はいる盛り上げ要員のような人だ。
「苛めてないですって。梓、こっち座る? できるだけ独身で女に飢えてる危険人物から離れたところにいてね。」
六藤はあたしの腰を抱いて、奥まったところにある席へと連れていく。六藤も荒谷と一緒になって冗談を言うので、なんだかんだこの店を気に入っているのだろう。
「ホントに日向はブレねぇな。多比良相手だと。」
しみじみとした様子で呟く荒谷にあたしは何だか気恥ずかしくなって俯く。高校時代から、六藤の態度はそこまで変わっていない。
「お前らうまくやってんの?」
「店長。注文いいですか?」
「……ホントに話聞かねぇな。はいはい、ご注文はどうなさいますか?」
少し、荒谷が可哀想になってきた。こんなに荒谷は可愛がっているのに、六藤は完全にスルーだ。昔からずっとこの調子で冷たい。
「マルゲリータとボロネーゼ、カルボナーラ。あとウーロン茶とリンゴジュース。以上です。」
「はい。いつも通りね。ちょっと待ってな、すぐ作る。」
キッチンに消えていった荒谷を見届けて、あたしは溜め息を零した。あたしをからかう時しか六藤は荒谷と絡まない。
「久しぶりなんだし、六藤くんも店長ともっと話せば良いのに。」
「……そうだね。俺は久しぶりだ。」
含みを持たされた言葉に、あたしはムッとなって口を開いた。
「まだ怒ってるの? 別にあたしが誰と連絡取ろうが、六藤くんには関係ないと思うんだけど。六藤くん余裕なさすぎだよ。あたしなんだからもっと安心してればいいのに。」
「梓だから安心できないんだよ。」
「……あたし、トイレに行ってくる。」
イラッとして、あたしは冷静を保つために席を立った。
「もう、もっとあたしを信用してくれたって……。」
トイレの便座に座って、あたしはグチグチと一人言を言う。
あたしは六藤の悲しそうな顔ひとつで、彼の要望すべてを聞いてしまいたくなるくらい、落とされているのに。どうして彼はあたしの気持ちを信用しないのだろうか。
はぁ、と一つ息を吐いてあたしはトイレを後にする。
そして席に帰る途中に、突然あたしの視界に影が差した。
「うおっ! あぶね!」
「へ?」
丁度、キッチンから出てきた荒谷と衝突しかけてしまった。
荒谷を避けようとして、体勢を崩したあたしは無様にも尻もちをつく。おしりが痛い。かなりのダメージだ。
「悪いっ! 多比良大丈夫か?」
「あたしは大丈夫です。料理は?」
お尻をさすりながら、あたしは立ち上がる。あたしのお尻より、料理の方が大切だ。
「形は崩れちまってるが、多比良と日向だし大丈夫だ。」
「ふふっ、良かった。」
他の客のものだったら申し訳ない。
それにしてもお尻が痛い。骨の部分を打ち付けてしまったようだ。痛みに顔をしかめるあたしを、荒谷は心配そうな顔をして見つめていた。
「多比良こそ、怪我ねぇか?」
「あたし丈夫なので。」
「丈夫に見えても、お前は案外弱っちいとこあるからな。ま、後で痛みがひどくなったら、オレが手当てしてやる。遠慮なく言いな。」
「あはは……。痛いのお尻なので、セクハラになりますよ。」
「馬鹿。役得だろ?」
にやりと笑ってみせた荒谷にあたしはくすりと笑った。
その後、席に戻ると六藤が不機嫌そうにあたしを見てきた。どうせ、荒谷と話していたのが気に食わないのだろう。
荒谷と目を合わせたら妊娠する、なんて冗談を言うくらいだ。
面倒くさい六藤は放置して、久しぶりの味に舌鼓を打つ。
「美味しい~!」
大抵のお店のパスタもピザも外れはないが、ここの料理は荒谷がこだわって作っているという事もあるし、青春時代の味といっても過言ではない。
「梓、写真撮ってもいい? 今の梓、すごく可愛いから。」
「……ダメ。なんか減りそうだもん。」
そんな悲しそうな表情であたしを見つめないで欲しい。
あたしは知っている。六藤のマンションはいいお値段のするところで、その中でも六藤は結構いい部屋に住んでいる。その部屋は一人暮らし用ではないらしく、何部屋もあって、その中の一部屋は毎回鍵がかかっていて、開かずの何やらになっているのだが、あたしはその部屋の中を一度だけ見てしまったことがある。
その部屋には丁寧に額縁に収められたあたしの写真が壁一面にあったのだ。あたしはどん引いた。ドラマの見過ぎだろうかと暫く立ち竦んでしまうほど。
そんなことがあったのに六藤のことを嫌いにならないあたしも大概ぶっ壊れているのだが。
今日の昼食代はあたしが払うと言い張って、六藤をなんとか押しきることができた。六藤がトイレに行ってくれている間に、あたしはレジへと向かった。
「今日は多比良か。しゃあねぇ、ちょびっとだけ割り引いてやるよ。」
「いえ! 今日こそ本当に大丈夫です!」
毎回のように割り引いて貰っていては、それ目当てで来ているように思われてしまいそうだ。本当にこのお店の味が好きで来ているのに。
必死に手を振り続けるあたしの手首を掴んで、荒谷はフッと笑った。その表情にあたしの心臓はドキッと音を鳴らす。
「独身の寂しいおっさんの奢りだとでも思え。可愛い娘に弱いのよ。特に多比良みたいな優しい娘にな。かっこつけさせろ。」
「う、あの。ありがとうございます。」
あまり耐性のないあたしをからかわないで欲しい。
赤くなってしまった頬を片手で押さえる。変な汗が出てきてしまった。
「そうだ、多比良。」
今思い出したという声を上げて、荒谷はあたしを見た。
「この連休で予定入れてない日ってあるか?」
お釣りを受け取りながらあたしは四連休の予定を頭に浮かべる。
「う、んと。確か明後日以外は予定は入れてないです。」
ほぼ身体と心を休めるために毎回帰ってきているので、明後日の六藤とのデート以外は家にいる予定だ。リフレッシュするためなのに、六藤に押しきられてデートの予定を入れてしまった。あたしは懲りずに六藤の弱った顔に落とされている。
「多比良、もし気が向いたらでいいから、ちょいとデートに付き合ってくれねぇか?」
「え? デートですか?」
ぽかんとあたしは口を開けた。