2 井手野下涼
「久しぶり、あず。」
待ち合わせ場所に三十分遅れで現れた従兄の姿に、あたしは眉を顰める。
「そんなに久しぶりじゃないよね、先月末ぶりだよね涼と会うのは。」
相変わらず、マイペースというか何というか自由な男だ。どうせ昨日も夜遅くまで起きていたのだろう。天才気質な涼は一つのことに集中すると、その他の事に無頓着になる。
そう、自分が相手を呼び出していても、だ。
「もう、今日はどうして遅刻したの?」
「ごめん、あずが薦めてくれたドラマ見てた。面白かった。ありがと。」
「それで遅れてちゃダメでしょ。……面白かったんなら良かったけど。いい加減怒るよ。」
「ほんとごめん。今度から出るときに連絡する。いつもあずを待たせてばっかりじゃ情けないし。」
「うん。そうして。あたしじゃないと誰も涼のこと待たないと思うよ。」
この従兄が相手でなければあたしも三十分待ったりしない。幼いころ親戚が集まった時によく面倒を見てもらっていたので、親戚の中では一番仲が良い人だ。
「で? どこ行くの?」
メールでは「久々にあずと話したいな、明日ひま?」と来たので、六藤から逃亡するためにも涼と出掛けることを選んだ。
一昨日、中村と出掛けたときに『他の男の前で可愛い顔をしたお仕置き』をすると宣言されたあたしだが、疲れも溜まっていたので、前に結婚するまでしなくていい、って言ったよね? と脅してみた。
だがしかし、その脅しの効果は全くの逆効果だった。
そっか、と言って無言になった六藤の奴は距離を徐々に縮めてきてあたしをベッドの上に押し倒し、それはそれは時間をかけて、六藤に慣らされた身体をねちっこく丁寧に溶かした。流されるがまま、いつも通りの週末を過ごして、翌朝に六藤は『今、一週間我慢してこれなんだから、梓の言うように結婚まで我慢ってなったら……。ちょっと自我が持つか分からないな。でも、梓の望みは叶えたいから頑張って我慢するよ。梓のお願いなら何だって。』と仰られた。
少し考えてみて、六藤に我慢をさせたら後が大変ということに辿り着いたあたしは泣く泣く今まで通りで良いと六藤に伝えた。
すると、『二週間に一回でいいよ、梓の身体が限界なの分かってたのに俺気付いてないふりしたんだ。梓の心は繋ぎ止められないから不安で、せめて身体だけでもって思った。でも、梓が辛そうにしてるの見ると罪悪感があって……それに、梓に嫌われたくないって気持ちもある。だから、二週間に一回が良いかなと。』と真剣な顔をして言ったのだ。所々、聞き捨てならないセリフもあったが、諸々の欲の塊である六藤があたしの身体を気遣ってくれた事が嬉しかったので忘れてあげることにした。
六藤とそういうことをする自体は嫌だと思った事はないので、体調を考えてくれるのなら何も言うことはない。
しかし、あたし的には三週間くらいの間隔は欲しかった。六藤に触れられると数日間はずっと身体がおかしなことになるので、二週間だと困る。
そんな要望を伝えてみると、次の日の朝に起き上がれなくなっても良いなら構わない、という返答を頂いた。
(六藤くんはあたしをどうしたいの!?)
あたしもさすがにキレて、今現在六藤からの接触を断っている。メールも電話も無視。しかし着信が多すぎて他の人と連絡が取りずらくなったので、電話は着信拒否設定にしてメールの方はブロックしている。
あたしのアパートの場所も勿論知られているので、今日からは友人の家に泊めてもらおうと思っていた。
でも、折角従兄である涼と会えたので彼の家に泊めてもらおう。
親戚が近くの大学に通っていて良かった。涼はあまり人の事情などを気にしないので、友人のように根掘り葉掘りあたしに聞くことはしないだろう。親戚のところに家出なら六藤と仲直りした後も問題にはならないはずだ。
(頼れる人がいるのは心強いな。涼って意外に面倒見が良いのよね。)
*~*~*~*~*
「彼氏と喧嘩してるからアパートに帰りたくない。しばらく涼の家に泊まっていい?」
食事中、会話が途切れた隙間で涼にお願いをしてみた。すると、丁度水を飲んでいた涼は口に含んでいたそれを盛大に吐き出し、信じられないというような顔をしてあたしを見つめた。
「涼、大丈夫?」
「ちょっと待って、あずって彼氏いたっけ? 初耳なんだけど。」
「だって、涼以外の皆口軽いんだもん。従兄弟たちに言ったらお父さんにバレちゃう。皆にからかわれるのも嫌だったし……。」
あたしの父はそれなりに自分の子供のことを大切に思っている。もし、大事な一人娘に悪い虫という名の彼氏がいたら、強いショックを受けるに違いない。優しい父には心労を掛けたくないので今は気付かれるわけにはいかないのだ。
涼以外の従兄弟連中に『彼氏がいる』と知られてしまったら、あの子らにとって絡みやすいあたしの父は格好の玩具になってしまう。それだけは避けたかった。
「あずってさ、その彼氏と何ヵ月付き合ってる?」
「ふふん。何ヵ月単位じゃないよ、二年も付き合ってるの。」
どやぁ、とあたしは嫌な笑みを浮かべる。初めての彼氏で二年も付き合っているのはまあまあ凄いことのはずだ。少々性格に難があっても、六藤は結構まともな考えをした人なのでまあまあ自慢できる。
「そんなに!?」
「え、うん。」
普段あまり声を荒らげない涼が素っ頓狂な声を上げ、驚愕に目を見開いている。彼の中であたしはどんな人間だと思われているのだろう。あたしだって隠し事の一つや二つその気になればできる。そんな、少し悪い女に成長している最中だ。
「全然気付かなかった……。」
驚愕の事実に打ちひしがれている涼の姿を見てあたしは少し楽しくなり口角を上げた。
「あたし女優だったでしょ?」
「なんか、あずのくせに生意気。いつの間にあずを好きになるような勇者が現れたんだよ。」
「勇者って、あたし魔王ってキャラじゃないよ。どちらかというと彼の方が……っ。」
そこまで言いかけて、あたしは慌てて自分の口を両手で覆う。六藤の能力と思考は魔王のようだが、涼に魔王のような奴と付き合っているとわざわざ言わなくていいだろう。余計な心配をかける。
「まあ、とにかく。大喧嘩をしたので、今は彼と顔を合わせたくありません。大学だと学部も違うし、授業の時間が微妙にずれていて問題はないのですが、家は知られているので、そこで待ち伏せされている可能性があります。ですので、どうか哀れな従妹のために寝床を提供していただけると嬉しく思います。できたら一週間程度……じゃ足りないので、ほとぼりが覚めるまでの間。」
「あずが大喧嘩って珍しいな。他人には遠慮がちなのに。」
「………………。」
涼の言うように、あたしは気が強い方ではあるが他人との衝突はできる限り避けたいのが本音だ。喧嘩は基本的に売られない限りは始めることはない。
だから長い付き合いの涼には、彼氏という所詮他人という関係の相手と大喧嘩をしたあたしが珍しいらしい。
流石に大喧嘩の内容は、従兄といえど異性の涼には教えたくないので、適当なことでも言っておこう。
あたしが大喧嘩をして顔も見たくなくなるような所業とはどんなものだろうか。本当の理由は恥ずかしすぎるので遠くかけ離れた理由の方が良い。
みそ汁は白みそか赤みそかで口論になった。だと馬鹿らしすぎて笑えもしない。
浮気をされた。だと力づくで別れさせられるだろう。涼にとってあたしは可愛がっている大切な従妹なので。
実はとんでもないマザコンだと知った。これだと涼と六藤が会った時に簡単にバレてしまう。何しろ六藤はあたしにゾッコンなのだ。目と耳の良い六藤があたしを見つけて、彼と涼が会ってしまった時、あたしがその場を迅速に離脱するためには、マザコンという嘘は少し使いづらい。少しでも長く逃亡したいあたしには扱いづらいものだ。
ここは無難に浮気の疑惑がある。くらいがちょうど良いだろう。六藤と涼が会ってしまっても『何も聞きたくないわ!』といって嘘泣きをしながら逃げられる。現実に六藤は浮気をしていないので、嘘をバラしたときに責められるのはあたしだけになるはずだ。
「その、あれだよ。浮気じゃないんだけど、女の子のいる飲み会に黙って行った挙句に、朝まで連絡が取れなくて、次の日いつも着てくる上着に女物の香水の移り香がしたから。流石のあたしでもここまでされたら怒るよ。」
「は? それもう浮気だと思う。あずがいるのに何でそんな真似。その彼……クズ野郎どこの誰か教えて。絞めてくる。」
まずい。調子に乗って話を盛り上げすぎてしまったようだ。無表情でドスの利いた声を出す涼は、天才特有の浮世離れした空気感と相まって妙に迫力がある。早く嘘を修正しないと大変なことになってしまう。
「や、大丈夫。その、何ていうかな。あっ、いつものことだから大丈夫だよ!」
「いつもの、こと……だって?」
大変なことになってしまった。もう、どういう風に収拾をつけたものか。
普段泥沼なドラマばかり見ていたから、ついついよくあるセリフを言ってしまった。夫に何度浮気されても情を捨てきれない哀れな女のような。
「あず、そいつがあずのこと諦めるまで何ヵ月でも居ていいから。そんなクズのことは忘れて、浮気癖のない人を探そう。」
「あ、あはは。ありがとう助かる。」
涼のところに転がり込むことはできたが、あたしの彼氏の印象が最悪になっている。
涼には六藤と仲直りした後、嘘を吐いたことを真っ先に謝ろうと心に決めた。
おそらく、昔みたいにデコピン数発をお見舞いされることだろう。