あたしと俺の感情
目に見えない鎖で繋がれたら、もう逃げられない。
それは言葉だったり、心だったり、簡単には壊れてくれないもので。それが何とも忌々しい。
あたしはあいつに繋がれている。
*~*~*~*~*
あたしは多分、幸せな人間なんだと思う。
両親も仲がいいし、運動も勉強もほどほどに出来る。信頼できる友達もそれなりにいて、飛びぬけた何かは持っていないけど、あたしの世界は平凡で、だけど幸せで満たされていた。現状にあたしは満足していたのだ。
でも、その平凡な世界にある日非凡なものが現れた。
六藤日向。
いかにも優男といった風の、誰からも親しみを持たれそうなあたしの『彼氏』。あたしの世界で唯一非凡なもの。簡単にいうとハイスペックなイケメン。頭はいいし、顔も芸能人クラス。女にはもちろん、男にもモテモテ。
男女として付き合い始めたのは大学からだけど、普通の付き合いなら高校から。同じ高校というわけではなく、バイト先が同じだっただけだ。
同い年だけどバイトではこいつが先輩であたしは後輩で。その頃のあたしは六藤の本性を知らなくて、ただ面倒見のいい人だとしか思わなかった。要領の悪いあたしに苛立たずに、優しく厳しく指導してくれる。
それに、夜は危ないと言ってあたしの家の近くまで送ってくれて、本当に同級生かなってくらい気遣いができて、そんな彼を尊敬していた。
だから、あたしのことを好きだと、付き合ってくれと言われたときあたしは頷いた。まあ、それはあたしの人生の中でも五指に入るレベルの間違いだったと、ようやく分かったときには既に手遅れで二年も経過していた。
『俺をこんなにしたのは梓だよ。』
そう一言、六藤が言ったなら。あたしはもう動けない。
この状態はまずいと思いながらも、こんなにあたしのことを思ってくれるなんて、と我ながら妙な反応をしてしまう。
毎朝、今日こそ六藤と別れる。と決意を固めているが、気付いたら一日が終わってしまっている状態だ。
別れるのがこんなに難しいとは思わなかった。
六藤の世界の中心にあたしは居るらしい。大袈裟でもなんでもなく、あたしの為ならどんなことだって出来てしまう。ちょっとおかしいなくらいの頃はまだ平和だった。自分のモノに対する執着心が強いのは知っていたから、そこまで六藤がおかしいなんて気付かなかった。
友達と集まった時に大抵が恋の話になるのだが、以前話の流れで六藤の話をしたことがある。
その友達は最初の方こそ「まじ? 梓にべた惚れじゃん! 羨ましいわ。」という反応だったのに、最後の方になると「早く別れなって。そいつ危ないよ。」となる。
その時になって初めて、六藤がとんでもない束縛魔だということを認識した。
やきもち焼きなんて可愛らしいものじゃない。嫉妬や束縛といったものが服を着て歩いているようなものなのだと。
六藤がとんでもない野郎ということに気付いたあたしは、とりあえず別れることに決めて、次の日には早速奴を呼び出した。場所は大学の構内でも人気の少ないところへ。
数時間後――。あたしは六藤の腕の中で随分とねちっこいキスをされていた。
何がどうなったか分からない。『別れたい』と言ったあたしに、六藤は笑顔を見せてくれた。だから、六藤もあたしと別れたかったんだなと思い、その事には少し泣きそうになったが、別れると言い出した手前泣くわけにもいかず、あたしは六藤の最後の言葉を待っていたのだが……。
「梓は全然分かってくれないね。俺だけが梓のことを好きみたいだ。ねぇ、梓。俺といてそんなに嫌だった?」
そんな風に捨てられた子犬みたいな切ない顔をされて、ちょっと申し訳なくなった。
嫌ということはないと思う。少し怖いと思うだけのことで。
そもそもあたしは至って普通の家庭に育った人間だ。
ある程度の執着心は持ち合わせているが、六藤ほど強くはない。だから、あたしと六藤は釣り合っていないと思うのだが、六藤はそう思っていないようで、呆れるくらいあたしが好き。
自分で言っていて恥ずかしいのだが、本当に気のせいでもなんでもなく六藤はあたしを大好きだ。
こんなに想われているのに別れるのは正直、罪悪感がすごい。あたしは自分で思っているよりお人好しなようで、可哀そうなくらいあたしに酔っている六藤を突き放すことが難しい。なんともダメダメな人間だ。
「梓? もしかして変な女共になんか言われた?」
「や……そんな事はないよ。ちゃんと自分で考えたから。」
「ねぇ、それ本当?昨日馬場雛子と川田有沙からなんか言われたんじゃないかな。」
ああ、なんで雛子と有紀と遊んだことを知っているのだろう。昨日たまたま二人と会って急遽遊ぶ予定になったのに。
「ああ、ごめんね? 怖がらせちゃったか。」
六藤があたしの背中を撫でるたびにぞくぞくとしたものが這い上がってくる。それが恐怖からなのか、官能からくるものなのか、もうあたしには分からない。
「六藤くん。なんで知ってるの?」
ようやく出したあたしの声は掠れていて、その時になって自分の喉が渇いていることに気付いた。
「なんでって、俺が梓を大好きなだけだよ。梓のこと全部知りたいって思っちゃ駄目? 梓は嫌なの? まぁ、自分でも少しおかしいと思う事もあるけど……」
言葉を止めて、六藤はうっとりとあたしを見る。嫌な予感がしてあたしは目を伏せた。
「俺をこんなに狂わせたのは、梓がそんなに可愛いからだよ。」
あたしがそうしたんじゃない、と思って何度か言ったこともある。でも六藤はあたしの話を聞こうとしない。もちろん、普段はどんな些細な悩み事にも真剣に耳を傾けてくれる。でも、この事になると途端に耳が遠くなるらしい。
あたしの性格を知っていて、わざとそんな言葉を選んで縛り付けてくる。
そして、分かっていてもあたしは六藤を突き放すことはできない。大人しく六藤の腕の中に囲われているのだ。
「毎日、毎日。不安なんだ。誰かに盗られるんじゃないかって。ごめんね梓。こんなに余裕のない彼氏で。」
どうして梓なんかを『盗られる』と思ったのか。普通は逆だろう。
異性として魅力的な六藤の方こそ、いつ美女に盗られたっておかしくない。平々凡々の梓なんて美女の前では道端の石ころ、いやその目にすら映らない存在のはずだ。
「大丈夫だよ。あたしなんて『盗る』価値もないから。そこは心配しないで。」
「自覚がないんだね。それは好都合だけど。」
こめかみにちゅっと音を立ててキスされる。
日本人にしては珍しく愛情表現がストレートだ。どんどんあたしの体温が上がっていく。
「……六藤くん。そろそろ離してくれると嬉しいんだけど。」
「なんで?」
「暑苦しい……から?」
「…………そっか。ごめんね。」
六藤はあたしの方が謝りたくなるような、しょぼくれた顔をしてあたしに回していた腕を外した。
「あのね。とりあえず今の話はまた今度ということで……。次あたし授業があるから。」
「……そうだね。その方が良さそうだ。」
その言葉にうすら寒い何かを感じたが、あたしは気付かなかったことにしてその場を後にした。
*~*~*~*~*
俺の彼女はかわいい。その辺にいる香水臭い、自分が良い女だと勘違いした奴とは大違いで、謙虚すぎるけど偶に自信満々なところとか。
例えば、何かを説明するときに胸を張って俺を見上げる姿はもう襲ってしまいたいくらいだ。俺が適当に話を流したふりをしたら、むっとした顔で俺をじとりと睨んでくる。彼女は他人の前で滅多に感情を表に出さないから、そんな顔をされると俺が彼女の内側に入っているのだと確信できて堪らなくなる。
ただ、彼女には俺の前に好きだった男がいる。それも年季が入った片想い。小さなころからの想いを塗り替えるのは骨が折れた。
バイト先で彼女と初めて会った時、一目惚れというものをした。
多比良梓
必死にアピールしてみても彼女、梓は鈍い、というよりは自分なんかを好きになる人がいないと思っているようだった。
その理由が梓の実家の隣に住む黒澤拓人だった。あいつは梓が自分を好きなことを知っていて、翻弄しているようだった。おそらく、彼女が二十歳を超えたら想いを伝えて直ぐにどうこうなろうとしていたのだろう。条例的な問題で。
『ずっと好きだったけど、まだ未成年だったから伝えられなかったんだ。』
とでも言えば、あいつのことが好きだった梓はころりと行ってしまったはずだ。
黒澤は散々、梓の前で恋人の存在を匂わせ泣かせておきながら、本命は彼女だったのだろう。
確かに九歳差もあれば慎重にならざるを得ない。でも、黒澤はどうして梓が自分のことを好きでい続ける自信があったのだろうか。
いつだったか偶然黒澤と会ったとき、梓が俺と一緒にいるのを見て驚いているようだった。
梓の周囲の人間関係は調べていたから、黒澤が梓の想い人だったということは知っていたが、その時に梓本人から好きだった人だ、とこっそり教えてくれた。
そして梓の内緒話が聞こえた様子の黒澤は愕然としていて、俺は心の中で嗤ってしまった。
少し前まで黒澤のことを好きだと言っていたはずの、彼にとって本命の梓が、『好きだった』と言ったのだ。
――残念だったね。梓はもう俺のものになったんだ。
そう言って止めを刺してやりたいくらい、黒澤は未練たらたらで梓を見つめていた。彼女はその視線の意味に全く気付いていないようだったが。
一番厄介な敵は黒澤だが、他にも俺の大事な彼女を狙う敵はいる。
まず、大して脅威になり得ない中村晴希。彼は梓の高校時代の部活の後輩だ。多分、同じ部活の人間は中村の思いに気付いていただろうと思うくらいに分かりやすい奴だった。わざわざ梓と同じ大学に入学してくるくらいだ。想いは深い。
次に、それなりに手強い井手野下涼。彼は梓の従兄弟で名門大学の大学院生だ。血の繋がりと幼い頃からの繋がりで、梓は彼相手に警戒心を抱いていない。少し押されたら梓は押しきられてしまうかもしれない、という不安はある。
そして、黒澤よりはマシな荒谷真二郎。俺と梓が出会ったバイト先の店の店長。この人は三十四歳ということもあって他の敵よりも余裕がある。大人の魅力とでもいうのだろうか。たまに梓もドキッとしているようだったから、黒澤の次くらいに警戒している人だ。
俺の敵は四人。でも、梓を一番深く愛しているのは俺に間違いない。梓の心も殆ど俺のことで埋まっている。あいつらに勝ち目なんてない。梓は優しいから、俺を突き放せない。
さて、どうやって逃げられないくらいに梓を囲いこもうか。
更新は不定期ですが、三月の中頃からは安定すると思います。




