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ユーディシアの伝道師・ルートA(1)

 『ウロボロス・レコード』の連載一周年記念として公開された、『ウロボロス~』の原型に当たる作品です。

 既存の拙作と比べても粗の多いものですが、些少なりともお楽しみいただけますと幸いです。

 

 その土地は荒漠に支配されていた。

 乾いた大地を舐めるように、一陣の風が吹く。

 吹き上げられた砂埃が、つむじを巻きながら、ぱらぱらと人々の顔を叩いた。

 その荒涼とした野の地面を踏みしめ、ゆっくりと歩を進める一団。

 槍の穂先を天に向けつつ歩いていく集団は、しかし何処か精気に欠けていた。

 武装し隊伍を組んで進む以上、彼らは戦闘を目的とする者たちに違いない。

 だが備えた武器は、それぞれでまちまちで、しかも粗末なものであった。


 ある者は、拵えこそしっかりとしているものの刃に錆びの浮いた槍を持っていた。

 ある者は、棒の先に頼りない刃物を括りつけたものを、それでも槍だと言い張るように携えていた。

 またある者は、納屋からそのまま取りだしてきた様な農具を槍代わりに構えている。

 剣を佩く者も、武器というよりも古道具といった体の物を帯びていれば良い方で、鉈や斧を替わりに手挟んでいる者がほとんど。

 あるいはただの木切れを頼りなげに震える両手で持つ者もいる。

 甲冑を纏った、如何にもな騎士・戦士の類は皆無。申し訳程度の胸甲を身に付けているのが少数。大多数は着の身着のままである。

 表情もこれから合戦に挑むにはうつろに過ぎ、あるいは過度な緊張に強張っていた。

 ただ両目だけが、荒んだ害意を含んで鈍く輝いていた。

 誰が見ても、正規の兵団とは思えない一団である。


 民兵。あるいは叛徒。

 彼らを表現するに、これ以上に適した言葉があるだろうか。


「本当に、やるのか?」


 のろのろと歩を進める集団の中で、誰かが呻くようにその言葉を漏らした。

 応えは無い。

 誰もが聞こえなかったかのように、聞こえなかったふりをするように、黙って歩を進めていく。


「なあ、本当に……やるのか?」


 焦れたように再度、上げられる声。

 声の主の隣に位置する男が、鬱陶しげに視線を寄越し、ついで口を開いた。


「今更、何を言ってやがる」


「だ、だってよぉ……」


 苛立ちを含んだ応答に、最初に声を上げた男が涙ぐむ。

 男たちが辺境の寒村を発って、既に五日が過ぎていた。

 荒れた土地を耕して得られる僅かな収穫。しかし、その過半を税として召し上げられる生活に我慢がならず、耐えかねたように武器を手に取った。

 目指すは領主がぬくぬくと暖衣を貪っているだろうその居城。

 もう奪われるだけの生活はウンザリだ。額に汗することも無く黄金の麦穂を掠める領主から、今度は俺たちがそれを奪い返す。

 力及ばずに誅されようと、黙って耐えるよりはマシである。干殺しにされるよりは、抵抗の声を上げて奴らの肝胆を寒からしめて意地を示そう――。

 そう決意した、はずなのであるが。


「だって、聞いてなかったんだもんよぉ……ただ戦いに行くだけで、こんなに辛いなんてよぉ」


 隊列を組み、足並みを揃え、目的地へと歩く。

 ただそれだけのことが、五日前まで鍬鋤を手にしていた男には辛かった。

 肉刺を潰しながら延々と続く歩行。脱落と脱走とを防ぐための冷たい監視の目。これ以上下は無いと思っていたものよりなお粗末な食事。

 全てが、決起の際には燃え上がっていた熱意を冷雨のように掻き消し、冷ましていた。


「帰りてぇ……村さ、帰りてぇよぉ……」


「泣き言を漏らしてるんじゃねえっ」


 他の面々に聞き咎められないよう潜められながら、しかし鋭く制止の声が飛んだ。


「もう、後戻りは出来ねぇんだ。俺らぁ、みんなもう乗っちまったんだからよ。村のカカァたちだって、この一揆にあれこれ手ぇ貸したじゃねぇか。

それを放っぽりだして、のこのこ村ぁ戻ってどうする? もし上首尾に終わってもおめぇは八分。悪く転がれば、諸共に打ち殺しよ。

やるっきゃねぇんだぁ。どっちみちよ」


 言い捨てて、一団の先頭を行く男に視線を飛ばした。


 ……その男は、集団の中でも際立って異質だった。

 粗末な野良着を纏う者が過半の中、その男の装束は旅塵に煤けながらも朧な夕日に光を反射している。

 絹をふんだんに使った衣服は、仕立てからして東部の村民に手に入る様な品物には見えない。

 一言で言えば、金が掛かっていた。

 顔立ちはというと、日に当たったことがあるかという程色白で、押し出しの強い鉤鼻がデンと顔の中央で目立っている。

 貴族か、あるいは富裕な学者。それが第一印象であろう。まかり間違っても、こんな農奴に等しい村民の群れに混じる人種ではない。


 だが、彼こそがこの集団の統率者だった。

 二か月前、奇妙な従者と二人連れで村に現れたかと思うと、流行病を鎮め、枯れ井戸に替わる新たな井戸を掘り、あれよあれよと村民に頼られる立場を占めてしまったのである。

 そして、東部全域を襲った飢饉で食うや食わずやに陥った人々に、この蜂起を持ちかけたのだった。


「俺らぁ、みんな賭けちまったんだよ。あの旦那にな」


「でもよ――」


 泣き言を漏らしていた男が、拗ねたように反駁を漏らす。


「――やっぱり、アイツぁどこか信じらんねぇよぉ。お前ぇだってなんべんも見てるじゃねぇか。

あの……薄っ気味悪ぃ色違いの目ン玉をさ」


 先頭を歩く男の双眸は、左右で色が違った。

 右の瞳は青。金色の髪と一揃いで、この国……いや、世界ではありふれたものだ。

 だが、左の瞳は煌々と輝く金。オッドアイだけでも奇妙と言えるのに、尋常の人間にはあり得ない瞳の色を宿しているのだ。

 他を圧する様な黄金色の眼光は、それだけで迷信深い目を合わせた村人たちに身震いを強いるには十分である。


「世話役だって侍らせてる娘っ子も、人形みてぇでおっかねぇしよぉ。オマケに教会の神様も信じてねぇ。

も、もしかすると、あの旦那ぁ山の魔物の化身でねぇか?」


「魔物、か……」


 あるいはそれでもいい、と農夫は思った。

 神への祈りを欠かしたことはない。田畑に恵みを。家族と隣人に息災を。倒れし者に冥福を。そう願い、教会の床に跪いた回数は数えきれない。

 その果てに至ったのが、この飢饉に追われての挙兵だった。


「構いやしねぇ。神様にゃ腐るほど祈ってきて、その挙句が野垂れ死にたぁ分が合わねぇだろうが。

もう魔物にでも何でもすがるっきゃねえんだよ。神様どころか、お貴族様も助けてくれねぇんだから」


 言い捨てると、会話を打ち切るように歩調を早める。

 ……集団の先頭が、荒野の地平線に騎影を認めたのは、それと同時だった。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「賊徒の数は、見える限りでおおよそ百。我が方の五分の一、といったところでしょうか」


 近侍の騎士からの報告に、戦装束を身に纏った領主が鼻を鳴らした。


「ふん。こんな辺境の土一揆にしては、随分と膨れ上がったものじゃないか」


 そう言い、忌々しげに膨れた腹を摩る領主。昨今の飢饉に見舞われたにしては、腹周りが随分と肥えている。

 飢餓状態の村々から収穫を根こそぎ奪ってまで、体型を維持した結果である。

 中央での政争で派閥の領袖が失脚したあおりを受け、この辺境の土地へ流されたのが三年前。

 都暮らしの贅沢が忘れられず、質の落ちた食事を量で誤魔化すように暴食に走った末のこの有様である。


「農民風情が儂に盾突きおって……叛徒がこの数では、王都からの監査を誤魔化すのも骨だというのに」


 領主は、向き合った段階で既に戦後の処理について頭を巡らせていた。

 それもそのはず、碌な訓練も受けて来ず、貧弱な武装を手に持つだけで精一杯の武装農民に、小なりと言えど正規の兵団が遅れを取るはずが無い。

 数の上でも五倍に届こうという戦力差では、尚更である。


「確かに、面倒なことになりますね。見れば戦える男衆をほとんど駆り出した様子。根切りにしては、次の年の働き手に事欠きましょう」


「全くだ。ええい、返す返すも忌々しいっ」


 来季の収穫を思えば、如何に小癪な叛徒どもだろうと、皆殺しにして気鬱を晴らすことも叶わない。

 都落ちから続く不運を恨めしく思いながら、舌を鳴らす。


「首謀者とその男親、兄弟、息子は見せしめの車裂き。その辺りが手の打ち所か」


「女親や娘の場合は?」


「かかか。言わすでないわ。碌な恩賞も出せん戦じゃ。その分、お主らと兵どもは羽目を外すことを許してつかわす」


「はっ。……兵卒どもも、そのお言葉に意気を上げましょうぞ」


 暗い嗜虐の想像に顔を歪める領主たち。

 実入りが全く期待できない以上、せめてそれを埋め合わせる喜悦を絞り出さねば割に合わない。

 彼らが目前にした一揆勢に対して抱く感情は、狩の獲物に向けるそれと大差無かった。

 ……この時点に限っては。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「騎兵、三十。歩兵、四百。内、弓兵百五十。輜重はおおよそ七十と推測します」


 平坦な声音で領袖軍の陣容を報告するその声の主は、荒野の合戦場におおよそ似つかわしくない姿であった。

 とりわけ、戦場に辿り着くだけで草臥れかけた農兵側には、特に。

 黒いツーピースに純白のエプロン。極めつけには髪を飾るホワイトブリム。まるで貴族の邸宅で働くメイドのような格好の女性である。

 それが反乱を主導するヘテロクロミアの青年の傍に影の様によりそい、これから戦塵に塗れようとしているのだった。

 メイド姿の女性の報告に、その主にして今回の反乱の首謀者、ラルゴ・グリチナは鷹揚に肯く。


「単純な数はこっちの五倍。戦闘員だけで四倍強、か。辺境領主の家臣団とはいえ、中々の数じゃないか」


「だ、大丈夫なんですか? 錬金術師様」


 不安げな面差しで主従のやりとりに口を挟んできたのは、決起の中心となる村の村長の息子だった。

 ラルゴの口車に乗る形で一揆に参加し、ここまで若手を引っ張ってきたのが彼だった。

 が、いざ実際に領主の軍勢と向かい合うと、怒りと憎しみとで押さえこんでいた恐怖が蘇ったらしい。


「大丈夫だよ。多分。なあ、ドゥーベ?」


 話を向けられたメイド、ドゥーベはこくりと首肯する。


「はい。脅威度はおおよそD-。先立って駆逐した魔獣よりも評価は下です。敗率は無視できるレベルです」


「ほ、本当なのでしょうね?」


 村長の息子は、まだ不安が消えないらしかった。

 確かに、目の前の女性が以前に村を襲った魔獣を容易く退けた姿を目にしてはいる。

 けれども、自分たちの支配者とその尖兵との戦いは、それとは別の恐ろしさを感じさせた。

 ラルゴは笑う。


「まあ、大船に乗ったつもりで見ていなって。俺はともかく、ドゥーベは強いよ?」


「肯定です。私のコンセプトは一騎当千である故に、その半分程度の手勢に遅れを取ることは有り得ません」


 色違いの双眸を持つ青年は太平楽に振舞い、その従者たる女は無表情の中にも確固たる自負を覗かせる。

 事ここに至って、村長の息子は二の句を上げる気力を失した。


「君らは不安がることは無い。強がることも無い。ただただ武器を手に進めばいいだけだ。道は俺の従者が拓くよ。ただし――」


 亀裂が走るように笑みを深めながら、ラルゴは要求する。


「――対価として、成功の暁には君たちに『今までの神』を捨ててもらう。明日よりは俺の神の信徒だ。これだけは違えないでくれよ?」


「……」


 悪魔そのものの言葉に村長の息子が答えを返す直前、軍馬の嘶きが荒野に響いた。

 領主軍が仕掛けてくる。

 緒戦で一揆勢の先頭を馬蹄に掛けて動揺を誘い、後続の歩兵で押し包もうという魂胆だろう。


「と、向こうさんが仕掛けてきたか。じゃあドゥーベ。いってらっしゃい。金色の眼の加護を」


「……有り難き幸せ。行って参ります、ご主人様」


 応答が終わると同時に、ドゥーベは疾風の速さで荒野を駆け出す。

 瞬く間に両軍の先頭――三十騎の騎兵と一人の女の距離が縮まり、やがてゼロになる。

 荒れた大地に、ぱあっと血煙の花が咲いた。


「お、おい。本当にあのお嬢ちゃん一人で行っちまったよ……」


「流石に無茶なんでねぇべか?」


 余りにも無謀な形で開かれた戦端に、周囲の一揆勢が騒ぎ出す。

 村長の息子が、ぎこちなくラルゴの顔を窺う。


「れ、錬金術師様……」


「だから、大丈夫だって。ほら」


 そう言い、気だるげに前方を指差す。


「お、おおっ!」


「き、騎馬隊が……」


 如何なる奇跡か、魔術の類か。

 仮にも領主直属の騎兵たちが、瞬く間に磨り潰されていく。

 それも、ただ一人の女の力で、である。

 村人たちが非現実的な光景を認識し、次いでそれを現実のものと呑みこみ始めた頃合いを見計らって、ラルゴは声を上げる


「見ろ! 領主の手勢とて恐るるに足らずだ! これこそ我が信じ奉る神が、与えたもう恩寵!

さあ、道は開かれた。この奇跡を信じる者は、進め! 共に天道に背きし非道の輩を討ち果そうぞ!」


「「お、おおおぅ……」」


「「うお、おおおおおおおっ!」」


 一揆勢の兵が、初めて鬨の声を上げた。

 今まで自分たちを虐げ搾取してきた領主の軍勢が、ただ一人、ドゥーベの手によって蹴散らされている。

 摩訶不思議な光景への戸惑いと、怨敵が次々と死を賜ることへの歪んだ喜悦が溶けあった時、群衆の脳は理性を放棄した。


「「す、進めっ!」」


「「そうだ、進めっ!」」


「「殺せっ! 殺せっ! アイツらを殺せっ!」」


 高揚のままに、武器を携えた農民兵は歩調を速める。

 最早、戦いに怖じる民衆はそこにはいない。彼らは全て暴徒の群れへと変じ、圧制者への報復を期待して酔いしれていた。

 扇動者は命じる。


「信じよ、奇跡を! 我らは勝つ! ヤツらは死ぬ!」


「「我らは勝つ! ヤツらは死ぬ!」」


 果たして群衆は、その声に応えた。


「我らは、奪われた全てを取り戻す! 掠奪者には死を!」


「「掠奪者には死を!」」


「そして、信仰せよ! 正しき神は、黄金の創造神ブレイティスなり!」


「「神はブレイティス! 黄金のブレイティス!」」


 熱狂に支配された人々は、先頭をひた走るラルゴの言葉を、意味も解さぬまま繰り返す木偶であった。

 約束された勝利の美酒、その先んじて零れた一滴を舐め取っただけで、群衆はアジテーターの傀儡と成り下がる。

 教義も戒律も恩寵も知らないままに、異教の神の名を唱えながら、人々の群れは戦場に雪崩れ込んだ。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 戦場に、太刀風が吹き荒れていた。

 鉄を伴って大気が揺れる度に、領主軍の兵たちの四肢が血潮と共に宙を舞う。

 単騎で軍勢へと突貫したドゥーベは、感情の無い静かな相貌はそのまま、死の竜巻と化して荒れ狂っていた。


「ば、化け物だぁ!」


「なんなんだ、なんなんだよコイツは!?」


 三十名からなる騎馬隊が数度呼吸する間に壊滅。

 続いてドゥーベは歩兵隊の前衛に斬りかかる。

 剣風が薙ぐ度、装甲した兵士たちの身体が、熱したナイフでバターかチーズを切り取るように切断された。


「い、一体どうなってやがる!?」


「あんな馬鹿デカい剣、どこから出しやがった!?」


 殺戮をほしいままにするドゥーベの手には、彼女の身長以上の刃渡りを誇る大剣が握られていた。

 先程、単身で切り込んできた際には、目立つ武装を帯びていなかったはずなのに。

 まるで性質の悪い手品のように、どこからともなく巨大な鉄塊を取り出して、縦横無尽に暴れ回っている。

 理不尽な光景だった。

 歩兵の大部分は抵抗もままならず、少数の者が反撃を試みてもそれ以上の猛追に粉砕される。

 幸運にも刃圏から離れた位置の兵は、算を乱して死の化身から更に遠ざかろうとする。


「……ぎゃあああっ!?」


「前衛部隊、突破完了。後衛部隊、射程圏内。戦術的最優先目標、遠距離射撃兵の駆逐……」


 平坦な声で独語しつつ、ドゥーベは槍衾を抜けて後衛の弓兵部隊に襲い掛かった。

 壊乱状態にある歩兵の殲滅は二の次である。

 戦闘において、最も脅威となるのは飛び道具なのだ。

 手の届かぬ位置からひたすら攻撃を受け続ければ、死傷者の数は膨大なものとなる。

 騎兵の突撃力も恐ろしいが、初撃さえ持ちこたえれば反撃を喰らわせられる分、そちらの方がくみしやすい相手と言えた。

 そして何よりも、ドゥーベにとって自分の主へ危害を与えうる危険性の高い相手は、到底看過しえない存在である。

 故に、ここから加えられる蹂躙は、先程より迅速かつ苛烈で、何より徹底的だった。


「ぎゃぶっ!」


「や、やめ……ぐげっ!?」


 怒号も悲鳴も命乞いも一切を考慮することなく薙ぎ払い続ける。

 既にして手にした大剣は、血糊と脂とで切れ味を失っていたが、それでも超重量の鈍器として十分に殺傷に耐えうる。

 元より、大剣とはそうした殺し方のための道具なのだ。

 斬殺から撲殺へと手段を変えつつ、女中姿の戦鬼は目的を遂行し続ける。

 飛び交う矢玉は叩き落とし、兵は当たるを幸いに薙ぎ倒し、次第に本陣に肉薄していく。

 とうとう本陣前まで迫った凄惨な殺戮に、ようやく脅威を覚えた領主が短い悲鳴を上げた。


「だ、誰ぞ! あの化け物を討ち取らぬかぁ!?」


「は、はっ!」


 下知を受けた近侍の騎士が、弓隊を狩り続けるドゥーベへ躍りかかる。

 鬼神の如き敵の先兵を相手にして、無論恐怖が無いわけではない。

 だが、騎士には僅かなりとはいえ彼なりの勝算があった。


(女の身にしてその膂力と速さは見事! しかし――)


 弓兵の駆逐に気を取られているドゥーベ。その手に携えられた大剣目掛けて、全体重を乗せた槍の突きを見舞う。


「っ!」


 ギィン、と籠った金属音。続いてドスンと腹に堪える様な低い音を立てて大剣が地面にめり込む。

 騎士の放った槍の一閃が、ドゥーベの手から得物を弾き飛ばしたのだった。


「――天稟に驕ったな、女! 構えも握りも出鱈目故、不意を打てば弾くくらい造作も無い! 貰ったっ!」


「……」


 鋭い穂先が、華奢な胴体を貫かんとした。

 目先に現れた凶器に、しかしドゥーベの表情は変わらない。

 騎士はそれを驚愕故の硬直と受け取った。

 が、


 ――ゾブリ。


「な!? がっ……」


 果たして、死にいたる傷は騎士に与えられた。

 いつの間にか、ドゥーベの手には新たな得物として短槍が握られている。

 そこから伸びた柄は騎士の胴体に伸び、胸甲を貫いて穂先が内蔵を抉っていた。


(ば、馬鹿な……いつの間に……新しい武器を……はっ!)


 今わの際に思い出す。

 そう言えばこの女は、先程も無手のまま騎馬隊に迫り『いつの間にか持っていた』大剣で切りかかっていったのではなかったか。

 虚空から次々と武器を取り出し、人外の怪力で持ってそれを振るう。

 これを魔性の所業といわずして、何と言おう。


「化け、物……」


 憎々しげにそう言い残し、騎士は事切れた。

 ドゥーベは槍を振って、穂先に掛かった亡骸を、さも感慨無さげに放り出す。

 どさりと、領主軍の陣内に落着する死体。

 その呆気無い死に様に、残る兵達は更なる恐慌に駆られる。


「き、騎士様までやられたっ!?」


「だ、駄目だ! 勝ち目は無ぇ!!」


 誰もが我先にと逃げ出し、規律と秩序が完全に失われていた。

 そこへ、ラルゴ率いる叛徒たちが逃げる背に追い討ちを掛ける。


「逃がすな、殺せ!」


「お前らの税の所為で、俺んちのガキは飢え死にした!」


「オラの母ちゃんは、村の食い扶持減らすために姥捨て山行きだァ!」


「日頃の恨みぃ! 晴らさせて貰うぞ!」


「ぎゃあっ! や、やめ……ぐふっ!」


 装備も練度も頭数さえも劣るはずの民兵が、よってたかって兵士たちを甚振り殺す。

 軍隊と言えど人の集まりである。

 統制を取れずにいれば、数的優位を活かす戦術も失われる。恐怖に支配された錯乱状態では、訓練で培った武勇も半減する。

 その上で意気軒昂な暴徒の群れに雪崩れ込まれれば、ひとたまりも無かった。

 向かう先は一つ、……総崩れである。


「いたぞ、領主だ!」


「捕まえろ! 首に縄を掛けて引き摺り倒せ!」


「や、やめろ貴様ら! 儂を誰だと思って――」


 潰走する兵に見捨てられた領主は、哀れ叛徒たちによって囚われの身となった。

 首魁を虜とし、兵員の大部分は追撃を受けながらも逃走。

 僅か一戦を以って、この反乱は蜂起側の勝利となった。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「か、勝った……」


「信じられねぇ……」


「奇跡だ! 奇跡が起こったんだ!」


「解放万歳! ブレイティス神、万歳!」


 戦場であった荒野に、農民たちの歓呼の声がこだました。

 その光景に、村長の息子は信じがたいものを見るような眼差しを注ぎながら、呆然と呟く。


「ほ、本当に勝てるとは……」


「だから言っただろう? 大丈夫だって」


 先導者としての顔を引っ込め、開戦前と同じ茫漠とした顔で応えるラルゴ。


「これで君たちの望みは叶えられた。圧制を布いていた領主は、君たちの捕虜でしかない。

もう重税に喘ぐことも、横暴に怯えることにも、恐れる必要は無くなった。

事前に告げていた対価を払うことに、異存はあるまいね?」


「ええ……といっても――」


 チラリと、同胞たちの様子に目を走らせる村長の息子。


「信じれば奇跡は起こるんだな!」


「今まで何度祈っても救われなかったけど、ブレイティス様に祈れば報われるんだ!」


「新しい神様、万歳!」


「――僕らが言うまでも無く、彼らは貴方の言う『新しい神』を受け入れているようですけどね」


「そうだな」


 言って、鉤鼻を指で擦るラルゴ。

 そこへ、ドゥーベが静かに馳せ参じる。


「ご主人様。敵兵の掃討は大方済みまして御座います」


「ああ。後は村人の気の済むまで追いかけさせれば事足りる。討ち漏らしも、敢えて深追いする必要はないだろうな。

ドゥーベ、今回は本当によく働いてくれた」


「過分なお言葉、有り難き幸せ。しかし、戦闘中に恩賜の大剣を落とすという失態を演じてしまいました。……申し訳ありません」


 言いながら、深々と首を垂れるドゥーベ。

 表情に動きは無いが、跪いた姿勢は固く、許しの言葉があるまで動かないであろうことは明白だった。

 ラルゴはひらひらと手を振る。


「あー、そんなに気にすることでも無いだろう? 元より、多数の武装を状況に応じて取捨選択するのがお前の『コンセプト』だ。

お前自体が傷を負った訳も無いし、作戦は成功したじゃないか。それにアレは、元々安く手に入れた武器だし」


「……」


「それでも悔いる気持ちが収まらないっていうんなら、次の働きで頑張ってくれればいい。これから、領主の城も接収しなきゃならないしな」


「はっ。寛大なるご慈悲に感謝を。……では早速、次の任務に取りかかります」


 言い置いて、侍女姿の戦士は身を起こすと瞬く間に姿を消した。

 宣言通り、領主の居城へ向かったのだろう。

 既に主力が壊乱した後である。ドゥーベが今回見せた働きからすると、残余の兵力が籠る城は鎧袖一触だろう。

 ここからおよそ一日の距離にある場所で繰り広げられるだろう惨劇を思い、村長の息子はぶるりと身震いした。


「……凄まじい方ですね、あの女性は」


「ああ。よく出来た従者だろう?」


 そう言ってニタリと笑うラルゴの顔は、何処か皮肉げな表情に満ちていた。


「……っ!」


 不意に、ラルゴが左の眼窩を掌で覆った。


「? どうしたのですか?」


「……なんでもない。ちょっとした天啓の前兆さ。神がこの度の戦勝を寿ぐ言葉を下されるようだ」


 言って、ラルゴは村長の息子から数歩距離を取る。

 常人とは違う金の眼光を宿す左目。ラルゴはそれを『黄金の創造神ブレイティスの加護の表れ』として説明していた。

 神はこの目を通して下界を眺め、託宣の際は予めそこに兆しとして軽い疼きを起こさしめる。

 村長の息子は以前にその話を聞かされていたこともあり、さして疑問も持たずに追及を控えた。


≪ほう。思ったよりも滑り出しは上々だな。良き手並みであるぞ、我が使徒よ≫


 耳を通さず、脳に直接語り聞かせる様な声が、ラルゴの頭蓋にこだまする。

 同時に、ぼうっと一人の男が彼の前に立ち現れた。

 男は若い青年の姿をしている。

 腰に掛かるほど長い金髪は荒野を吹き荒れる強風にも関わらず、穏やかにしどけなく伸びていた。

 端正で同時に威儀正しい容貌は、静かな頬笑みを湛えている。

 そして、その両目は眩いばかりの金の眼光を宿していた。

 ラルゴの片目だけの不完全な金瞳ではなく、完全に一揃いである。

 ……彼こそが黄金の創造神ブレイティス。

 錬金術師ラルゴ・グリチナが奉じる、知られざる異教の神だった。


(そういうお言葉は、もう少し落ち着いた所で聞かせてくれよ。今は布教の第一段階。人前でボロでも出たらどうするんだ?)


 しかし、ラルゴが彼に返す言葉は、到底信徒が祭神に向けるそれとは思えないほど砕けていた。

 その無礼に、しかし神の方もさして思うことは無いのか言葉を継ぐ。


≪これは私としたことが思慮に欠けていたな。しかしまあ、我らの会話は余人には聞こえん。

それどころか、この姿を謁する権能も我が使徒たるお前のみが有しているのだ。

お前が外界におかしな素振りを漏らさなければ済む話だろう?≫


(あんたが俺に、おかしな素振りをさせる様なツッコミどころを見せなければ、確かに問題は無いな。

……折角、村人たちがテンション上がった状態で宗旨替えに向かっているんだ。万が一にも、ここで疑問を持たれる様なリスクは避けたいんだよ)


≪そうか。以後、気を付けよう≫


 のんべんくらりとした神の言葉に、ラルゴは微かにかぶりを振る。

 そう言っておいてこの神が行状を改めたことは、全く無い。

 元々が人間とは全く違う原理で存在する知性なのだ。それに対して人間側の理屈で行動を是正するのは難しい。

 今度も無駄に終わるだろうな、と思いつつラルゴは神との交信を続ける。


(それより、村長の息子にあんたの啓示が降りてくるって言っちまったんだ。幸先良い戦勝の祝いに、何か有り難いお言葉でも伝えてくれよ)


≪よく出来ました、では駄目か?≫


(小学校の通信簿か!?)


≪ふむ。では、こういうのはどうだ? 今回の勝利に微力な君たちは何も貢献できていない。

決起を促したのは我が使徒であるし、最もよく働いたのはその被造物である。恩恵に驕らず、感謝の表れとして我が祭祀を盛大に取り行うべし。

具体的には豪華な聖堂でも建立して、大いに弾んだ喜捨を――≫


(はいはい。そう言うのをなるたけマイルドに伝えておくから。じゃあ、今回の交信はここまで!)


≪ま、待て。私も現世へ干渉する術を失って久しく無聊を囲っていてだな!? それをこうも無碍にあしらうのはどうかと――≫


(知るかっ!)


 強く念じて、ブツリと交信のチャンネルを力任せに断ち切った。

 無理くりに現世に回帰した反動で、馬車酔いにも似た酩酊感を味わうラルゴの顔を、村長の息子が恐々と窺う。


「れ、錬金術師様。神はなんと?」


「あー……『今回の戦勝、誠に天晴れである。今後とも村の祠堂に礼拝を欠かさぬように。汝らの篤い帰依が、我が創造の輪転を巡らせる力故に』と」


「おおっ! 心強いお言葉、しかと承りました。では、村の皆にも申し伝えておきます!」


 いかにも威厳を取り繕った様なラルゴの表情に、コロリと騙されてくれる。

 元々、ラルゴの説くブレイティスの加護に懐疑的だった村長の息子ですらこの有様だった。

 勝利とはかくも人を酔わせるものか、とラルゴは苦笑せざるを得ない。

 村長の息子が仲間たちの元へと駆け出すのを見送りながら、ラルゴは嘆息する。


「ま、今のところはこの程度で良いか。辺境の農村レベルじゃ、信徒を確保するだけで手一杯で教団施設の拡充は夢のまた夢だからな。

あの駄目神は後でうるさそうだけど、奪った城に新しく仮設の礼拝堂でも造れば、多少ご機嫌は取れるだろうし。

ったく、無い袖は振れないってのに高望みし過ぎなんだよな、アイツは」


 一人になったのを良いことに、愚痴愚痴と独語を繰り返す。

 その姿は異教の伝道師や類稀な錬金術師というよりも、くたびれきった宮仕えの官吏のそれである。


「ともあれ、これで最低限の拠点は確保できたけど、反乱で分捕ったもんだしなー。いずれ追討の軍も迎え撃たねぇと。

そうするとドゥーベだけじゃ手が足りないか。そろそろ新しいのも造っとかないといけないか。

いや、それにも限度はあるから、ちょっとは通常の兵隊の頭数も揃えなきゃだし。

あと獲得した信者の維持のためにも減税に、分かりやすい恩恵として……あー! やること多過ぎだろ!」


 ガリガリと頭を掻きむしりながら、今後のための布石を考えていくラルゴ。

 背負いこんでしまった仕事の多さに、彼は味方が勝利に湧いている中も暗澹とした思いを抱え続ける羽目になってしまったのだった。


「……なんで引き受けちまったのかなー、こんなしんどい人生。こんなことなら、あの駄目神と契約なんかしないで、大人しく死んどけば良かったかも――」


 その言葉は、発した本人以外に聞き届けられることなく、荒野の風に溶けて消えた。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 神聖歴一〇八四年、中秋。リヒテルラント王国東部辺境領の一郡、アンファングが叛徒により略取される。

 反乱の首魁は、ラルゴ・グリチナ。

 西方渡来の錬金術師、あるいは異教の神の使徒とも言われる謎の多い男であった。

 この年、大陸東方では飢饉による反乱が相次いでいたが、いずれも散発的なものであった。

 アンファングの反乱もその一事例に過ぎず、いずれは鎮圧の憂き目にあうであろうことは、疑いない。

 それは周辺諸侯、王国宮廷、あるいは市井の民に至るまで、共通の見解である。


 だが、誰が知ろう。

 この一事が王国のみならず世界の全てを巻き込んだ、大いなる運命のうねり、その端緒であることを――。

 

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