婦人の宴
ゆらり、幾多の蝋燭が妖しく揺れる。
橙の淡い光に照らされ、浮かび上がったのは、深紅の液体が並々と注がれたグラスを片手に、ガラステーブルで頬杖をつく婦人の姿。つくりもののように繊細な顔が、芸術的な笑みを浮かべていた。
小鳥のさえずりのような、澄んだ声が娘に告げる。
「ようこそ、宴へ。貴女は、百六人目のお客様」
真っ赤なドレスに身を包んだ目の前の婦人を、この界隈で知らぬ者はいないだろう。年齢不詳と評判で、透明感と張りのある肌を持つ美女だ。口元で艶めくルージュの色っぽさをひとたび自覚してしまえば、男女問わず誰もが彼女のとりこになってしまうと、もっぱらの噂だ。
一方、婦人の視線の先にいる娘はというと、特筆することもないほどの平凡な村娘。取り柄といえば、十六というこの若さくらいだろう。
そんな彼女がどうして、この高貴な美女のところにいるのかというと……数日前に突如舞い込んできた、ある一通の招待状があったから。
そこにはこの屋敷の住所と、今日という日付、現在という時間、そして簡単な招待文句が、流れるように端麗な文章で書かれていた。
――特別な宴に、貴女をご招待します。
どうして一介の平民であるわたしなどが、と娘は恐縮したが、彼女から招待状を取り上げ中身を読んだ両親がしきりに『行ってきなさい』と催促したので――おそらく、何かしらの下心あってのことだろう――娘は今宵、こうして出掛けることになったのだった。
「は、初めまして」
緊張に縮こまりながら挨拶文句を口にしようとすれば、その前にカタリ、と音がした。婦人が立ち上がったのだ。
コツ、コツ、コツ……。
ハイヒールの音を軽快に響かせながら、婦人がこちらにやって来た。娘よりずっと高い背丈の美女は、何が気に入ったのかは知らないが、非常に満足げな表情で娘を見下ろす。
「若々しいのね。とっても、美しいわ」
貴女に似合うわと、母親に半ば押し付けられるようにして着用したターコイズブルーのミニドレス。赤いマニキュアを彩った、ほっそりとした手が、娘の身に纏う可愛らしいドレスのフリル地に触れた。
「あ、ありがとうございます」
動機が止まらぬまま、ようやく絞り出した声は、案の定上ずってしまっていた。そんな娘の声色を聞いてか、婦人が可笑しそうに目を細める。
「可愛らしいわね。……さ、どうぞ」
そのまま中へと促された娘は、婦人について奥へ足を進めた。
先ほど婦人が頬杖をついていたガラステーブルの上には、料理皿とスープ皿、そして赤ワインが二人分置かれていた。先ほどまで娘は緊張のあまり気が付いていなかったのだが、意識してみれば辺りに焼けた肉の良い匂いが漂っているのが分かる。
「今日は貴女のために、特別なものばかり揃えたのよ。どうぞ、楽しんでいって頂戴」
促され、娘はテーブルと同じ素材でできた椅子へと座る。婦人もまた、その向かいにある椅子に座りながら、嬉しそうに続けた。
「最初はやっぱり、お料理からね。そこにあるステーキは、今日のために取り寄せたお肉を丸ごと焼いたものでね……脂の量も丁度良いし、とっても柔らかくて絶品なのよ」
湯気の立つ皿には、言葉通り大きなステーキが鎮座していた。食欲をそそる匂いに、ごくりと娘の喉が鳴る。
「隣のスープは、その肉についていた骨を煮込んで出汁を取ったの。そっちも絶品よ」
銀色に光るナイフとフォークを手に取り、娘はか細く「頂きます」と口にした。
「どうぞ。たんとお食べなさい」
艶めいた低めの声に後押しされるように、肉にナイフを差し入れる。彼女の説明通りそれはとても柔らかく、娘の握ったナイフはスッと容易く通った。
切り離された肉をフォークで刺し、一切れ口に運べば、口内にじわりと広がる脂。さほど咀嚼することもなく、繊維がほろほろと綻んでいく。味わったことのない不思議な食感に、娘の頬は無意識に緩んだ。
「美味しい……」
「喜んで頂けて、良かった」
婦人が、人の好い笑みを浮かべる。
娘の緊張は、徐々に解れつつあった。スプーンを手に取り、付随のスープをひと掬い口にする。澄んだ液体は口当たりがよく、婦人の言葉通りとても美味しかった。
気をよくした娘は、次にワインを口にする。普段からあまり酒を嗜まない娘であったが、舌の上で転がした時にふんわり漂った葡萄の香りは非常に好ましく思った。
普段口にするものとは全く違う、豪華で美味しい食事は、娘の胃袋と心をあっさり満たしていった。
食事を堪能した後、再び婦人に促され立ち上がった娘は、食事をした部屋の隣に位置する一室へ案内された。
小ざっぱりとした部屋の中心に、ベッドが一つ置かれている。
「こちらに、服を脱いで寝転がって頂けるかしら」
言われた通り、ミニドレスを脱ぐ。一糸纏わぬ姿で、娘はベッドへうつぶせに寝転がった。
空気が直に触れる背中へ、ふわりとタオルが掛けられる。
「少し、待っていてくれるかしら」
そう言って、婦人は部屋を出た。数分ほどで、壺のようなものを持って再びやって来る。
「特注のオイルよ。これで、マッサージをしてあげる」
何と、婦人自らが娘にマッサージを施してくれると言う。
「マッサージには自信があるの。きっと、あなたも気に入ってくれるわ」
壺からとろり、と手に液を垂らしながら、婦人が笑う。お言葉に甘えて身を委ねようと、娘はうつぶせの状態のまま目を閉じた。
間もなく、背にひやりとした柔らかいものが触れる。オイルを纏った婦人の手だろう。年若い娘のようにしっとりとした感触が、余計に心地よかった。
婦人の手が、少しずつ娘の身体を解す。背中から二の腕、臀部、太腿……全身を揉み解すようにしてオイルが広げられていくのを感じながら、娘は心地よさに微睡んだ。
鼻腔を満たすオイルの匂いは、オリーブだろうか。大して娯楽を知らない娘に、そこまでの判断はできなかった。
けれど、とても心地がいいことだけは事実だ。
そうして十数分ほど、娘は婦人の手製マッサージを堪能した。
「――さぁ、これで身体の疲れも解れたでしょう」
「はい、とても気持ちよかったです。ありがとうございます」
「どういたしまして。……じゃあ、そろそろお風呂が沸いたころでしょうから、入っていらっしゃい」
娘の身を起こし、バスタオルを巻かせると、婦人は次の場所へと娘を案内した。
言葉通り、そこは浴室だった。濃厚な薔薇の香りが、娘を包む。
「バスローブを持ってくるから、その間に入っていらっしゃい」
巻かれたバスタオルを取り、娘は一歩、中へと入っていく。薔薇の花弁が浮かんだ浴槽へ片足を踏み入れれば、程よく温かかった。
ぴちゃり、と軽い音を立てながら、娘は薔薇湯へ身を沈ませる。じんわりと、温もりが娘の全身を包んだ。
「熱くなかったかしら」
仕切りの向こうから、バスローブを持ってきてくれたと思しき婦人の声が聞こえる。
「いいえ、丁度良いです」
「それならよかった」
娘の答えに、弾むような婦人の声。少女のような反応が、年上であるはずなのにとても微笑ましかった。
十分な広さのある浴槽で全身を伸ばし、そっと腕を撫でる。先ほど婦人がオイルを塗りこんでくれた肌は、いつもより張りがあるような気がして、娘は嬉しくなった。
――頼んだら、またやってくれるかしら。
すっかり婦人に心を許した様子の娘は、鼻歌を歌いながらそんなことを考えていた。
ほかほかと湯気を纏いながら、婦人の持ってきてくれたバスローブに着替え、娘は浴室を出る。
時計を見ると、もう既に日を跨いでいた。
親に対し具体的な帰宅時間は告げていないものの、いい加減帰らなければならないと焦った娘は、家主である婦人にその旨を伝えようとする。が、娘がやってきた部屋に婦人の姿はなかった。
どこか別の部屋にいるのだろうか……。
そう思いながら、娘は一人、屋敷内をそぞろ歩く。
廊下を出て少しすると、後ろからコツリ、とハイヒールの音がした。その主が婦人だとすぐに察した娘は、安心したように微笑み、そこにいたんですか、と声を掛けながら振り返ろうとする。
首を横に向けたところで、シャンッ、と金属音が娘の耳をついた。何の音かと認識する間もなく、娘の喉を何かが駆け抜ける。
――喉元を氷柱がスッと撫でたかのような、冷たいのか痛いのか分からない、不可思議な感触。
刹那、娘の目の前がフッと暗くなった。
◆◆◆
全身から力が抜け、ぐったりと倒れ込む娘の身を、婦人は後ろからそっと受け止める。
その掻き切られた喉元に空っぽのワイングラスをかざすと、ポタポタと鮮血がしたたり落ちた。
健康的な美しい血の色に、婦人は口元を吊り上げ妖しく笑う。
「成功ね」
低い声で、呟いた。
――婦人の目的。それは、若い娘の鮮血だった。
年若い娘を殺してはその血を搾取し、自らの身に浴びせかける。ワイングラスに満たして、飲む。
そうすることで、自らの美貌が保たれると、彼女は本気で信じていた。
血を搾り取ったあとの屍にはあまり興味がなかったけれど、そのまま放置して腐らせるのももったいないと思ったので、料理に使うことにした。
肉はステーキに、骨はスープの出汁に。
パーティーで日常的に口にするような肉より、それは何倍も美味しく豪勢なものだった。新たな発見に、婦人の気持ちはさらに昂ぶる。
「綺麗になれて、さらに美味しいものが堪能できる。これほどまでに素晴らしい原材料が、他にあるかしら」
既に息絶えた娘――今回のターゲットを腕に抱え、婦人は期待に満ちた目をしながら軽く舌なめずりをする。
「早速、次の準備に取り掛からなくてはね」
ワイングラスに溜まった鮮血を飲み干し、婦人はニィッと笑った。
ホラーというか、ただただグロいだけの話になりました。…ホラー書いたの初めてなので、許してください。
このお話は、昔『七つの大罪』に関するショートショート集で『傲慢』をテーマに書いたもののリメイク版になります。
実在したハンガリーの殺人鬼で、『血の伯爵夫人』という別名を持つ女性バートリ・エルジェーベトをモデルにしています。




