ポンコツ認定のアイテム鑑定師、左遷先の呪いのアイテム処理班でもやらかしまして、偽善者だらけの公爵邸が焼けちゃいました。次は失敗しません!
私、リゼット・アーベルは、王立鑑定院の採用試験を受けています。憧れの、アイテム鑑定師になるための試験です。
試験室は石造りで、窓が高いところに一つだけ。机の向こうに座った試験官は、白い口ひげの、目の細いおじいさんでした。羽根ペンを持った手が、私の答えを書き取る用意をしています。
試験官が机の上に、小さな瓶を置きました。中で金色の液体が揺れています。
「この霊薬の効能を鑑定せよ」
私は栓を抜いて、匂いをかぎました。少し甘くて、少し薬っぽい。湯気は出ていませんが、体の芯が温まる感じがします。私はしっかりうなずいて、答えました。
「効能は、肩こり、腰痛、冷え性。神経痛にもよく効きます」
「温泉の看板か!これは万病を癒す霊薬だ!」
試験官の眉が、激しく上がりました。
万病。それは、すごい。私は瓶を両手で持ち直しました。
「では、たっぷり作って、みんなで入りましょう」
「飲む物だ!もういい!次!」
次は宝石です。手のひらほどの青い石を渡されたので、窓の光にかざしてみました。中で光が泳いで、きらきらします。とてもきれいです。
「この宝石の価値は...今、上がっています」
「今?」
「相場が。今が高値圏です。売りに出しましょう」
「売らん!これは王妃様所蔵の首飾りだ。城が買える品物だ!」
「では城も一緒に売りに出しましょう。今なら高く売れます」
「できるか!そんなこと!」
石は取り上げられました。試験官の額に、汗が一粒浮いています。部屋は涼しいのに。
試験官は引き出しから、黒い指輪を取り出しました。
「これも鑑定してみろ、どうせ何も見えんだろう」
たしかに見た目はただの指輪です。飾りも、彫りもありません。
でも、指先が触れた瞬間、指輪が氷みたいに冷たくなりました。頭の中に、文字が浮かびます。浮かんだ文字は、私の意思と関係なく口から出ていきます。
「【呪い。持ち主の罪悪感を記録する指輪。前所有者、王立鑑定院長。記録内容、試験結果の改ざん、賄賂の受領】」
「【部下への責任転嫁、経費の私的流用】」
「な・・・もっ、もういい!」
試験官が立ち上がりました。しかし私の口はなぜか止まりません。
「【先週の火曜、鑑定院の裏の宿で、奥様には出張と】」
「うわぁぁ! もう返せ!」
指輪は取り上げられました。試験官の手は、震えていました。試験官の顔は、指輪より黒くなっていました。羽根ペンは、まだ何も書いていません。
その日のうちに、私はポンコツ認定を受けました。合格通知と一緒に、配属通知が届きました。配属先は、王立呪いのアイテム処理班。貴族が処分に困った呪いの品を引き取って、鑑定して、解呪して、処分する部署です。呪いだけが見える鑑定師は珍しいので、処理班がすぐ引き取りたいと言ったそうです。
鑑定院の人はみんな、左遷先、と呼んでいました。
馬車の中で、私はしばらく落ち込みました。異世界に生まれ直してから、ずっと目指してきた仕事だったのです。窓の外を、王都の白い塔が流れていきます。塔は、だんだん小さくなりました。
でも、呪いの指輪は鑑定できました。奥様への言い訳まで、できたのです。呪いのアイテムばかりの部署なら、今度こそ役に立てるかもしれません。
私は背筋を伸ばしました。
◇◇◇
処理班の建物は古くて、窓が少なくて、廊下には「触るな」「開けるな」「絶対に近づくな」と書かれた箱が並んでいました。埃と、お香の匂いがします。お香は、たぶん呪い避けです。
「お前がポンコツ鑑定師か」
声をかけてきたのは、ひげの濃い大柄な男の人でした。腕を組んで、私を上から下まで見ています。作業着の袖に、焦げた穴がいくつも開いていました。
「はい。ポンコツのリゼットです」
「自分で言うな」
「では、鑑定師のリゼットです」
「それでいい」
男の人は、自分の胸を親指で指しました。
「俺はバルド。ポンコツの面倒をみる、ポンコツ上司だ」
「先輩も自分で言いましたね」
「俺はいいんだ」
「よろしくお願いします。先輩は、何を鑑定されるんですか」
「俺は鑑定はしない。運ぶ、燃やす、埋める。それが処理班だ」
「なるほど。つまり不用品回収ですね」
「違う。……いや、近いか」
先輩は少し考えてから、話を戻しました。
「お前、普通の物は見えないが、呪いなら見えるんだな」
「はい。呪いの由来なら、だいたいわかります」
「だいたい、か。どのくらいだ」
「六割です」
「低い!」
「ひぃぃ!き、気合でなんとかします!」
叫んでみましたが、先輩の声は大きいだけで、怖くはありませんでした。試験官のほうが、ずっと怖かったです。
「初仕事はセドリック公爵の屋敷だ。倉庫の呪具を片づけてほしいそうだ」
セドリック公爵。名前は知っていました。二十代半ばの若い当主で、身寄りのない人に住む場所と仕事を与え、身分の差を越えた屋敷を作った人権派の公爵として、新聞に何度も載っています。
「なぜ公爵様が、処理班に」
「クルーの心を守るために、屋敷の呪具を処分したいそうだ」
「クルー?」
「行けばわかる。俺もわからん」
先輩は荷馬車に、空の木箱を積み始めました。私も一つ持ちました。軽いです。
◇◇◇
公爵邸は、白くて明るくて、窓が大きくて、壁に紙がたくさん貼ってありました。
夢を応援する。すべての人に成長機会を。給与では買えない経験を。仕事は労働ではなく、自己表現。
紙は、廊下の端から端まで、隙間なく貼ってあります。
「先輩! 見てください! こ、この屋敷、壁が全部紙です」
先輩は、長いため息のあとで答えました。
「……標語だ。壁は石だ」
玄関ホールには若い貴族の人が二十人ほど集まっていて、全員が同じ角度で白い歯を見せていました。誰が誰だか区別がつきません。中央の一人が話し終えるたび、周りが同じ拍手をして、同じ言葉を繰り返します。
その中央の一人が、セドリック公爵でした。片手に、金の縁取りがされた魔法の水筒を持っています。歯が、いちばん白いです。
「ようこそ。我が家は、身分ではなくポテンシャルを重視するファミリーです。使用人という言葉は、ここでは使いません。彼らはクルーであり、仲間です」
拍手。
「この屋敷は、ソーシャルインパクトの実験場なんです」
拍手。
「そして私たちはウェルビーイングを最優先に、サステナブルに進んでいく」
拍手。
私は先輩の袖を引きました。
「先輩。ウェルビーイングとは」
「知らん」
「サステナブルとは」
「知らん」
「先輩は、わからないことが多いですね」
「多いのは、あいつの横文字だ」
先輩は、あごで公爵を指しました。
公爵の後ろに、背の高い執事さんが立っていました。髪をきっちり撫でつけて、顔に表情がありません。公爵が横文字を言うたびに、使用人向けに言い直す係のようです。
「公爵様のお言葉は、つまり、健康は自分で管理して、長く働け、ということだ」
「なるほど」
わかりました。わかった気がします。
公爵が私を見つけて、白い手袋の手で私の手を握りました。まっすぐ目を見て、名前を呼びます。
「リゼット嬢。あなたのような特殊なタレントを迎えられて光栄だ」
「私はタレントではなく鑑定師です」
「ふふ、いいね。そういうフラットなマインドが好きだ」
「フラット……私の顔が、ツルペタ顔ってことですか!?」
「素直、ということだ」
執事さんが言い直してくれました。褒められたようです。怒って損をしました。
「では公爵様は、素直ではない人には、フラットではないんですね」
公爵の笑顔が、一瞬だけ止まりました。
「言うな」
先輩が、後ろから小声で言いました。
「褒められたので、お返しをしました」
先輩は、もう何も言いませんでした。
そういえば前にも、こういう言葉をたくさん使う人がいた気がします。どこで会ったのかは思い出せません。きっとこの世界に転生する前のことだと思います。
廊下の隅で、若いメイドさんがモップを持ったまま拍手していました。目の下に隈があります。手首には銀の腕輪。よく見ると、廊下にいる使用人はみんな同じ腕輪をつけていました。そういえば、執事さんの手首には、腕輪がありませんでした。
公爵は、そのメイドさんの前を通るとき、目を合わせませんでした。有力そうな貴族には立ち止まって握手して名前を呼ぶのに、モップの人には視線を一度も落とさない。
うわあ、こういう人いたなぁ。
正直、そう思いました。
「先輩、あの方、うさんくさいです」
「思っても言うな」
「でも新聞に載っている善人です」
「そうだな」
「ということは、きっとすごい人なんですね」
「どうしてそこで納得した」※ ここ変えたい。
◇◇◇
倉庫は屋敷の地下でした。階段を下りると空気が冷たくなって、上の拍手の音が、遠くの雨みたいになりました。ランプは一つだけ。棚が奥までずらりと並んでいます。壁の紙は、地下まで貼ってありました。
「この棚だ」
バルド先輩が3番の棚を指さしました。
「小箱がいくつかある。開けて呪いの種類を確かめろ。比較的小さい呪いだ。危険がなければおまえの判断で解呪しておけ」
「解呪までしていいんですか」
「あぁ。解呪できた品は処理班が引き取る。研究材料だ。呪いの見本は、いくらあっても足りんからな」
「わかりました。がんばります」
「3番だ。3番だぞ」
「3番ですね」
入り口から執事さんが先輩を呼びました。書類の確認があるそうです。先輩は階段のほうを見て、私を見て、もう一度階段を見ました。
「すぐ戻る。3番の棚以外に触るな」
「はい! 3番以外に触ります」
「触るな、だ!」
「はい! 3番に触りません!」
先輩は口をあんぐり開けて、そしてゆっくり閉じました。
「……もういい。3番だけだ。触っていいのは3番」
先輩は何か言いたそうな顔で、出ていきました。足音が階段を上がって、消えました。
私は張り切って棚を探しました。
地下は暗くて、棚の番号は古い焼き印です。3、に見えるものを見つけて、私はその前に立ちました。あとで思えば、それは8の焼き印の、左半分が剥げたものでした。
棚の奥に、黒い箱がありました。
小箱ではありません。両手で抱えるほどの大きさで、蓋も側面も黄ばんだ呪符でびっしり覆われています。呪符の下から、古い木の札が半分だけ覗いていました。読めるのは一文字だけ。
小。
「小物、ですね」
私はうなずきました。箱は大きいですが、箱の大きさと中身の大きさは別です。小さい呪いの品を、小物とまとめて書いてあるのでしょう。呪符がこんなに貼ってあるのは、中身をなくさないためだと思います。先輩の言っていた小箱より、ずっと立派です。
呪符に指をかけると、ほろほろ剥がれました。百年くらい経った紙の手触りです。全部剥がすと、足元に黄色い紙の山ができました。鍵はかかっていませんでした。
蓋を開けると、中は黒い布張りで、真ん中がくぼんでいました。
くぼみに、古い銀の腕輪が一つだけ入っていました。
「あら」
小物、と書いてあったのに、大人の手首くらいある腕輪です。小さくありません。表示と中身が違うのは、よくないことだと思います。公爵家に言わないといけません。
腕輪を持ち上げた瞬間、頭の中に文字が浮かびました。指輪のときと同じ冷たさが、手首まで上ってきます。口が勝手に動きます。
「【呪い。奉仕を幸福だと思わせる。対象、公爵家の契約者。当初の用途、孤児と失業者の救済。現在の用途、夢追い支援制度の継続】」
静かな倉庫に、自分の声だけが響きました。
なるほど。
私は腕輪をながめました。奉仕を幸福だと思わせる。働くことへの不安を取り除いて、やりがいを与える腕輪です。使用人のみなさんがあんなに拍手していたのは、これのおかげだったのでしょう。とてもいい腕輪です。処理班にも一つ欲しいくらいです。
でも、呪いは呪いです。先輩に、解呪しておけと言われています。
目を細めると、腕輪の中に呪いの形が見えます。細い糸が何百本も、腕輪から天井のほうへ伸びていました。その真ん中に、「幸福だと思わせる」部分が、一本だけ太い糸で通っています。呪いの真ん中にあるものが呪いの原因です。処理班の教本の一ページ目に書いてありました。二ページ目は、まだ読んでいません。
私はその糸を、指でつまんで切りました。
ぷつん。
解呪は成功しました。
成功して、しまいました。
頭の上から、音が降ってきました。
ぱりん。
ぱりん、ぱりん、ぱりん、ぱりん。
屋敷中で、何かが割れています。天井の埃が、ぱらぱら落ちてきました。
「先輩、割れました」
先輩はいません。私は腕輪を持って、しばらく待ちました。誰も違うと言ってくれないので、たぶん合っています。
最初に倉庫へ駆け込んできたのは、廊下で見たメイドさんでした。手首の腕輪がなくなっていて、そこだけ肌が白く、腕輪の跡が輪になって残っています。息が荒くて、階段を駆け下りてきたのだとわかりました。
「私……どうして、ここで働いているんでしょう」
メイドさんは、私に聞いているようでした。私は答えました。
「お仕事だからだと思います」
「そうじゃなくて」
「お給料のためです」
「出てないんです、一度も」
メイドさんは、自分の手首を見ました。腕輪の跡が、白い輪になって残っています。
「では、ボランティアですね」
「……違います」
「では、インターンですね。公爵様がおっしゃっていました。経験は給与では買えないと」
「それが……それが、おかしいって言ってるんです!」
メイドさんの目に、涙が浮かんでいました。私は、何かを間違えたようです。腕輪を持つ手が、少し冷たくなりました。
続いて庭師さん、料理人さん、厩番の人。みんな自分の手首をながめています。誰の手首にも、同じ白い輪がありました。
庭師さんが言いました。
「給料を、下さいって言ったんだ。そしたら、金に執着する人間はコアメンバーになれないって」
厩番の人が言いました。
「辞めたいって言ったら、笑われた。夢から逃げるのか、って」
メイドさんが、小さく言いました。
「私、笑ってた。笑わされてた。一日十六時間、ずっと」
言葉が、床にこぼれていきます。誰も私を見ていません。みんな、自分の手首を見ていました。
私は腕輪を胸に抱えたまま、おそるおそる聞きました。
「みなさん、夢を追っていらしたのでは……」
メイドさんが私を見ました。
「夢じゃありません。母の薬代です」
彼女はエマという名前でした。三年前に薬代のために契約して、給料は一度も出ていないそうです。住み込みなので、ここを出ると母親も家を失う。だから出られなかった。話しながら、エマさんは自分の手首をずっと押さえていました。
私は腕輪を見ました。
「これは、働くのが楽しくなる腕輪では、なかったんですね」
「楽しくなるわけあるか!」
バルド先輩が戻ってきました。顔色が悪いです。階段を三段飛ばしで下りてきたみたいで、肩で息をしています。
「リゼット、お前、何を開けた」
「小物です。3番の棚の」
「8番だ! 封印指定の棚だ、中身は俺も知らん!」
「知らないのに、封印してあったんですか」
「知らないから封印するんだ!」
先輩の指が、私の手の中の腕輪と、足元の呪符の山と、開いた黒い箱を順番に指しました。全部、私がやったものです。
「では表示が間違っていましたね。公爵家に苦情を」
「言う相手はお前だ!」
「私ですか」
「お前以外に誰がいる!」
先輩は頭を抱えました。足元の呪符の山を見て、もう一度頭を抱えました。
そこへ、拍手が近づいてきました。
セドリック公爵です。後ろには白い歯の取り巻きが、ぞろぞろと。執事さんがその一歩後ろを歩いています。ランプの光で、二十人分の歯が光りました。
「素晴らしい。みんな、感情をアウトプットしているね。それも成長の一部だ」
拍手。
公爵は笑顔でした。少しも崩れていません。
「この屋敷は、誰もが成長できる場所だ。君たちは私の仲間だ。仲間なら、報酬を求める前に、貢献を考えるべきだろう?」
拍手。
執事さんが言い直します。
「公爵様のお言葉は、つまり、まず働け、ということだ」
使用人のみなさんは、動きませんでした。
誰も拍手しません。拍手しているのは取り巻きだけです。地下の拍手は、上のホールより小さく、乾いて聞こえました。
エマさんが、公爵の顔を見ました。まっすぐ、正面から。この屋敷で初めて、誰かが公爵をまっすぐ見た瞬間だったと思います。
「私たちは、あなたの仲間ではありません」
エマさんの声は震えていましたが、止まりませんでした。
「あなたに、働かされていた人間です」
公爵が、目を逸らしました。
視線は、エマさんの肩の上を通って、壁の標語に落ちました。すべての人に成長機会を。
取り巻きが、拍手しました。
「勇気あるアウトプット!」
「それも学びだ!」
「エマさん、ナイス!」
誰が言ったのかは、わかりません。全員同じ顔でした。
「先輩、あの方々は、何にでも拍手するんですね」
「見なくていい」
私は、そのときまだ、勘違いをしていました。
みなさんが本音を言えるようになった。悩みが晴れた。呪いを解いたから。つまり解呪は成功です。
私は公爵に駆け寄って、両手で公爵の手を握りました。絹の手袋が、また、ひんやりしました。
「公爵様、解呪成功です! みなさん、心のもやが取れたみたいです!」
「え」
「これ、屋敷の大切なお品みたいなので、お返しします。記念にどうぞ!」
私は銀の腕輪を、公爵の手首にはめました。
かちり。
「待て!」
先輩の声は、少し遅かったです。
公爵が手袋の上から手首をつかみました。
「……外れない」
公爵は引っ張って、回して、また引っ張りました。外れません。銀の腕輪が、手袋の白に吸いつくみたいに止まっています。私の頭の中に、また文字が浮かびました。
「【呪い。奉仕を強制する。対象、装着者。幸福機能、欠損】」
「欠損?」
公爵が私を見ました。私は、口を押さえました。
「あ」
思い出しました。私が切ったのは、真ん中の「幸福だと思わせる」糸だけです。腕輪の残りは、切っていません。
公爵の手首の腕輪は、幸せだと思わせてくれない、働かせるだけの腕輪になっていました。
「先輩。私、半分しか解呪していなかったみたいです」
「半分じゃない。幸せだと思わせる呪いだけ切って、働かせる呪いを丸ごと残したんだ」
「わかりやすいです」
「褒めるな」
公爵が、私たちの間に腕を突き出しました。
「外せ! 外してくれ!」
白い歯は、もう見えていません。私は両手で腕輪をつかんで、引っ張りました。
「痛い!」
「もう一度いきます」
「痛い!」
「やめろ! お前はもう何にも触るな!」
先輩に、後ろから襟をつかまれて止められました。
そのとき、床が赤くなりました。
使用人のみなさんの手首から落ちた腕輪の破片が、砕けたまま炭のように熾っていたのです。私の口が、勝手に動きました。
「【呪いの残り火。吸い上げた奉仕の熱。注ぎ先、喪失】」
注ぎ先。みなさんから吸っていた熱が、戻す相手をなくして、床にこぼれたようです。
破片は床を這って、私が剥がした呪符の山に移りました。呪符の山から、地下の壁の紙へ。
夢を応援する。
燃えました。
給与では買えない経験を。
燃えました。
紙は、よく燃えます。
「先輩、やっぱりこの屋敷、壁が紙でした」
先輩は、私を見ませんでした。火を見ていました。
火が壁を走った瞬間、いちばん速く動いたのは取り巻きでした。
拍手をやめて、全員が同時に出口へ走りました。誰も公爵を振り返りません。押し合って、踏み合って、白い歯をむき出して、あれだけいたのが十秒で階段の上へ消えました。
一人だけ戻ってきました。公爵の足元に転がった金縁の魔法の水筒を拾い、また走って消えました。この屋敷で一番高い物だったのだと思います。
「先輩、これは失敗でしょうか」
「見ろ。大失敗だ」
「どうしましょう」
「まあ、燃えたものは仕方ない。全員出せ」
先輩は使用人のみなさんを、外へ追い立てました。誰もが手首を押さえたまま、走って屋敷を出ました。私は最後に、エマさんの背中を押しました。
公爵は、燃え始めた地下で叫びました。
「消火を! 誰か、クルーは!」
もう、いません。
「仲間だろう! 仲間なら、報酬を求める前に貢献を」
腕輪が、光りました。
公爵の足が、勝手に一歩、火のほうへ出ました。公爵は、自分の足を見ました。
「な、なんだ、これは」
私の口が、勝手に読み上げました。
「【貢献への前向きな姿勢を確認しました】」
「執事、君が」
執事さんは、胸に手を当てて、きれいに一礼しました。煙の中でも、髪は一本も乱れていません。
「公爵様。私、本日をもって卒業させていただきます」
「卒業?」
「退職は卒業だ、おめでとう、と。公爵様がいつも仰っていた通りに」
そして執事さんは、火より速く出ていきました。取り巻きの次に速かったと思います。
火は紙から紙へ、階段を上って、屋敷中の壁に広がりました。私たちが庭に出たころには、近隣の領主さんと、王都の監査官さんたちが、馬で駆けつけていました。誰が知らせたのかはわかりません。窓から吹き出す炎の中で、燃え残った契約書が、庭に何枚も舞い落ちていました。一枚が私の足元に落ちて、エマ、という署名が読めました。
どうやら、かなり大変なことになっているようでした。
「先輩、大変なことになっているようです」
「今わかったのか」
◇◇◇
数日後、公爵家は解体されました。
屋敷と事業と使用人は、まるごと王立公益事業連合という大きな組織に吸収されました。新しい契約書には、給与の額と、週に二日の休みと、辞めたいときに辞められることが、大きな字で書いてありました。エマさんはその日、三年ぶりに給料をもらって、お母さんの薬を買いに行ったそうです。
公爵は、監査官の調べを受けて、強制労働、呪いのアイテムの私的利用、人格操作、そのほか余罪もろもろで罪に問われました。裁判で、公爵はこう言ったそうです。
「私は彼らに、給与では買えない経験を与えていた」
裁判官はうなずいて、判決を出しました。公爵にも、同じ経験を与える、と。
行き先は、北の雪国の開拓地でした。誰も住んでいない土地に、道を作り、家を建て、畑を起こす仕事です。給与では買えない経験が、たっぷりあるところだそうです。
腕輪は、外れないままだったそうです。
◇◇◇
ひと月ほどして、処理班に手紙が届きました。差出人は、連合から開拓地の担当官として派遣された、元の執事さんです。
公爵は毎朝いちばんに起きて、雪をかき、丸太を運んでいるそうです。休ませてくれ、と言うたびに腕輪が光って、体が勝手に働くので、開拓地でいちばん働く人になっている。前向きな自己変革を、毎日確認しております、と手紙にはありました。
エマさんは、連合で働いています。頬に少し肉がついて、目の下の隈は薄くなりました。給料日には、食堂でケーキを食べるそうです。
◇◇◇
私とバルド先輩は、焼け跡の最後の呪具を、荷馬車に積み終えました。木箱は、行きよりずっと重くなっています。
処理班に戻ると、机の上に手紙が山になっていました。
公爵邸の件が新聞に載ってから、毎日届くのだそうです。うちの倉庫にも呪具がある、見てほしい、という依頼です。先輩が束をめくりました。聖女様の教会。宰相のお屋敷。大商会の会長。王立鑑定院長。
一番上の一通には、王家の印が押してありました。封には、赤い字で、開封厳禁。
「先輩、私、役に立てましたか」
「役には立った。が、目立ちすぎだ。おかげでこんなに手紙が」
私は胸を張りました。
今回の仕事から、私は多くを学びました。教訓はきちんとまとめてあります。
「今回の教訓は、給与では買えない経験は、給与を払わない人からしか買えない、ということですね」
「まあ、そうだな」
「それと、仲間、と呼んでくる人ほど、お給料を払わない、ということですね」
先輩は手紙の束を揃えながら、うなずきました。
「そういう仲間もいる。でも、全部じゃない」
「そうですか。それならよかったです。ところで先輩。本当の仲間って、何ですか」
先輩は、少し黙りました。
「それは自分で見て決めろ。人に言われて決めるものじゃないだろ」
先輩は王家の印の手紙を、私に渡しました。
「次の案件だ。やるか」
「はい。次は失敗しません!」
私は、封に指をかけました。
作品を読んでいただき、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマ・評価で応援していただけると嬉しいです!




