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ポンコツ認定のアイテム鑑定師、左遷先の呪いのアイテム処理班でもやらかしまして、偽善者だらけの公爵邸が焼けちゃいました。次は失敗しません!

掲載日:2026/09/16

 私、リゼット・アーベルは、王立鑑定院の採用試験を受けています。憧れの、アイテム鑑定師になるための試験です。


 試験室は石造りで、窓が高いところに一つだけ。机の向こうに座った試験官は、白い口ひげの、目の細いおじいさんでした。羽根ペンを持った手が、私の答えを書き取る用意をしています。


 試験官が机の上に、小さな瓶を置きました。中で金色の液体が揺れています。


「この霊薬の効能を鑑定せよ」


 私は栓を抜いて、匂いをかぎました。少し甘くて、少し薬っぽい。湯気は出ていませんが、体の芯が温まる感じがします。私はしっかりうなずいて、答えました。


「効能は、肩こり、腰痛、冷え性。神経痛にもよく効きます」


「温泉の看板か!これは万病を癒す霊薬だ!」


 試験官の眉が、激しく上がりました。


 万病。それは、すごい。私は瓶を両手で持ち直しました。


「では、たっぷり作って、みんなで入りましょう」


「飲む物だ!もういい!次!」


 次は宝石です。手のひらほどの青い石を渡されたので、窓の光にかざしてみました。中で光が泳いで、きらきらします。とてもきれいです。


「この宝石の価値は...今、上がっています」


「今?」


「相場が。今が高値圏です。売りに出しましょう」


「売らん!これは王妃様所蔵の首飾りだ。城が買える品物だ!」


「では城も一緒に売りに出しましょう。今なら高く売れます」


「できるか!そんなこと!」


 石は取り上げられました。試験官の額に、汗が一粒浮いています。部屋は涼しいのに。


 試験官は引き出しから、黒い指輪を取り出しました。


「これも鑑定してみろ、どうせ何も見えんだろう」


 たしかに見た目はただの指輪です。飾りも、彫りもありません。


 でも、指先が触れた瞬間、指輪が氷みたいに冷たくなりました。頭の中に、文字が浮かびます。浮かんだ文字は、私の意思と関係なく口から出ていきます。


「【呪い。持ち主の罪悪感を記録する指輪。前所有者、王立鑑定院長。記録内容、試験結果の改ざん、賄賂の受領】」


「【部下への責任転嫁、経費の私的流用】」


「な・・・もっ、もういい!」


 試験官が立ち上がりました。しかし私の口はなぜか止まりません。


「【先週の火曜、鑑定院の裏の宿で、奥様には出張と】」


「うわぁぁ! もう返せ!」


 指輪は取り上げられました。試験官の手は、震えていました。試験官の顔は、指輪より黒くなっていました。羽根ペンは、まだ何も書いていません。


 その日のうちに、私はポンコツ認定を受けました。合格通知と一緒に、配属通知が届きました。配属先は、王立呪いのアイテム処理班。貴族が処分に困った呪いの品を引き取って、鑑定して、解呪して、処分する部署です。呪いだけが見える鑑定師は珍しいので、処理班がすぐ引き取りたいと言ったそうです。


 鑑定院の人はみんな、左遷先、と呼んでいました。


 馬車の中で、私はしばらく落ち込みました。異世界に生まれ直してから、ずっと目指してきた仕事だったのです。窓の外を、王都の白い塔が流れていきます。塔は、だんだん小さくなりました。


 でも、呪いの指輪は鑑定できました。奥様への言い訳まで、できたのです。呪いのアイテムばかりの部署なら、今度こそ役に立てるかもしれません。


 私は背筋を伸ばしました。


◇◇◇


 処理班の建物は古くて、窓が少なくて、廊下には「触るな」「開けるな」「絶対に近づくな」と書かれた箱が並んでいました。埃と、お香の匂いがします。お香は、たぶん呪い避けです。


「お前がポンコツ鑑定師か」


 声をかけてきたのは、ひげの濃い大柄な男の人でした。腕を組んで、私を上から下まで見ています。作業着の袖に、焦げた穴がいくつも開いていました。


「はい。ポンコツのリゼットです」


「自分で言うな」


「では、鑑定師のリゼットです」


「それでいい」


 男の人は、自分の胸を親指で指しました。


「俺はバルド。ポンコツの面倒をみる、ポンコツ上司だ」


「先輩も自分で言いましたね」


「俺はいいんだ」


「よろしくお願いします。先輩は、何を鑑定されるんですか」


「俺は鑑定はしない。運ぶ、燃やす、埋める。それが処理班だ」


「なるほど。つまり不用品回収ですね」


「違う。……いや、近いか」


 先輩は少し考えてから、話を戻しました。


「お前、普通の物は見えないが、呪いなら見えるんだな」


「はい。呪いの由来なら、だいたいわかります」


「だいたい、か。どのくらいだ」


「六割です」


「低い!」


「ひぃぃ!き、気合でなんとかします!」


 叫んでみましたが、先輩の声は大きいだけで、怖くはありませんでした。試験官のほうが、ずっと怖かったです。


「初仕事はセドリック公爵の屋敷だ。倉庫の呪具を片づけてほしいそうだ」


 セドリック公爵。名前は知っていました。二十代半ばの若い当主で、身寄りのない人に住む場所と仕事を与え、身分の差を越えた屋敷を作った人権派の公爵として、新聞に何度も載っています。


「なぜ公爵様が、処理班に」


「クルーの心を守るために、屋敷の呪具を処分したいそうだ」


「クルー?」


「行けばわかる。俺もわからん」


 先輩は荷馬車に、空の木箱を積み始めました。私も一つ持ちました。軽いです。


◇◇◇


 公爵邸は、白くて明るくて、窓が大きくて、壁に紙がたくさん貼ってありました。


 夢を応援する。すべての人に成長機会を。給与では買えない経験を。仕事は労働ではなく、自己表現。


 紙は、廊下の端から端まで、隙間なく貼ってあります。


「先輩! 見てください! こ、この屋敷、壁が全部紙です」


 先輩は、長いため息のあとで答えました。


「……標語だ。壁は石だ」


 玄関ホールには若い貴族の人が二十人ほど集まっていて、全員が同じ角度で白い歯を見せていました。誰が誰だか区別がつきません。中央の一人が話し終えるたび、周りが同じ拍手をして、同じ言葉を繰り返します。


 その中央の一人が、セドリック公爵でした。片手に、金の縁取りがされた魔法の水筒を持っています。歯が、いちばん白いです。


「ようこそ。我が家は、身分ではなくポテンシャルを重視するファミリーです。使用人という言葉は、ここでは使いません。彼らはクルーであり、仲間です」


 拍手。


「この屋敷は、ソーシャルインパクトの実験場なんです」


 拍手。


「そして私たちはウェルビーイングを最優先に、サステナブルに進んでいく」


 拍手。


 私は先輩の袖を引きました。


「先輩。ウェルビーイングとは」


「知らん」


「サステナブルとは」


「知らん」


「先輩は、わからないことが多いですね」


「多いのは、あいつの横文字だ」


 先輩は、あごで公爵を指しました。


 公爵の後ろに、背の高い執事さんが立っていました。髪をきっちり撫でつけて、顔に表情がありません。公爵が横文字を言うたびに、使用人向けに言い直す係のようです。


「公爵様のお言葉は、つまり、健康は自分で管理して、長く働け、ということだ」


「なるほど」


 わかりました。わかった気がします。


 公爵が私を見つけて、白い手袋の手で私の手を握りました。まっすぐ目を見て、名前を呼びます。


「リゼット嬢。あなたのような特殊なタレントを迎えられて光栄だ」


「私はタレントではなく鑑定師です」


「ふふ、いいね。そういうフラットなマインドが好きだ」


「フラット……私の顔が、ツルペタ顔ってことですか!?」


「素直、ということだ」


 執事さんが言い直してくれました。褒められたようです。怒って損をしました。


「では公爵様は、素直ではない人には、フラットではないんですね」


 公爵の笑顔が、一瞬だけ止まりました。


「言うな」


 先輩が、後ろから小声で言いました。


「褒められたので、お返しをしました」


 先輩は、もう何も言いませんでした。


 そういえば前にも、こういう言葉をたくさん使う人がいた気がします。どこで会ったのかは思い出せません。きっとこの世界に転生する前のことだと思います。


 廊下の隅で、若いメイドさんがモップを持ったまま拍手していました。目の下に隈があります。手首には銀の腕輪。よく見ると、廊下にいる使用人はみんな同じ腕輪をつけていました。そういえば、執事さんの手首には、腕輪がありませんでした。


 公爵は、そのメイドさんの前を通るとき、目を合わせませんでした。有力そうな貴族には立ち止まって握手して名前を呼ぶのに、モップの人には視線を一度も落とさない。


 うわあ、こういう人いたなぁ。


 正直、そう思いました。


「先輩、あの方、うさんくさいです」


「思っても言うな」


「でも新聞に載っている善人です」


「そうだな」


「ということは、きっとすごい人なんですね」


「どうしてそこで納得した」※ ここ変えたい。



◇◇◇


 倉庫は屋敷の地下でした。階段を下りると空気が冷たくなって、上の拍手の音が、遠くの雨みたいになりました。ランプは一つだけ。棚が奥までずらりと並んでいます。壁の紙は、地下まで貼ってありました。


「この棚だ」


 バルド先輩が3番の棚を指さしました。


「小箱がいくつかある。開けて呪いの種類を確かめろ。比較的小さい呪いだ。危険がなければおまえの判断で解呪しておけ」


「解呪までしていいんですか」


「あぁ。解呪できた品は処理班が引き取る。研究材料だ。呪いの見本は、いくらあっても足りんからな」


「わかりました。がんばります」


「3番だ。3番だぞ」


「3番ですね」


 入り口から執事さんが先輩を呼びました。書類の確認があるそうです。先輩は階段のほうを見て、私を見て、もう一度階段を見ました。


「すぐ戻る。3番の棚以外に触るな」


「はい! 3番以外に触ります」


「触るな、だ!」


「はい! 3番に触りません!」


 先輩は口をあんぐり開けて、そしてゆっくり閉じました。


「……もういい。3番だけだ。触っていいのは3番」


 先輩は何か言いたそうな顔で、出ていきました。足音が階段を上がって、消えました。


 私は張り切って棚を探しました。


 地下は暗くて、棚の番号は古い焼き印です。3、に見えるものを見つけて、私はその前に立ちました。あとで思えば、それは8の焼き印の、左半分が剥げたものでした。


 棚の奥に、黒い箱がありました。


 小箱ではありません。両手で抱えるほどの大きさで、蓋も側面も黄ばんだ呪符でびっしり覆われています。呪符の下から、古い木の札が半分だけ覗いていました。読めるのは一文字だけ。


 小。


「小物、ですね」


 私はうなずきました。箱は大きいですが、箱の大きさと中身の大きさは別です。小さい呪いの品を、小物とまとめて書いてあるのでしょう。呪符がこんなに貼ってあるのは、中身をなくさないためだと思います。先輩の言っていた小箱より、ずっと立派です。


 呪符に指をかけると、ほろほろ剥がれました。百年くらい経った紙の手触りです。全部剥がすと、足元に黄色い紙の山ができました。鍵はかかっていませんでした。


 蓋を開けると、中は黒い布張りで、真ん中がくぼんでいました。


 くぼみに、古い銀の腕輪が一つだけ入っていました。


「あら」


 小物、と書いてあったのに、大人の手首くらいある腕輪です。小さくありません。表示と中身が違うのは、よくないことだと思います。公爵家に言わないといけません。





 腕輪を持ち上げた瞬間、頭の中に文字が浮かびました。指輪のときと同じ冷たさが、手首まで上ってきます。口が勝手に動きます。


「【呪い。奉仕を幸福だと思わせる。対象、公爵家の契約者。当初の用途、孤児と失業者の救済。現在の用途、夢追い支援制度の継続】」


 静かな倉庫に、自分の声だけが響きました。


 なるほど。


 私は腕輪をながめました。奉仕を幸福だと思わせる。働くことへの不安を取り除いて、やりがいを与える腕輪です。使用人のみなさんがあんなに拍手していたのは、これのおかげだったのでしょう。とてもいい腕輪です。処理班にも一つ欲しいくらいです。


 でも、呪いは呪いです。先輩に、解呪しておけと言われています。


 目を細めると、腕輪の中に呪いの形が見えます。細い糸が何百本も、腕輪から天井のほうへ伸びていました。その真ん中に、「幸福だと思わせる」部分が、一本だけ太い糸で通っています。呪いの真ん中にあるものが呪いの原因です。処理班の教本の一ページ目に書いてありました。二ページ目は、まだ読んでいません。


 私はその糸を、指でつまんで切りました。


 ぷつん。


 解呪は成功しました。


 成功して、しまいました。


 頭の上から、音が降ってきました。


 ぱりん。


 ぱりん、ぱりん、ぱりん、ぱりん。


 屋敷中で、何かが割れています。天井の埃が、ぱらぱら落ちてきました。


「先輩、割れました」


 先輩はいません。私は腕輪を持って、しばらく待ちました。誰も違うと言ってくれないので、たぶん合っています。





 最初に倉庫へ駆け込んできたのは、廊下で見たメイドさんでした。手首の腕輪がなくなっていて、そこだけ肌が白く、腕輪の跡が輪になって残っています。息が荒くて、階段を駆け下りてきたのだとわかりました。


「私……どうして、ここで働いているんでしょう」


 メイドさんは、私に聞いているようでした。私は答えました。


「お仕事だからだと思います」


「そうじゃなくて」


「お給料のためです」


「出てないんです、一度も」


 メイドさんは、自分の手首を見ました。腕輪の跡が、白い輪になって残っています。


「では、ボランティアですね」


「……違います」


「では、インターンですね。公爵様がおっしゃっていました。経験は給与では買えないと」


「それが……それが、おかしいって言ってるんです!」


 メイドさんの目に、涙が浮かんでいました。私は、何かを間違えたようです。腕輪を持つ手が、少し冷たくなりました。


 続いて庭師さん、料理人さん、厩番の人。みんな自分の手首をながめています。誰の手首にも、同じ白い輪がありました。


 庭師さんが言いました。


「給料を、下さいって言ったんだ。そしたら、金に執着する人間はコアメンバーになれないって」


 厩番の人が言いました。


「辞めたいって言ったら、笑われた。夢から逃げるのか、って」


 メイドさんが、小さく言いました。


「私、笑ってた。笑わされてた。一日十六時間、ずっと」


 言葉が、床にこぼれていきます。誰も私を見ていません。みんな、自分の手首を見ていました。


 私は腕輪を胸に抱えたまま、おそるおそる聞きました。


「みなさん、夢を追っていらしたのでは……」


 メイドさんが私を見ました。


「夢じゃありません。母の薬代です」


 彼女はエマという名前でした。三年前に薬代のために契約して、給料は一度も出ていないそうです。住み込みなので、ここを出ると母親も家を失う。だから出られなかった。話しながら、エマさんは自分の手首をずっと押さえていました。


 私は腕輪を見ました。


「これは、働くのが楽しくなる腕輪では、なかったんですね」


「楽しくなるわけあるか!」


 バルド先輩が戻ってきました。顔色が悪いです。階段を三段飛ばしで下りてきたみたいで、肩で息をしています。


「リゼット、お前、何を開けた」


「小物です。3番の棚の」


「8番だ! 封印指定の棚だ、中身は俺も知らん!」


「知らないのに、封印してあったんですか」


「知らないから封印するんだ!」


 先輩の指が、私の手の中の腕輪と、足元の呪符の山と、開いた黒い箱を順番に指しました。全部、私がやったものです。


「では表示が間違っていましたね。公爵家に苦情を」


「言う相手はお前だ!」


「私ですか」


「お前以外に誰がいる!」


 先輩は頭を抱えました。足元の呪符の山を見て、もう一度頭を抱えました。


 そこへ、拍手が近づいてきました。


 セドリック公爵です。後ろには白い歯の取り巻きが、ぞろぞろと。執事さんがその一歩後ろを歩いています。ランプの光で、二十人分の歯が光りました。


「素晴らしい。みんな、感情をアウトプットしているね。それも成長の一部だ」


 拍手。


 公爵は笑顔でした。少しも崩れていません。


「この屋敷は、誰もが成長できる場所だ。君たちは私の仲間だ。仲間なら、報酬を求める前に、貢献を考えるべきだろう?」


 拍手。


 執事さんが言い直します。


「公爵様のお言葉は、つまり、まず働け、ということだ」


 使用人のみなさんは、動きませんでした。


 誰も拍手しません。拍手しているのは取り巻きだけです。地下の拍手は、上のホールより小さく、乾いて聞こえました。


 エマさんが、公爵の顔を見ました。まっすぐ、正面から。この屋敷で初めて、誰かが公爵をまっすぐ見た瞬間だったと思います。


「私たちは、あなたの仲間ではありません」


 エマさんの声は震えていましたが、止まりませんでした。


「あなたに、働かされていた人間です」


 公爵が、目を逸らしました。


 視線は、エマさんの肩の上を通って、壁の標語に落ちました。すべての人に成長機会を。


 取り巻きが、拍手しました。


「勇気あるアウトプット!」


「それも学びだ!」


「エマさん、ナイス!」


 誰が言ったのかは、わかりません。全員同じ顔でした。


「先輩、あの方々は、何にでも拍手するんですね」


「見なくていい」





 私は、そのときまだ、勘違いをしていました。


 みなさんが本音を言えるようになった。悩みが晴れた。呪いを解いたから。つまり解呪は成功です。


 私は公爵に駆け寄って、両手で公爵の手を握りました。絹の手袋が、また、ひんやりしました。


「公爵様、解呪成功です! みなさん、心のもやが取れたみたいです!」


「え」


「これ、屋敷の大切なお品みたいなので、お返しします。記念にどうぞ!」


 私は銀の腕輪を、公爵の手首にはめました。


 かちり。


「待て!」


 先輩の声は、少し遅かったです。


 公爵が手袋の上から手首をつかみました。


「……外れない」


 公爵は引っ張って、回して、また引っ張りました。外れません。銀の腕輪が、手袋の白に吸いつくみたいに止まっています。私の頭の中に、また文字が浮かびました。


「【呪い。奉仕を強制する。対象、装着者。幸福機能、欠損】」


「欠損?」


 公爵が私を見ました。私は、口を押さえました。


「あ」


 思い出しました。私が切ったのは、真ん中の「幸福だと思わせる」糸だけです。腕輪の残りは、切っていません。


 公爵の手首の腕輪は、幸せだと思わせてくれない、働かせるだけの腕輪になっていました。


「先輩。私、半分しか解呪していなかったみたいです」


「半分じゃない。幸せだと思わせる呪いだけ切って、働かせる呪いを丸ごと残したんだ」


「わかりやすいです」


「褒めるな」


 公爵が、私たちの間に腕を突き出しました。


「外せ! 外してくれ!」


 白い歯は、もう見えていません。私は両手で腕輪をつかんで、引っ張りました。


「痛い!」


「もう一度いきます」


「痛い!」


「やめろ! お前はもう何にも触るな!」


 先輩に、後ろから襟をつかまれて止められました。





 そのとき、床が赤くなりました。


 使用人のみなさんの手首から落ちた腕輪の破片が、砕けたまま炭のように熾っていたのです。私の口が、勝手に動きました。


「【呪いの残り火。吸い上げた奉仕の熱。注ぎ先、喪失】」


 注ぎ先。みなさんから吸っていた熱が、戻す相手をなくして、床にこぼれたようです。


 破片は床を這って、私が剥がした呪符の山に移りました。呪符の山から、地下の壁の紙へ。


 夢を応援する。


 燃えました。


 給与では買えない経験を。


 燃えました。


 紙は、よく燃えます。


「先輩、やっぱりこの屋敷、壁が紙でした」


 先輩は、私を見ませんでした。火を見ていました。


 火が壁を走った瞬間、いちばん速く動いたのは取り巻きでした。


 拍手をやめて、全員が同時に出口へ走りました。誰も公爵を振り返りません。押し合って、踏み合って、白い歯をむき出して、あれだけいたのが十秒で階段の上へ消えました。


 一人だけ戻ってきました。公爵の足元に転がった金縁の魔法の水筒を拾い、また走って消えました。この屋敷で一番高い物だったのだと思います。


「先輩、これは失敗でしょうか」


「見ろ。大失敗だ」


「どうしましょう」


「まあ、燃えたものは仕方ない。全員出せ」


 先輩は使用人のみなさんを、外へ追い立てました。誰もが手首を押さえたまま、走って屋敷を出ました。私は最後に、エマさんの背中を押しました。


 公爵は、燃え始めた地下で叫びました。


「消火を! 誰か、クルーは!」


 もう、いません。


「仲間だろう! 仲間なら、報酬を求める前に貢献を」


 腕輪が、光りました。


 公爵の足が、勝手に一歩、火のほうへ出ました。公爵は、自分の足を見ました。


「な、なんだ、これは」


 私の口が、勝手に読み上げました。


「【貢献への前向きな姿勢を確認しました】」


「執事、君が」


 執事さんは、胸に手を当てて、きれいに一礼しました。煙の中でも、髪は一本も乱れていません。


「公爵様。私、本日をもって卒業させていただきます」


「卒業?」


「退職は卒業だ、おめでとう、と。公爵様がいつも仰っていた通りに」


 そして執事さんは、火より速く出ていきました。取り巻きの次に速かったと思います。


 火は紙から紙へ、階段を上って、屋敷中の壁に広がりました。私たちが庭に出たころには、近隣の領主さんと、王都の監査官さんたちが、馬で駆けつけていました。誰が知らせたのかはわかりません。窓から吹き出す炎の中で、燃え残った契約書が、庭に何枚も舞い落ちていました。一枚が私の足元に落ちて、エマ、という署名が読めました。


 どうやら、かなり大変なことになっているようでした。


「先輩、大変なことになっているようです」


「今わかったのか」


◇◇◇


 数日後、公爵家は解体されました。


 屋敷と事業と使用人は、まるごと王立公益事業連合という大きな組織に吸収されました。新しい契約書には、給与の額と、週に二日の休みと、辞めたいときに辞められることが、大きな字で書いてありました。エマさんはその日、三年ぶりに給料をもらって、お母さんの薬を買いに行ったそうです。


 公爵は、監査官の調べを受けて、強制労働、呪いのアイテムの私的利用、人格操作、そのほか余罪もろもろで罪に問われました。裁判で、公爵はこう言ったそうです。


「私は彼らに、給与では買えない経験を与えていた」


 裁判官はうなずいて、判決を出しました。公爵にも、同じ経験を与える、と。


 行き先は、北の雪国の開拓地でした。誰も住んでいない土地に、道を作り、家を建て、畑を起こす仕事です。給与では買えない経験が、たっぷりあるところだそうです。


 腕輪は、外れないままだったそうです。


◇◇◇


 ひと月ほどして、処理班に手紙が届きました。差出人は、連合から開拓地の担当官として派遣された、元の執事さんです。


 公爵は毎朝いちばんに起きて、雪をかき、丸太を運んでいるそうです。休ませてくれ、と言うたびに腕輪が光って、体が勝手に働くので、開拓地でいちばん働く人になっている。前向きな自己変革を、毎日確認しております、と手紙にはありました。


 エマさんは、連合で働いています。頬に少し肉がついて、目の下の隈は薄くなりました。給料日には、食堂でケーキを食べるそうです。


◇◇◇


 私とバルド先輩は、焼け跡の最後の呪具を、荷馬車に積み終えました。木箱は、行きよりずっと重くなっています。


 処理班に戻ると、机の上に手紙が山になっていました。


 公爵邸の件が新聞に載ってから、毎日届くのだそうです。うちの倉庫にも呪具がある、見てほしい、という依頼です。先輩が束をめくりました。聖女様の教会。宰相のお屋敷。大商会の会長。王立鑑定院長。


 一番上の一通には、王家の印が押してありました。封には、赤い字で、開封厳禁。


「先輩、私、役に立てましたか」


「役には立った。が、目立ちすぎだ。おかげでこんなに手紙が」


 私は胸を張りました。


 今回の仕事から、私は多くを学びました。教訓はきちんとまとめてあります。


「今回の教訓は、給与では買えない経験は、給与を払わない人からしか買えない、ということですね」


「まあ、そうだな」


「それと、仲間、と呼んでくる人ほど、お給料を払わない、ということですね」


 先輩は手紙の束を揃えながら、うなずきました。


「そういう仲間もいる。でも、全部じゃない」


「そうですか。それならよかったです。ところで先輩。本当の仲間って、何ですか」


 先輩は、少し黙りました。


「それは自分で見て決めろ。人に言われて決めるものじゃないだろ」


 先輩は王家の印の手紙を、私に渡しました。


「次の案件だ。やるか」


「はい。次は失敗しません!」


 私は、封に指をかけました。


作品を読んでいただき、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマ・評価で応援していただけると嬉しいです!

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