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死にたがりの私と生きたがりの僕  作者: 白菫


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死にたがりの私

死にたい

いつも脳裏によぎる4文字。何をしていてもどうしたら死に向かえるかを想像する。そんなことは何があっても起きないのに。それでも考える事をやめない。考えなければ楽なのに。考えずに生きることはできない。あ、今ここで、一歩だけ足を踏み出せば、きっとあの車が私を轢いてくれる。でも踏みとどまるのは、その後のことを少しだけ考えるから。私は反射的に車を避けるな。車の運転手はトラウマになるかな。今の時間だと会社に遅刻してしまう人が出るな。死ぬにも迷惑かけないようにと思うのだ。なんだかんだ言い訳を何となく考えている。そしていつもの様に電車に乗り、いつもの様に会社の門をくぐる。いつもと同じように仕事をこなし、いつもと同じように定時で帰る。私には向上心も熱意もないので、何があっても残業なんてしない。これを決めてから少しは楽になったが、何だか虚しくもなった。だが、それにももう慣れてしまった。周囲の人は私を嘲笑ったし、定時で帰る私を疎んだが、それも最初だけ。結局私に期待することもなくなった。会社は社員を無碍にできない世の中になったのは幸いだった。定時で帰る私をどんなに疎ましく思っても、私を解雇にはできない。私を解雇に追い込むまで時間と労力を要する。だから上司たちは私に期待することを諦めた。お偉いさん方の思考には部下もついていくもので、同僚たちも皆私に期待することはなくなった。それでよかったのか、そうでもなかったのか、最初のころは少し悩んだ気もするが、今となってはもう慣れた。世の中そんなもん。期待せず、期待されずの生活で、思いがけず私は気ままに過ごしていたのかもしれない。

「佐伯さん、ちょっとこれ」

後ろから声をかけられて振り向くと、お局の佐賀さんがコピー機に残ったままになった書類を指差していた。

「あ、はい。」

これ私じゃないしと思いながら、この人に「はい」以外の言葉を言ったら面倒だと思い、書類を取っておく。きっとこれは山口さんだなと思いながら、彼女のデスクへ向かう。後ろから佐賀さんがまだ何か言っているのを片耳で受け流す。コピー機やオフィスで使う備品は部屋の後方に配置されていて、私のデスクからは離れている。窓際に近いデスクを使えるようになってから、何とも有意義に仕事ができている。しかも幸運なことに、佐賀さんとは二列も離れていて、異なる業務となる。山口さんはというと、私の隣の席になり、少し手のかかる人ではあるが、口うるさくないので申し分ない。私たちのオフィスはかなり大きなもので、広報部として各部署の噂はここに届けられる。社外向けと社内向けの広報で二列ずつデスクの列が区切られている。

「山口さん、これ忘れてたよ」

「ありがと、後でとりいこうと思ってたの」

私たちは社外向けの広報を担当している。外部宛のチラシを作成したので試し刷りしたのだろう。席から遠いからと言って、すぐに取りに行かない山口さんはいつも佐賀さんに小言を言われている。私たちにまでとばっちりがくるので、よく思わない人もいるようだが、彼女の明るい性格が敵を減らしている。仕事ができるかと言われればそうでもないが、突拍子もなく発せられる斬新なアイディアが上司の信頼を勝っているので、まあ一目置かれてはいるようだ。

「佐伯ちゃん、昨日のニュース見た?殺人だってよ。」

そしてそんな彼女はなぜか私によく話しかけてくる。デスクが隣というのもあるのかもしれないが、さほど関係のない事柄でも私を呼ぶ。

「見ましたけど…」

昨晩テレビで何度も放送されていた。強盗殺人事件。犯人は逃亡中。深夜金持ちの家に強盗が入ったが、家の主人が目を覚ましたので撲殺され、寝室で寝ていた家主の奥様まで胸部を何箇所も刺されて殺されていた。家の中は荒らされており、現金と金目のものは盗まれなくなっていた。不運な夫妻だ。金持ちの家が立ち並ぶ住宅街で、唯一狙われた不幸な老夫婦。犯人の人相は防犯カメラには映っておらず、逃亡しているが、怪しげな人を見たとの証言もあるようで、捕まるのは時間の問題なのではと思う。

「金持ちになるのもなんか怖いよね。あんまいいものとか買わないようにしよ」

山口さんは私に同意を求めるようにこちらを見ながらねっと眉を上げて見せた。彼女には軽く苦笑いを向けて自分のしていた作業に向き直る。それでも彼女の口がむすばることはなく。

「老夫婦もさ、こっそり逃げたらよかったのにね。だって死ぬことなかったじゃんね。」

「それができずに亡くなったんですよ。」

さらっと吐いた言葉が彼女に刺さったのか、山口さんが隣でハッと息を吸うのがわかった。

「えー、冷たい!死んじゃうんだよ。」

死ぬ。それは彼女にとっては嫌なことなんだな。いや、誰にだって避けたいことなのかもしれない。病気になれば、治そうとする。寿命を知れば、後悔ないように生きようとする。生きることにしがみつく人ばかりだ。私にはない感情だった。昔からそうだ。命の危機に瀕したことがあれば思えるだろうか。命という重さに。でも誰もその大切さに気づくことなく、犠牲にしていく。戦争をすれば人の命は奪われる。だけれど人間は戦いをやめない。戦争に加担する人もいれば野次を飛ばすだけのもの。どこかで議論だけして動くことをしないもの。ただ知っているが見て見ぬ振りをする傍観者。自分と相手の命を天秤にかけた時、勝るのはいつも自分の命だ。それを超えられない。人を守るためにと死を選ぶ者は少ない。この事件だって、もしかしたら強盗した犯人は職を失い飢えに耐えていたのかもしれない。もしかしたら犯人はこの金持ちの夫婦に蹴落とされていたのかもしれない。そんなことは分からない。殺人となったのは許されざる行為だが、死んだからなんだというのだ。私が殺される側になった時、私は何を見て何を思うのだろう。悔しいだろうか。楽になることを受け入れるだろうか。私は死を目標に生きているただの肉片だ。

「まだ犯人見つかってないみたいだしさ。戸締りとか気をつけないとね。佐伯ちゃんも一人暮らしでしょ?」

まだ話し続けてたのかと思いながら、山口さんの方をちらっとみる。彼女のすっと綺麗な顎のラインがオフィスの窓から差し込んでくる明るすぎる太陽に照らされて首に影を落としている。彼女は淡麗な顔立ちをしているんだなとこの時改めて思った。

「はい、そうですよ。山口さんもでしょ」

「まあそうだけどさ。一人ってたまに怖いじゃん。か弱い女の子だしさ、私たち。」

彼女は少し頬を膨らまして見せた。それを軽く流して作業進めてくださいよと仕事に戻るよう促す。彼女もはーいと言っておとなしくなる。しばらくすると、隣から、伸びた煌びやかな爪がキーボードを叩くカタカタという音がし始めた。

誰かが私を殺してくれるのだろうか。そしたらいつもいつ死ねるかを考えることもなく、ただ身を任せていればいい。あ、でも苦しみながらとか残酷な死は遠慮したいな。死ぬ時ぐらい早く楽になりたい。これは死ぬ者としては傲慢すぎるな。被害者やその遺族の気も知れないで、私はこんな事件があると自分が被害者であればと考えずにはいられない。いつになく他人任せな自分に腹が立って考えるのを止めるのがひとつなぎとなったルーティンだ。

今日も何気ない日を流されるように過ごす。休憩の時間になると、誰もが一斉に向き合っていた作業から顔をあげ、そそくさと席を離れていく。外出する人もいれば、食堂を利用する人もいる。自分の荷物を一式持って12時に鳴り出すオルゴールと共にデスクを後にする。後ろで私を呼び止めているような山口さんの声がしたが、聞こえないふりをして振り返ることなく足速にドアをすり抜ける。私はいつも誰もいない屋上を選ぶ。まだこの場所は誰も休憩に使わない。別に景色が良いわけでも、くつろげる椅子があるわけでもない。ただ誰もいないという理由だけで私には価値があった。それに、朝ドタバタと起き出して作った、赤紫蘇を混ぜ込んだ米に海苔を撒いただけの小ぶりなおにぎりと買いだめしているパックの野菜ジュースを食べるためだけの私にとっては十分なスペースだ。仕事から離れることのできる細やかなこの時間だけでも人と離れていたい。屋上といえば、自殺にとっておきの場所に思えるだろう。だけれど、私はまた言い訳を考える。今途中にしてきた業務はこの後誰がするのかとか、私の貴重品を職場の人間に見られるのは癪だとか、職場の誰もが仕事からのストレスで命を絶ったと理由をつけるだとか、なんだかんだ言って私はここから「死」を選択することを拒否している。3階のオフィスからエレベーターを使うこともできるが、誰かに見られる可能性を考えていつも階段を使う。非常階段なのでほとんど誰も使用しない。たまに清掃職員とすれ違うくらいだ。3階から7階まで階段を登るのは息が上がるほど疲れてしまうが、それでも見られるリスクを考えこちらを選ぶ。いつも座りっぱなしの仕事をしている自分にとっては良い運動だと思いながら空腹の自分を奮い立たせる。ゼエゼエと荒い息をしながら腹に力を込めて、屋上へと続く扉を一押し。薄暗かった階段に真っ昼間の煌々と輝く太陽が差し込む。眩しさに目をパチパチしながら気持ち程度の影を探して地べたに座り込む。屋上にはボイラーや水タンク、室外機が所狭しと配置されている。そのどれかが私を隠せる程度の影を少なからず作ってくれる。日に焼けるのは御免なので、日傘は欠かさない。どんな日でも日傘兼用の傘を持ち歩いている。これがあれば、影が少なすぎるときに立てかけて影を作れる。雨の日は屋上に出ることなく、扉を背もたれにして階段で食事を済ますこともある。もちろん夏は暑いが、それを我慢してでもこの一人という場所を好む。これほどまでに人を拒絶するようになったのはいつからだろうか。いや、これは私の潜在的な性質だろうか。

幼い頃から、大人に混ざって行動することが多かった私は同級生という枠組みに馴染めなかった。親が店をしていたので、学校から帰っても一人で過ごすか、家の仕事を手伝うかのどちらかしかしてこなかった。同級生と遊ぶよりも、大人相手に愛想を振りまく方が上手くなった。私の実家は、田舎町のはずれにあり、学校には30分以上歩く過酷な学生時代を過ごした。両親は経営している店を空けることができないので、送迎はなしだ。登下校で疲れるので放課後に同級生と遊ぶのも嫌になる程だ。二階建ての一軒家がポツンと野原にある。この景色と相まって「映える」と話題になったのがきっかけで繁盛した素朴なカフェ。これが我が家だ。自分の家にいつも誰かいる。自分の家をいつも誰かが撮っている。幼い頃から見られていることがむず痒かった。スコーンと紅茶にこだわって、英国風アフターヌーンティーを提供するカフェテリア。父はパティシエとしてフランスに留学していたこともあり、その頃に何度も渡英し紅茶とスコーンにどハマりした。母はイギリスにワーホリに行っていて、バリスタとして働きながらイギリスを満喫していたらしい。母のバイト先だったカフェに父が立ち寄ったのが出会いだ。なんて異国かぶれのロマンチスト達だよと思いながら、両親が嬉しそうに馴れ初めを話してくるのを高校生くらいの頃に聞いた記憶がある。異国の地で出会う同郷の者ほど心強いものはない。うなづけるが、定員と客って、どんな恋愛ドラマだよ。二人して日本に帰ってきた後、一旦は会社員として働いていたようだが、店を構えたい気持ちを抑えられず、私を妊娠中に開店。最初は人が立ち寄ることも少ないこの田舎でひっそりと経営していたが、ドライブで立ち寄った若者がS N Sに投稿してみるみる客足が増えた。街中のブースに呼んでもらい、スコーンだけでなくビスケットやシフォンも提供するとコアなファンも増えたよう。そんなこんなで繁盛してしまった私の家。良心を誇らしく思う反面、誰かに見られていることへの不快感が私を蝕んでいった。一人を好むのはこのためかもしれないな。両親の店を継ごうと製菓の専門学校に行き、数年働いてもみたが、私には居心地が悪かった。思い切って都会に出てオフィスワークをしてみることに。そこで何が変わったのかと言われても、さほど気持ちも変わらない。自分自身の考え方が変わるはずもなく、このままでいいのかと何年も燻り続けていたが、社会とはそんなものだと今では諦めてきれている。

そんなこんなと物思いに耽っていると、昼食終了の時間が迫ってきていた。屋上から階段を駆け降りて、非常階段を抜ける扉を押し開ける。音が響く廊下にいくつもの足音がこだまする。人の気配が一気に押し寄せてきて少し圧倒されるが、素知らぬ顔で足を踏み出していく。ゴミ箱を探して昼食の残骸をさっと捨て、最後に御手洗いと歯磨きを終えてオフィスに戻る。5分前だ。扉の前は休憩から戻ってくる社員達でごった返していた。その中に山口さんもいるのがチラッと見えた。私のことにはまだ気づいていないようだ。彼女のいる方を見ないようにして大柄な男性社員の陰に隠れるように歩きながら、人と人の隙間からオフィスへの戸をすり抜ける。自分のデスクへ一直線に戻り、1分前には椅子に座れた。後ろでバタバタと足音がして隣のデスクに山口さんが椅子に滑るように座る。一人で「セーフ」っと囁く声が聞こえた。

「見て、佐伯ちゃん、13時ぴったし!」

そう言って、山口さんが画面のバキバキに割れた自分のスマホを見せてくる。

「今日は間に合いましたね。」

画面を横目で見ながら答えると「セーフ」とまた呟いているのが聞こえた。

「入口のドアもっと広くして欲しいんだけど。あそこでめっちゃ渋滞なんだけど」

ねえと同意を求めてくる。

「みんな一斉に戻ってくるからしょうがないですよ。」

彼女はいつも人混みを上手に掻き分けて進めない。私よりもドアの前にいるのになぜかデスクに来るのはいつも私よりも後だ。だから彼女はいつも休憩時間を延長しているように見られる。だが彼女が休憩に入る時も同じように時間をロスしているので、恐らく1時間の休憩をみんなと同じだけ取っていると思う。最後にデスクに着くもんだから、どうしてもみんなからはずるしていると思われている。彼女は何かと損な性質を持っているなと思う。

「ねえ、佐伯ちゃん今日一緒帰ろうよ。私残業しないように頑張るからさ。」

彼女とは住んでいる場所が近い。別に悪いことではないが、最寄駅が一緒なのは、休日にも同僚に出会いそうという落ち着かなさがあって、近いうちに引っ越してしまおうかとさえ思えてくる。ましてや一緒に帰るとなると尚更嫌気が差すのだ。今日はどうやって断ろうかと頭をフル回転させる。

「でもさっき部長に仕事振られてたじゃないですか。」

話を少しずつ逸らしてY E SともN Oともいわない作戦を実行する。きっと午前中に話していた、強盗事件のことで今だけ不安になっているのだろう。帰る頃にはきっと忘れてる。

「でもね、それさっき終わったの。結構すぐ終わるやつだったの。ね、だからさ、お願い」

彼女が食い下がる。私はどうしても振り払いたい。

「どうしてですか。殺人事件見て怖くなったんですか。」

冗談っぽく笑って見せる。含み笑いを添えて彼女の方を振り返ると思わぬ顔がそこにあった。

「え、どうしたの?」

思わず口から出てきた言葉が宙を舞う。彼女の顔は恐怖そのものだった。彼女がさっきまで半笑いで話していた話題のはずだ。昼食前の彼女の様子を必死に思い起こす。ここまで怖がっていたようには見えなかった。どうしたのだろう。昼食中に何かあったのだろうか。

「いや、だって本当に怖いじゃん。さっきさニュース見てさ。佐伯ちゃんも気をつけた方がいいよ。だって、犯人まだ見つかってないんだよ。」

すぐ見つかるだろうと思っていた犯人はまだ逃走中だそうだ。興味を無くした記事だったので、更新されたのは見ていなかった。P Cの右半分を覆う最新のニュースの写真に目をやる。『強盗殺人事件、犯人は被害者の知人か』計画犯罪かよと思いながら、ウェブニュースを開いて続きを見る。記者の見解はこうだ。「知人であった老夫婦に嫌味を言われ金を盗むと同時に鬱憤を晴らすため殺害。犯人は老夫婦の孫」まじかよと心の中で唖然とする。この老夫婦のご子息たちはエリートたちだったようだが、唯一一般的な道を歩んだ孫は一家での集まりでは蔑まれて生きてきたよう。特に地位を自ら築いてきた老夫婦にとっては歯がゆい存在だったようで、彼らは孫と会う度に皮肉を言い晴らしていたようだ。殺される夫婦も大概だなと思いながら記事を読み進める。孫の行方がわからなくなっていることが被疑者として大いに怪しまれている点のようだ。普通に生きて何が悪いのだろうか。彼にも生きにくい世界だったのかなと被疑者の彼に同情する。

「私さ、この人知ってるんだよね。」

隣から思いがけない言葉が聞こえてきた。聞き間違いかと思いながら、山口さんの方を振り返る。

「え?」

思わず声も出る。彼女がP Cに顔を向けたまま声を出す。

「だから、その犯人って言われてるお孫さん、私知ってるの。」

わお、こんな展開は予想していなかったぞと思いながら、彼女の顔をまじまじと見てしまう。どういう関係だったのだろうと新たな疑問が湧いた。そしてそれは心の中だけでなく、口をついて出ていた。

「どういう関係?」

彼女がゆっくりとこちらに顔を向ける。綺麗だなとまた思う。

「んー、なんだろう。私の実家さ結構金持ちなんだよね。でのこの亡くなった夫婦よりはそりゃあ比べ物にならないけどさ。それでこのお孫さん、誠さんっていうんだけど、誠さんとは何度か、その、会食会で見たというか…一般に近い位の人にも分け隔てなく話してくれる人で、少しお話もしたことがあって。」

山口さんが言葉を濁しながら話している。気まずい話のようだが、これを仕事中にしてくるところが彼女の人格を大いに表現している。やはりこれは詳しく話を聞かずにはいられない。噂好きは方ではないが、これくらいの刺激のある話は、平凡に生きてきた私にとって束の間の楽しみだ。彼女には申し訳ないが、彼女の話に初めて興味が湧いた。

「今言う話にしては大きすぎじゃないですか?」

少しおちゃらけて見せてから、一緒に帰るときに話しましょうとあっさりY E Sサインを出した。私に一緒に帰ることを許可されたことが珍しかったからか、彼女の大きな瞳がもう一回り大きくなった。

「ありがとう!」

そしてなんと運のいいことに明日は土曜日だった。午後からの仕事が捗ったのは、彼女の話の続きを早く聞きたいからだろう。そして彼女もまた、私の帰る時間に間に合うようせっせと仕事をこなしている。少し時間ができた時には彼女の仕事も手伝う。一緒に定時で帰ることを目標にするとこんなにも彼女の仕事が進むのかと驚く。

「山口くんどうしたの?」

彼女が自らコピー機まで移動して印刷物を持ってきたのに驚いた福岡部長が私のデスクに駆け寄ってきて声をかけてきたほどだ。

「今日は体調が良いそうです。」

適当にあしらっておいた。福岡部長は納得ができないというように首を傾げながら去っていった。入れ替わるように山口さんが私の隣のデスクに腰を下ろす。定時まで後数刻。

「私あっちまで行ったの久しぶりかも」

と囁いている。ちょっとは自分で取り入ってよと思いながらそうですねと相槌を打つ。私は定時の18時をオフィスの時計が指すまでカウントダウンを始める。

「後十分」

山口さんに囁くと彼女がハッと息を呑みながらやり残しの作業を血眼にやり尽くす。私は十分前には今日分の作業を終えているので、彼女の作業を手伝う。投稿テンプレをさっと作ってメールを繰り返す。やっと終わりが見えてきた頃には、18時まで後2分のとこだった。彼女がチラチラと時計を気にしている。その姿があまりにも珍しく、他の社員たちが珍獣でも見たように彼女の様子を窺っている。私は帰宅準備を整えながら、彼女のP C画面を横目で確認する。もう終わりそうだ。最後の投稿画面で確認を終えようとしている。オフィスの中心にすっくと聳える柱にかかった丸型の時計が18時を知らせてくれる。長針が12を指したと同時にP Cの電源を落とす。小ぶりのリュックを背負って席を立つ。それに合わせるかのようにバタバタと山口さんが荷物をかき集めていた。横目で確認しながら、彼女に合わせて少し動作を遅くする。手にスマホを握り締めて机上に忘れ物がないかを確認している素振りをしてデスクから離れる。後ろから山口さんが駆け足でついてくるのを感じながら囁くようにお疲れ様でしたと挨拶してから扉をすり抜けた。後ろの方から明るい声で山口さんがお先でーすと言う声が聞こえた。

「ちょっと待ってよ!」

彼女が扉を通り抜けながら私に声をかける。扉から少し離れたところで彼女が追いつくのを待った。

「めっちゃ時間ぴったりだ、佐伯ちゃんってすごいよね。いつもあんなに作業早く終わらしてるの?」

首を振りながら小走りで私に追いつく。

「定時で帰るのが私の目標なんですよ。それにこの時間数分違うだけで電車の混み具合が変わるんですよ。」

彼女はへーと興味のなさそうな気の抜けた声を出す。そんなことは気に求めずに、あの話の続きが知りたい。

「さっき言ってた話、詳しく聞きたいので、どこかご飯食べながら話します?」

そんな誘いをするのはもう何十年ぶり、いや、初めてかもしれない。彼女に誘われて断ることは常だが、私から進んで誘うことなどない。彼女も驚いたようで、眼をまん丸くしてニマニマと含み笑いをした。

「もちろん!もう佐伯ちゃん、ツンデレで惚れちゃう!」

彼女が笑いながら私をつつく。アパートの近くでご飯にしようとお互い合意の元、電車へ急ぐ。退勤ラッシュの時間帯なので、駅の近くは人混みでムンとする。彼女はそんなことは気にしていないようで、相変わらず人にぶつかりながら改札を抜けてくる。私の歩くスピードについてくるのは大変なようで、度々待ってと後ろから声がしている。彼女が追いつくのを待ちながら、腕時計を確認して毎日欠かさず乗っている電車に間に合うかと焦る。小走りでついてくる彼女を見失わないよう注意しながらホームについてすぐ停まっている電車に飛び乗った。彼女もぎゅっと詰まった電車の中に滑り込むのが見えた。どんどん奥に進んで少しの隙間を探す。背の低めな私は人と人の胸の辺りに呼吸できる場所を見つけて収まった。人の匂いを存分に感じながら、周囲の見えない状況下で彼女を探すのは諦める。電車が動き始めるが人の間に挟まっている私はびくともしない。いきなり腕を掴まれてビクつく。山口さんだ。彼女の少しきつめの香水の匂いですぐにわかった。

見つけたっと嬉しそうにこちらを見ている。微笑み返して、彼女は意外と背が高かったんだなと思う。私を見下ろすようにしてこちらを見ている。普段は座っているからあまり気にもしなかったが、きっと170近いだろうなと思う。綺麗な顔立ちだし、スタイルも申し分ない。モデルにでもなれそうな恵まれた身体をしているなと少し羨ましくなる。そんな私の気も知らないで、彼女はずっと私の腕を優しく掴んでいる。きっとはぐれると思っているのだろう。駅を越えるたび、少しずつ混雑した電車内に隙間ができてきた。最寄駅に着く頃には、座席に腰を下ろすこともできた。

「この時間に乗るとめっちゃ早く着くじゃん!」

彼女が自分の手提げ鞄に付けてある時計を見ながら驚く。

「でもめっちゃ混みますけどね。」

そうねと彼女に返答されながら、次の駅で降りることを確認する。

「何食べます?」

駅にもうすぐ着くのに、どの店にするかまだ決めていなかった。外食を滅多にしない私は、ここら辺の店すらも知らない。彼女に決定権を委ねたかった。

「あ、安くて長居できる店知ってる!」

予想通り彼女は「いい店」を知っていた。ホッとしながら、じゃあそこでと答える。店の名前すら聞いていないのに、早く話を始めたい気持ちを抑えられず、勢いよく即答する。電車を降りてからは彼女の道案内で、通ったことのない通りを歩く。途中彼女が間違えたっと言って引き返すのも予定通りだと見守りながら彼女に連れられて、女の子の好きそうなイタリアンのお洒落な店に到着した。アパートの近くだというのに、駅を挟んで反対方向のこの通りは全く訪れたことがないのには自分でも驚いた。こちら側には案外洒落た店が多いんだなと引き籠もりらしい考えが頭に浮かぶ。店への戸を押し開けると、髪を華やかな金色に染めた若い女性定員が駆け寄ってきた。よく響く声でいらっしゃいませと言いながら一瞬店内に眼を走らせる。彼女の声に被せるようにキッチンの方からいらっしゃいませと男性の声がする。

「何名様でしょうか?ご予約等されていますか?」

こちらの答えぬ間に二つも質問するのかと思っているうちに隣に立っていた山口さんがさっと答える。

「予約はしていないんだけど、二人です。あの窓側の席でもいい?」

いつも来ているからか、席まで指定している。いつもは見られない機敏さを見た気がした。

「あ、はい。お好きなお席にどうぞ。」

そう言って定員さんが後退りしながら去っていくのを横目で追いながら、彼女の向く先に足を進める。店内は少し暗めの照明で、隠れ家的な雰囲気を漂わせ、壁や机、天井に書かれた文字は日本語でも英語でもないような異文化感を醸し出している。夕食の時間帯にしては人は少なめだが、やはりカップル率は高めのようだ。メニュー表を広げながら、山口さんがこれは最高だとかこれはイマイチだとか熱心に私にレクチャーをしている。写真のないメニュー表にカタカナで書かれた料理が並んで混乱する。読むだけで一苦労するような長ったらしい料理名を眉間に皺を寄せて読み進めていく。

「私ペペロンチーノにしようかな。佐伯ちゃんは決まった?」

私が難しい顔をしていたからか、山口さんがこちらを心配そうに見ながら話しかけてきた。

「まだ、メニュー全部見てないです。」

これが店に入って最初の会話だとふと思いながら答える。一番内容が理解できたものにしようとメニュー表をペラペラと振り返る。それにさっき彼女がこれは美味しいとか言ってたようなと片隅に追いやっていた記憶を引き戻す。

「この、ナスとトマトのパスタにしてみようかな。」

独り言のように料理名を端折って言いながら山口さんの方を見る。彼女がいいねと返しながら、やっぱりと頼む料理を変えてきた。彼女がメニュー表から顔を上げ店内を見渡す。私が必死に押しベルを探していたのには気づかなかったようで、すみませーんと穏やかな声で定員さんを呼び出す。先程から店内の様子を見ながらレジ奥で何やら作業をしていた長身で淡麗な顔立ちの男性定員がこちらに気がついたようだ。はーいと彼女の呼びかけに答えながら、やっていた作業を中断してこちらに向かって大股で歩いてくる。

「はい、お伺いいたします。」

私たちのテーブルに近づくなり片膝を床につけて屈み、オーダーを受ける用のスマホを操作する。

「このジェノベーゼと、こっちのトマトパスタ一つずつ」

彼女がメニュー表を見せながら注文する。料理はフルネームでは呼ばれないんだなと少し悲しくなる。

「かしこまりました。生ハムとクリームチーズのジェノベーゼ、ナスとトマトのスープバスタですね。ありがとうございます。お飲み物はいかがなさいますか?」

長ったらしい料理名もさらっというあたり、これはモテるだろうなと確信する。そして私たちはドリンクメニューを見てもいなかったことにも気付かされた。彼は慌てる私たちを他所に、やんわりと微笑みを浮かべながら注文されるのを健気に待っている。

「あ、え、どうする?」

山口さんがメニュー表をあらく捲りながらドリンクの欄を開く。こちらもまたカタカナの嵐。私は日本人としてカタカナを読むのはお手のもののはずだが、これだけカタカナばかり並べられては、右往左往してしまう。一番間違いがないだろう赤ワインを頼もうとしたが、ボトルでの注文だった。それは厳しいので、ソフトドリンクに眼をやる。紅茶や珈琲もあったのは幸いだった。

「ルイボスティーで」

山口さんが決めかねていたので、先に注文をする。えーとっと彼女が声に出して悩むのをチラッと見ながら、男性定員の方に向き直ってすみませんと一言謝罪をしておく。

「ルイボスティーですね、かしこまりました。」

彼は何ともないと言うように顔色ひとつ変えずに待っている。山口さんが、あっと声を上げて、カモミールティーを注文した。男性定員はオーダーを受けてスマホの画面を何度かタッチしてから、失礼しますと一礼してキッチンの方へと去っていく。

「忘れてた、ドリンクのこと。」

焦ったーと笑いながら彼女が言う。

「お腹空いてたから」

私もと二人で笑い合う。いっときの沈黙の後、二人してグラスに注がれた水を一口口に流しこみ、乾いた口を潤す。

「それで…」

会社でのことを思い出し、沈黙を破る。

「今日話してたことなんですけど、山口さんって、金持ちだったんですね。それも犯人と知り合いって、何者ですか」

少し気合を入れすぎたかと思ったが、彼女も誰かに話して緊張を解きたいようで、気にせず続きを話し始める。

「その、誠さんって人、私話したことがあって、とう言うか、亡くなったご夫婦にもお会いしたことがあったと言うか…」

彼女のこの周囲を気にしない特性は私たちとは暮らしが違ったからだろうかと思いながら、熱心に彼女の話に耳を傾ける。

「その会食会にね、ウチ会社やってて、パパが。だからさ、呼ばれて家族みんなでいったの。ウチは成り上がりみたいなものだから、その中では少し居心地が悪いくらい周りが超大物ばっかりで、焦ったんだけど。そのご夫婦、えっと、福島さんがその会食会の主催だったからか、誠さんが挨拶回りに来たんだよね。その時すごく感じのいい穏やかな人だなって言う印象だったというか…人を殺すような人には見えなかったというか。でも福島さん夫婦は私たちみたいな家族には見向きもしないような人たちで、少しお高くとまっているというか、ちょっと感じ悪いなっていう印象だったんだよね。」

間に頷きを混ぜながら、記憶を辿るように話してくる。私も適当な相槌を交えながら彼女のほうへ前のめりで聞き入っていた。別段事件に興味があったわけではなかったが、知り合いが事件に関わっているなんておいしい話聞き逃したくない。それにこの話は同僚の誰もきっと知らない話だ。彼女から聞いたわけではないが、何となくそう確信できた。彼女の話がひと段落したところで、喉まで出掛かっていた質問を口に出そうとしたところで、先ほど注文をとった男性定員が大きな平たい白皿を持ってきた。

「お待たせ致しました。生ハムとクリームチーズのジェノベーゼ、ナスとトマトのスープバスタでございます。」

長ったらしい料理名を早口でサラリと言ってのけながら、テーブルに料理を並べる。まだ湯気の立っているトマトとナスをふんだんに使ったパスタが目の前に現れ、ニンニクの濃厚な香りに思わずわあと声が漏れる。山口さんの方を見ると、緑色に染まったバジルの香るパスタを眺めながら満足げな表情を浮かべていた。男性定員が失礼しますと一言私たちに声をかけてから、キッチンの方へと戻っていった。話していた内容など忘れてしまうくらいに美味しそうな香りを放つ熱々のパスタを目の前にして初めて、私たちは空腹を思い出した。

「めっちゃ美味しそう!」

山口さんがフォークとスプーンを両手に持ちながらはしゃぐ。彼女は食べたことがあるのではとも思いながら、自分の目の前に置かれたパスタを見下ろす。トマトとニンニクの香りが混ざった湯気が顔を包むように湧き上がってくる。本当に美味しそうだ。パスタを見ながら感動していた私たちのもとに再び男性定員が現れた。パスタに見入っていたあまり、彼が近づいてきたことに気がつく暇もなかったが、盆を持つ彼が声をかけてきた時には流石に彼を見上げることができた。

「ルイボスティーとカモミールティーです。こちらチーズとタバスコです。ご利用ください。注文のお品物はお揃いでしょうか?」

「あ、はい。」

彼の質問に気のない返事をしながら、粉チーズが大層お洒落な容器に入れられているのを見つめる。

「ごゆっくりお過ごしくださいませ。失礼いたします。」

彼が大股で去っていくのを、やはりモデル級の体型をしているなと何気なく思いながら見送る。再度テーブルに向き直って、パスタを堪能しにかかる。山口さんが囁くようにいただきますと言っているのを聞きながら、それに応えるように無意識にいただきますと呟く。大きめ切られたナスをフォークで刺してからスプーンを器用に使いながらパスタをフォークに巻く。食べ方は綺麗な方だと自負している。マルッとまとまったパスタを口に入れる前に山口さんの様子をチラッと伺う。彼女も想像通り、上品に食事をする。そう言えば、彼女と食事をしたことがないので、食べ方を見るのも初めてだ。口に運んだパスタをじっくり噛み締めながら味を楽しむ。本当に美味しい。見た目に劣らない素晴らしい味だ。ニンニクのよく効いたトマトパスタ。ナスを噛んだ時のジュッと出てきたナスの甘い汁にパスタが絡み深みが増す。

「ん〜美味しい!」

彼女も最初の一口を口に入れていた。彼女はなんでも感じたことを感じた時に声に、言葉に出していく人なんだなと改めて思い知らされる。私はというと、料理が来てから一度も声を発していない。美味しいも美味しそうも全部頭の中で完結していた。もういっそ、彼女に代わりに言ってもらったような気持ちにもなってきた。

「ね、めっちゃ美味しいでしょ、ここ!」

頷きながら二口目を口に放り込む。さっきまで、事件の話を食い入るように聴いていたのに、今はこの料理に夢中だ。仕事終わり、お腹が空いていたのだ、いた仕方ない。二人して一心に極ウマのパスタを堪能する。ただ食事をしただけになるのは当初の目的と反するのを思い出し、半分ほど食事を進めた後、興奮も少し収まってきたので、彼女に再度質問を投げかける。

「その誠さん?って人とは、その後会ったりしたんですか?」

山口さんもパスタからやっと顔をあげて、応える。

「んー、まあね。誠さんさ、あの一家の中ではちょっとはみ出してるっていうかさ、彼養子でね。誠さんのご両親、その福島さんの娘夫婦なんだけど、滋賀家にはお子さんがいなくて、どうしても子どもが欲しかったから養子をもらったって言ってた。それが誠さん。血のつながりのない家族は信用ならないって思われてるらしいの。金持ちって気難しいよね。」

彼女は誠さんという老夫婦の孫と親しいようだなと話し方から感じとる。それに彼女はきっと無意識に私の質問に答えないでいいように話を進めている。きっと彼女にとってはあまり知ってほしくない事柄なのだろう。

「誠さんも十分エリートなんだよ。会社こそ持っていないけど…」

彼女が食べかけのパスタとフォークで突きながら続きを話そうか迷っているような素振りをする。一呼吸置いてまた話し始める。

「私さ、彼とお見合い結婚の予定だったんだよね。でもそれ以前に私、誠さんとよく話してて、そりゃあ今の時代だから恋愛したいし、スマホで簡単に連絡取り合えるから。会食会であった時に連絡先を交換してて、それで親しくなってたんだよ。だから両親からお見合いの話を聞いた時は案外すんなり受け入れたっているか。」

おお、結構な間柄だった。それなら彼が失踪していることもニュースより先に知っていたのではという新しい疑問が生まれる。

「え、じゃあ誠さんがいなくなってる理由も知ってたりするの?」

思わず言葉にしていた。今日は少し興奮気味で、彼女を前にすると心の中の言葉が声に出てきてしまう。

「うん、実はさ、彼ステージ4のガンなの。それをご両親にさえも言わずに海外に飛んで、余生は自分のことを誰も知らない土地で一人で死ぬって。私さ、彼追いかけたほうがいいかな。誠さん、私にだけ話してたみたいで、もしかしたら私について来てほしかったのかなってずっと思ってて、そしたらあの記事だよ。タイミングが…」

急は展開に度肝を抜かれる。まさかの全く関係なしじゃん。強盗殺人ってただの悪質な他人が犯人だったのかよ。頭の中を一旦整理した気持ちになる。一時の沈黙に彼女も少し気まずそうになる。珍しく私のように眉間に皺を寄せてこちらを観察しているようだ。私の次の一言は彼女に衝撃を与えかねない。普段とは違い慎重に言葉を選びながら心を落ち着かせる。

「じゃあ、その誠さんって人は、事件とは全くの無関係で、山口さんが心配しているのは、強盗犯じゃなくて、誠さんのことだったってわけか。」

納得だというように頷いて見せ、彼女の緊張を少しでも和らげる。彼女も眉間の皺を緩めてから答える。

「そういうことになるね。もちろん近くに強盗犯が住んでるかもっているのは怖いけど、記事が出てから一層彼のことが気になってきて、彼、日本を去る前に私にもう連絡はしてこないでねって悲しませたくないからって言ってたの。だけどさ、やっぱり一緒にいるべきだったよね。」

私がどう答えようと彼女は自分の納得のいく答えを見つけると確信しながら、ただ頷くでも首を振るでもなく、独り言のように話す彼女をただ真っ直ぐに見つめて、心の中だけで応援した。彼女が本当に私に話したかったことは、これだったのかと思うと、お腹の辺りがふっと軽くなったように感じた。ふとテーブルに目を落とすと、まだ食べかけのパスタが濃厚なトマトの香りを漂わせている。話が一旦落ち着いたところで、残っていたパスタをもう一口口にする。彼女もそれを見て、突いていたパスタを食べ始めた。二人して食事を再開する。少し緩くなったポットを引き寄せてカップに紅茶を注ぐ。気持ち程度の湯気を立てながら注がれたルイボスティーを口に含むと、豊かな香りと共に渋味が口一杯に広がった。他人と食事をしていることを思い出して、少しむず痒くなる。それでも、不快感はまだ感じていない。今日は少し興奮している。少し違う自分を見た気がした。

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