一つ目の手記
親愛なるお祖母ちゃんへ。
僕は偉業を成し遂げました。これこそが人類種の果たすべき英雄行為だと断言できる、そんなことをしたのです。
貴女が喜ぶことをお祈りいたします。
月の見える夜でした。
何処かで猫たちが忙しなく鳴いている、寂しい夜でした。
夜風が肌寒く、マフラーを巻く必要がありました。(貴女が昔に織ってくれたマフラーです。どうもありがとう。)
月の見える夜でした。
私はいつもどおりに家を出て、屏脇の横路を抜け、住宅街を歩いていました。(以前にも同じことを書きましたね。)
その日も人っ子ひとりいない道ばかりだったと覚えています。
月の見える夜でした。
鞄にナイフと家の鍵を入れて、顔は隠さずにいました。これから行われる堂々たる行為を誇りたかったのです。
思い通りの道を進み、計画通りに門戸を越えました。
お祖母ちゃん、貴女は性悪説を信じていましたか?
僕は性善説を盲信していました。今はもう違うでしょうけども。
彼に限って言えば性悪説が正しいことです。
何故ならば「彼こそが悪人だ」と僕が定義づけたからです。
そこに僕の初夜の全てを言い表すことが出来ます。
窓を開けました。滞りなく身を滑らせて踏み入り、鞄からナイフを取り出します。(音を立てないように!)
思っていたとおり、彼は純白のバスローブに見を包み、投影機で映画を見ていました。(近くに忍び寄ります)
それは僕も見たことがある映画で、思わず
「趣味が合う!」と声を出してしまいました。
彼が振り向きます。顎髭を無遠慮に生やして、その頭髪は薄く、然し脂肪をやおら蓄えた顎周りを揺らしていました。
彼の眼差しは驚愕に満ちていました、怯えと言っても差し支えない表情。(僕が居るのは不自然なことでしょうか?)
――― 失礼。そう声を掛けてから、ナイフで喉を貫きました。
皮膚は切っ先でぴりりとたちまち裂け、一センチほど脂肉に沈みます。(ショット半分くらいの血が溢れました。少しの脂質。)
しかしすぐに僅かに硬い軟骨のようなもの(喉仏でした)に当たり、刃が引っ掛かります。
それは予想にあった抵抗でしたので、慌てず手首と前腕に力を込めました。やがて刃が再び沈み始めて、すぐに気道に達します。
一度引き抜きます。
喉に対して外側に刃が向くように差し込んだナイフを、側の血管がしかと切れるように横に滑らせて引き抜くのです。
血液の量が増えます。
服に血がはねることのないように!
血が飛び出て、それは水圧を上げたホースからの放水のようで、僕は感心しました。
蝶を見ました。
舞って、舞って、落ちて、落ちて、散って、崩れて、跳ねて、やがて萎びれて、水溜りのように……赤黒く、赫い。
その一瞬に、僕は、一つの理論の完成を知覚しました。
僕は、しあわせものです。
お祖母ちゃん。貴女はどうですか?幸せを感じられたでしょう?きっとそうに違いない。
必然的な結果をもたらす過程が、その夜に完成したのですから。
口笛を吹いて帰路につきました。気分が高揚して、上を向いて歩きさえしました。
誓って神は信じておりませんが、その時だけは、道に差し込んだ月光の放射が、福音のように思えました。
それは僕の、心の中に湧いた神秘性を可視化したようで、おそらくは歓迎すべき事柄でした。
月の見える夜でした。
カミュより




