第8話 第一次宇都宮城攻防戦 その3
慶応4年(1868年)4月19日正午過ぎ――。
大鳥軍別動隊は部隊を三つに分け、城の南東の下河原門、東の中河原門、そして北の明神山と大手門、今小路門に攻め寄せてきた。
戦闘で生じた火は、瞬く間に東部の城下町に燃え広がっていった。城下にわずかに残っていた町民たちは、戦いと迫りくる炎を見て、なす術なく逃げ惑うばかりの状況に陥っていた。
各城門では、新政府軍と大鳥軍別動隊との間で城門をはさんでの激戦が続いた。
下河原門では、汚名返上を期す香川率いる守備隊が、大鳥軍別動隊と激しい銃撃戦を繰り広げた。中河原門では、鉄砲の撃ち合いの後、戸田三左衛門らが槍を持ち、門を開いて突撃し、奮戦した。二つの門は、いわゆる『桝形』を形成しており、勇記が述べた通り田川と水路も相まって強固な守りを備えている。戦下手な香川でも十分に防衛を維持することができた。しかし、全体的に新政府軍は劣勢に立たされていた。
二の丸で全軍の指揮を執る勇記は、建物の外で大きな爆発音を聞いた。
「どうした?」
「明神山からの砲撃です!」
(やはりな。この城を落とすために明神山を取ることは常道。援護の砲撃の裏にある敵の狙いは……?)
考えを巡らせた勇記は、状況を確認するため外に出て馬にまたがると、真っ先に大手門へと向かった。二の丸から三の丸を抜けて大手門に着くと、守備隊は必死に銃撃を繰り返し、大鳥軍別動隊の侵攻を防いでいた。見る限り、大鳥軍別動隊は、それほどの戦力を投入していないようだった。
(あくまで狙いは中河原門と下河原門か!)
「援軍がすぐそこまで来ている! 今少し持ちこたえよ! 勝機は我らにある!」
勇記は兵士たちを鼓舞した。しかし、援軍が近くに来ているとの報告は届いていなかった。
その後勇記は、城の北側から今小路門を巡り、三の丸の東、蓮池門までやってきた。そこから東は中河原門がみえる。銃声や怒声が入り乱れる中、三左衛門率いる守備隊の旗色は悪くなかった。
続いて勇記は、南の下河原門の方へ視線を移した。立ち上った炎が門に迫り、町を焼いた煙と銃砲からの硝煙が一帯には立ち込め、とめどなく砲声が響いていた。激戦が繰り広げられていることは明らかであった。
「大砲用意!」
勇記は、蓮池門の守備兵に、ここに設置されていた二門の大砲を下河原門に攻め寄せる大鳥軍別動隊の後方に発射するように指示を出した。守備兵は指示に従い、三発の大砲を発射した。着弾を確認することはできなかったが、発射を確認した勇記は、馬を進めて下河原門に向かった。
後に勇記は、この砲撃が思いのほか大鳥軍別動隊の動揺を誘ったことを知り、ことのほか残念がったという。
下河原門に向かう途中、一度本丸に移動した勇記の目に、続々と運び込まれる死傷した兵士の光景が飛び込む。勇記は傷ついた兵士たちに労いの言葉をかけ、激励しながら下河原門に向かった。
本丸から二の丸を抜け、三の丸の小野森門を出ると、勇記の周囲にも大鳥軍別動隊の放つ銃弾が着弾するようになってきた。また、風にあおられて舞い降る火の粉の量も次第に多くなってきていた。下河原門に近づくにつれて、銃弾は雨のように降り注がれる。勇記は、的になることを危惧して、ほふく前進の様相で下河原門へと向かった。後日「大地を這って進む姿は見苦しく、恥ずかしかった」と勇記は述懐している。
「まずい!」
下河原門に着いた勇記の目の前では、数人の味方の兵と大鳥軍別動隊の兵が刀を交えていた。土塁を乗り越えて城内に侵入し、下河原門を内側から開けようとする大鳥軍別動隊の兵士と、これを阻止しようとする味方の兵士が激しく鎬を削っていたのである。
「香川殿、ご無事でしたか!」
勇記は、香川と対峙する大鳥軍別動隊の兵士を一刀のもとに斬り伏せると、香川に声をかけた。
「かたじけない。何とか踏みとどまっているが、一部の賊の侵入を許してしまった。大口を叩きながら申し訳ない」
「いいえ。ここは激戦。これまで持ちこたえられたのです。恥じることはございません」
その刹那、守備兵が叫んだ。
「中老殿!」
侵入した大鳥軍別動隊の兵士の槍が勇記を襲った。
勇記は、わずかに身体をよじり、必要最小限の動きで槍先をかわすと、槍を握る兵士の手首に一撃を入れ、返す刀で下から斜め上に兵士を斬り上げた。
「お見事! さすがでございますな」
「世辞はよい。賊に集中しろ!」
傍らで勇記の太刀さばきの見事さに呆気にとられている香川を尻目に、勇記は守備兵に言い放った。そして目で香川に合図を送ると、守備兵たちを激励、鼓舞しながら味方の兵に加勢するため下河原門の方へ歩みを進めた。その勇記の後姿を眺めながら、香川は守備兵に尋ねた。
「あの者、剣も達者なのか?」
守備兵は、下河原門に向けて銃を構えながら、香川を見ることなく答えた。
「中老殿は、お若い頃、北辰一刀流の千葉周作先生から、直に手ほどきを受けたとか……」
バツの悪そうな顔をする香川が視線を下に落とした。その刹那、大きな爆発音が鳴り響き、香川の足元に数多の木片が降り注いだ。
「中老殿―!」
守備兵は叫んだ。その声を聞きながら香川の心は恐怖でいっぱいになっていた。事あるごとに異議を唱え、少し前には自らの自尊心をずたずたにした男。すぐにでも目の前からいなくなってほしいと思っていた男。そんな男が、今は最も頼りになる。その男がもしかしたら……。最早万策尽きた感のある香川がその場に座り込むと、地面を這うように近づいてくる者がいた。
「目の前に斬りかかってきた賊が盾になりました。命拾いしました」
爆煙と土煙、そして南東からの風に流される延焼の煙で視界は利かなかったが、その声の主が勇記であることは、香川と守備兵には分かった。守備兵が勇記に尋ねた。
「ここも持ちません。御用米に火を点けますか?」
下河原門の横には御用米を蓄える蔵がある。守備兵は賊に貴重な食糧を渡す必要はないと考えた。勇記はすかさず口を開いた。
「いや。奴らにも民草を労わる心があることを祈ろう……」
上体を起こした勇記と香川の目が再び合う。二人が意を決したように二の丸に向かって歩き出そうとした時だった。
「一気に進め! 香川を見つけろ!」
大鳥軍別動隊の声が響く。勇記は、香川の身体がわずかに震えたのを感じ取った。黒煙が立ち込める中、香川の顔からはさらに血の気が引いていた。勇記は守備兵に香川を二の丸へ連れて行くよう命じ、自らは静かに立ち上がった。ちょうどその時、風が舞い、視界を覆っていた煙がわずかに散った。
視線の先に、ぼんやりと浮かび上がる人影――。
現れたのは、異様な気配を纏った一人の男だった。洋装に身を包み、片手に日本刀を携えたその男からは、戦場の喧騒をも切り裂くような殺気が溢れていた。
勇記の手が自然と柄に伸び、音もなく刀が抜かれた。
身構えた瞬間、男の目が細まり、口元に笑みを浮かべた。
「……無駄がねえ。正中を外さず、間合いを見切ったその構え……北辰一刀流。懐かしいな。山南を思い出す」
勇記の目がわずかに揺れた。
「土方……だな? 見事な戦いぶりだ。……山南……。敬助のことか」
わずかに土方の頬が緩む。
「香川はどこだ?」
「所詮は私怨か……」
笑みを浮かべる勇記に土方が質した。
「……山南を知っているのか?」
「同門の弟弟子だ。若い頃、江戸で稽古もつけた。京で無残に散ったと風の便りで聞いた」
勇記の声が低くなり、刀を握る手にわずかに力がこもった。
「お前こそ私怨か。お互い様だな」
土方も両手で刀を握り直す。二人は刀を構えて対峙した。土方が小さくつぶやいた。
「香川の前に、一山あるってことか」
静寂が訪れた。
城内に轟く砲声や怒号が遠くに消え、まるで二人の周囲だけ時が止まったかのようだった。二人の剣士が、わずかな呼吸音すら見逃さぬように互いを測り合う。その刹那、再び風が巻き起こり、黒煙が二人の間に割り込んだ。
「土方さん! どこです!? ご無事ですか!」
遠くから大鳥軍兵士の声が響く。だが土方は応えず、構えを解かないまま目を凝らす。
煙がわずかに晴れた。……そこにはもう、誰の姿もなかった。しばらく黙って煙の向こうを見つめた土方は、ようやく息を吐き、小さく呟いた。
「あんな奴が……こんな所にいるとはな」
土方は刀を鞘に戻すと、部下たちにさらなる進軍を指示した。
一方、二の丸へ向かう勇記は、刀を持つ手を見下ろし、ぽつりと洩らした。
「……あれが土方。まったく、怖い怖い」




