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第7話 第一次宇都宮城攻防戦 その2

 慶応4年(1868年)4月19日、運命の夜が明ける――。

 夜明け前の澄んだ空気の中、勇記は城外に向かう兵の列を見下ろしていた。その数600。宇都宮城の東側を流れる田川を越える後姿を、勇記は祈るように見つめた。

(それがし)は城外の陣の様子を見て参ります」

 寝ずに大鳥軍別動隊の襲来に備えていた勇記は一人(うまや)へ向かった。納得できないとはいえ、決まった以上、最善を尽くさなければならない。そうであればこの目で城外に布陣する部隊の陣立て確認しなければならない。

 しばらくして東の空が明るくなった頃、勇記は一人馬を飛ばし、城の東南東約10町(1km)、約300人が配置された簗瀬村へ向かった。続いて簗瀬村の東、本営が置かれた平松村へ。平松村に着くと、城外の部隊を指揮する平川が勇記の元にやってきた。

 平川和太郎――。香川と共に宇都宮城へ救援に来た土佐藩士である。16日に大鳥軍に大敗した部隊を率いていた。

「賊が迫っているというのに、どうも兵士の士気が上がらない。これでは先が思いやられる」

「某が鼓舞してまいりましょう」

 言葉とは裏腹に、勇記の内心は煮えくり返っていた。

(大敗した指揮官の元で働く兵士の士気が上がるわけがなかろう!)

 平静を装いながら、兵士たちの元へと歩を進める勇記の元に、城の忠恕(ただゆき)から直ちに城に戻るようにとの沙汰が届いた。

 軍事・民事の両面で宇都宮藩を指揮する立場にあった勇記と22歳の前藩主・戸田忠恕。敵が迫る中、心休まらない忠恕は、勇記には傍にいてほしいと考えたのである。

 勇記は急ぎ城に戻った。


 6時頃、大鳥軍別動隊は宇都宮城への進軍を開始――。援軍は間に合わなかった。

 10時頃、大鳥軍別動隊は、まずは平松村の南、約150人が布陣する砂田村を急襲し、これを難なく突破。勢いに乗って簗瀬村に進んだ。

 簗瀬村の部隊の中心は宇都宮藩兵。平川率いる平松村の部隊もこれに参戦。しかし、必死の抗戦虚しく、ほどなく宇都宮城を目指して退却した。

 この時、香川は平松村の東の桑島村にも、野州烏山(からすやま)藩兵約110人を配置していた。しかし、旗色の悪さを見た烏山藩兵は、宇都宮城とは反対に進路を取り、自藩へと引き返していったのであった。

「ご注進! 御味方、城外での戦闘に敗れ、城に向かって敗走中!」

 戦闘開始からおよそ一刻後の正午頃、二の丸の館の指揮所に伝令から戦況が報告された。

(ど素人が!)

 分かりきっていた結果である。視線を香川に向けると、香川の顔は気持ちひきつっているように見えた。勇記の中に、無謀な作戦を選択した香川に対する怒りが込み上げてきた。

「どうやら土方は近藤の仇を探しているらしい……」

 その場の宇都宮藩士が皮肉交じりに言葉を発した。香川のひきつった顔から血の気がひいていく。勇記は、そんな香川には目もくれず口を開いた。

「味方が渡り終えた段階ですべての橋を落とせ! 急げ!」

 勇記の指示を受けた伝令が勢いよく走り出した。

(橋さえ落とせば何とかなる!)

 祈るように東の方を見つめる勇記に、間髪入れず、新たな報告がもたらされた。

「大手門に向かう賊の一軍あり!」

「北だと!? 南東は囮か! すぐに大手門に兵を送れ!」

 声を上げたのは香川であった。つい先刻まで顔を引きつらせ、輪の中に入れずにいた香川は、勢いよく一歩前に踏み出して汚名返上とばかり声を張った。

「黙っていろ!」

 間髪入れず怒鳴り声が響く。勇記である。

「それこそが囮であると分からぬか! 兵法を解さぬ書生は引っ込んでいろ!」

 この時ばかりは、三左衛門も勇記を制することなく、その言葉に従った。建前を気にしている余裕はなかった。続けざまに戦況を知らせる伝令が届く。

「賊軍が中河原門、下河原門に迫りつつあります! また、賊の砲撃により簗瀬村に火が上がり、南東からの風に煽られて、火の手が田川東岸に広がっております! 」

「橋はどうした?」

 勇記は血相を変えて尋ねた。

「撤退するお味方を通しております!」

 伝令が報告するや否や、香川が声を張った。

「急ぎ橋を落とせ!」

「しかし、焼き出された町の者が行き場を失っております。ここで橋を落としたら……」

 戸惑う伝令に向かって、香川は語気を強めた。

「構わぬ! 第一に考えることはこの城を守ること!」

 声が響いた刹那、乾いた音とともに香川は後方へと吹き飛んだ。見上げた香川の視線の先には、右の拳を握りしめた勇記が仁王立ちしていた。

「新しい世の民の命であろう!」

 勇記は声を荒げた。矢継ぎ早に飛び込む伝令。

「賊軍の勢い激しく、橋を渡って進撃中!」

 焦りと安堵が入り乱れる複雑な心持ちのなか、勇記は努めて冷静を保ちつつ、三左衛門に向かって進言した。

「遊軍を中河原門と下河原門に回そう。二つの門のうち一つでも突破されれば、城は長くはもたない」

「それでは、某は中河原門へ」

 頷いた三左衛門が駆け出していった。これを見送った勇記が、下河原門へ向かおうとしたとき、何者かがこれを制した。

「某が参る! いや行かせていただきたい! (あがた)殿はここで全軍の指揮を!」

 香川であった。香川は、勇記の一撃で切れた口から流れる血を拭いながら立ち上がった。勇記は迷った。もはやこの男、厄病神以外の何者でもなかった。宇都宮城維持のための救援として乗り込んできたにもかかわらず、勇記たちの進言を聞かずに部隊を動かし、先日の小山で敗れ、つい先刻の戦いでも戦況を悪化の方へと導いてしまった元凶とも言えた。

 しかし、勇記は、香川の覚悟に満ちた表情を見て心を決めた。

「お任せいたします。ご存分にお働きくだされ」

 勇記の判断に異論ありと言わんばかりに、その場の者たちが身を乗り出すが、勇記はこれを制した。

「先ほどのご無礼、平にご容赦ください」

 頭を下げる勇記。香川は、力強く頷き、駆け出して行った。詰め寄る者たちに勇記は答えた。

「戦術は二の次の単なる防衛戦だ。盾は多い方がよかろう」

 途切れることなく報せが届く。次の報せを聞いた勇記はあきれ果てて言葉を失った。

「町民の一部が避難指示に応じず、明神山に集まっております!」

(たわけたことを……)

「ここの兵は動かせん。致し方ない。無事を祈ろう」

 北への避難指示に従わず、戦争見たさの野次馬根性で、数百人の町人が明神山に集っていた。ここに大鳥軍別動隊の一部が迫る。この光景を目にした町民たちは恐怖にかられ、我先にと北に向かって逃げ出していった。こうして大鳥軍別動隊は明神山を占拠したのであった。

 土方の巧みな戦術の前に、宇都宮城の命運は風前の灯となっていた。


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