第5話 予兆
慶応4年(1868年)4月7日――。
香川敬三率いる救援隊が宇都宮城に到着した。
香川は、周辺諸藩に援軍を要請する一方で、自らは軍勢を率いて日光道中・今市宿に向かった。これを受けて、今市宿に駐留していた会津藩兵は撤退。香川は余勢を駆って日光に進駐し、この地に隠れていた前老中板倉勝静を捕らえ、11日宇都宮城に連行して帰還した。この一連の結果が香川の尊大さを引き起こすことを、誰も気づいていなかった。
そして14日、宇都宮城の香川の元に古河藩から援軍の要請が入った。北上する元幕府歩兵奉行・大鳥圭介率いる江戸脱走軍が迫っていたのである。
「ここは自重くださいますようお願い申し上げます」
援軍の派遣に前向きな香川に対して、勇記は毅然として異を唱えた。
「宇都宮の守りが重要でございます。総督府もこの地の重要性を認識したからこそ、香川様を派遣なされました。奴らの目的は日光、そして宇都宮。いずれ必ずここに押し寄せてくる以上、少ない兵を割き、これを戦闘で失うべきではございませぬ。斥候を放ち、状況を確認してからでも遅くはございません」
居並ぶ者たちが勇記の意見に声をそろえる。香川は口を開いた。
「斥候ならすでに放っている。報せでは賊の数は多くないらしい。聞くところによると、賊は寄せ集めというではないか」
勇記は香川を睨んだ。
(お前の部隊もそうだろうに……)
香川は意に返さず続けた。
「あえて賊を城の近くに呼び寄せる必要はない。早いうちに叩けるだけ叩いておけば、俄然我が方が有利になるというもの。今ここで兵を出せば我が方の勝利は間違いなしだ」
勇記は両の拳に力を込めた。香川の意見に真っ向から立ち向かおうとした刹那、隣に控えていた戸田三左衛門が勇記の肩に手をのせた。
これを見た香川は、勝ち誇ったように続けた。
「宇都宮藩兵は残す。戦いは我らに任せて城の守りを固めていてくれたまえ。いつものように“一休み”でもして、な。あの近藤を捕らえた我らの手並みをみせてくれる」
”いつもの一休み”――。
香川の皮肉めいた言葉は、とある宇都宮藩の失態を指していた。
遡ること4年前の元治元年(1864年)8月、幕府からの天狗党追討の命を受け、宇都宮藩総勢約480人が出陣した。
地の利に勝る天狗党の前に苦戦を強いられたものの、宇都宮藩隊は緒戦に勝利。その夜酒宴を開き、勝利の余韻に浸った。
だが、至福の時は続かない――。
天狗党の奇襲攻撃。宇都宮藩隊は大混乱。指揮官は指揮を放り出して我先に戦場を離れ、多くの兵がこれに続くという体たらくを晒した。
多くの死傷者に残り少ない弾薬。遠征先の戦闘で疲労困憊。宇都宮藩隊は宇都宮に戻ることを決めた。しかも、追討軍の総督の許可を得ることなく……。
まさに「疲れたので帰ります。」と言って勝手に戦場を去るようなもの。幕府は大激怒。これまでの失態にとどめを刺したこの行為を受け、宇都宮藩に対して厳しい処分が通告されるに至ったのである。
言い残した香川は、救援部隊を編制するため奥の部屋へと消えていった。
(ふざけやがって……。いつのことを言ってやがる)
心の中でつぶやいた勇記は、三左衛門に向かって進言した。
「万一に備えて藩境の警備を強化し、一揆の制圧に向かった藩士を呼び戻そう。間に合うかどうか分からぬが……」
これに頷いた戸田三左衛門は、すぐさま各方面へ使いの者を走らせた。
15日、香川の指示で古河藩救援に向かった部隊は、16日に大鳥軍と交戦してこれに大敗する。早馬がもたらす報せを聞いた勇記は、黙って空を仰いだ。
敗報を受けた香川は、総督府に伝令を出す一方で、宇都宮城に残留する部隊を率いて出兵することを宣言した。
「これ以上の兵力の損耗は避けるべきです!」
香川は答えなかった。勇記らの意見を聞き入れず、しかもそれを皮肉って派遣した部隊の敗走。香川は、彼らと目を合わせることなく無言のまま、しかし歩調だけは妙に早く、その日のうちに宇都宮城を発った。
そして――。
17日、香川、小山で大鳥軍に惨敗。
香川は、その日の夜に宇都宮城に戻った。敗走中、香川は、総督府に援軍を求める伝令を放ち、宇都宮城帰着後も夜間にも関わらず周辺諸藩に再度の援軍を要請した。
(お前は何しにここへ来た!?)
煮えくり返る心とは裏腹に思考を巡らす勇記。しかし、明確な策は浮かばなかった。焦り、苛立ち、失望……。様々な想いが冷静さを失わせた。香川に意見した時とは真逆の表情。これを周囲に見せまいと、勇記は夜空を見上げた。
その頃、板橋の総督府では、続々と寄せられる戦況不利の報告を受け、救援軍の派遣を決定。17日夕刻第一救援軍約500人、18日伊地知率いる第二救援軍約350人、19日第三救援軍約200人を、順次宇都宮に向けて進発させていった。
この時、まだ誰も気づいていなかった。大鳥とも違う足音に……。




