第十八話 逃げた先に
第18話「逃げた先に」では、エイドが物理的に牢を出て街に戻る場面を描いています。
誰かの手によって与えられた“自由”。
けれどその自由は、失ったものを思い出すための空白でしかありません。
牢を抜けてもなお、彼の心は檻の中──
“心の囚人”となったエイドの絶望を、どうか読んであげてください。
ある夜。
牢獄に、不自然な静寂が訪れた。
いつもは絶えず聞こえる兵士たちの足音も、
侍女たちの囁きも、
すべて消えていた。
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エイド・グレイヴは、
ぼんやりと、それに気づいた。
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壁の向こうから、
誰かが鍵をこじ開ける音がした。
鉄格子が、わずかに開いた。
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エイドは、
動かなかった。
もはや、
希望なんてものは、
とうの昔に死んでいたから。
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だが──
誰かが、そっと彼に声をかけた。
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「エイド、……早く、こっちへ。」
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その声は、
知らない女の声だった。
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暗闇の中、
見覚えのない小柄な影が、手招きしていた。
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エイドは、
体を引きずった。
錆びた鎖が、
足元で引きずられた。
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牢を抜ける。
兵士たちは倒れていた。
全員、意識を失っていた。
誰が、何のために──
そんな疑問すら、もう湧かなかった。
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ただ、
動かされた体のまま、
出口へ向かった。
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地下牢の階段を、這うように上った。
ひどい悪臭と血の匂いが、
鼻を突いた。
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やがて、
王城の裏門に辿り着いた。
夜の風が、冷たく吹き込んだ。
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その瞬間、
エイドの体は反射的に震えた。
外だ。
牢獄ではない。
空の下だ。
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女は、
小さな袋をエイドに押し付けた。
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「これを。
最低限の食料と、身を隠すための外套。」
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エイドは、
ただ受け取った。
何も言わなかった。
言葉は、
とうに失っていた。
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女は、
暗闇に紛れて消えた。
誰だったのか、
どうして助けたのか。
そんなこと、もうどうでもよかった。
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エイドは、
夜の街を、ふらふらと歩き出した。
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王都の街並みは、
昼間とは違う顔を見せていた。
血の匂い。
腐ったゴミ。
嘲笑と、蔑み。
──地獄だった。
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民衆たちは、
英雄だった男に見向きもしなかった。
彼を指さし、
笑い、
石を投げた。
またか、と思った。
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エイドは、
ぼろぼろの外套をまとい、
顔を伏せた。
泥だらけの道を歩く。
逃げ場所なんて、どこにもなかった。
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体は、自由だった。
だが──
心は、牢獄に囚われたままだった。
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何を見ても、
何を聞いても、
何も感じなかった。
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自由とは、
こんなにも、
空虚なものだったのか。
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ふと、
エイドは足を止めた。
目の前に、
かつてエステラと歩いた道があった。
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あの時は、
笑っていた。
手を伸ばせば、
彼女がすぐそばにいた。
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今は、
何もなかった。
誰も、いなかった。
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エイドは、
地面に膝をついた。
そして──
声を殺して、
泣いた。
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声なき、
絶望の嗚咽だった。
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夜の王都は、
そんな男の存在に、
興味すら示さなかった。
ただ冷たく、
容赦なく、
腐っていくばかりだった。
お読みいただきありがとうございました。
この章では「脱出=救い」ではないことを意識しました。
誰かが手を差し伸べても、それを掴む心が壊れていれば意味がない。
地上の空気を吸っても、かつての“光景”を思い出しても、
涙はもう「悲しみ」ではなく「生き残ってしまったこと」への慟哭です。
次話では、再び“誰か”の視点を挟むかもしれません。




