第十四話 最初の崩壊
『英雄の代償』第14話です。
今回は、エイドの心に最初の“崩壊の音”が走る章。
それは叫びでも涙でもなく、静かな、誰にも気づかれない「音のない崩壊」。
人は、心の中でゆっくり死んでいく。
その始まりを、どうか見届けてください。
冷たい鉄の床。
腐った藁の匂い。
剥がれ落ちた石壁。
そこが、
エイド・グレイヴのすべてだった。
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広場での公開処刑まがいの私刑のあと、
エイドは再び、
地下牢へと叩き込まれた。
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体は、動かなかった。
骨が、
何本折れたかわからない。
皮膚は裂け、
血と泥にまみれ、
もはやどこが自分のものかすらわからなかった。
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でも──
本当に痛かったのは、体じゃなかった。
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心だった。
胸だった。
そこに、
重く、冷たい鉄の杭が、
ぐさりと打ち込まれていた。
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エステラの──
あの、小さな手が。
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エイドは、
ぼろぼろになった体を引きずって、
牢の隅に身を寄せた。
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何も、考えたくなかった。
でも、
思考は止まらなかった。
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(なぜだ……)
(俺は、何を間違えた?)
(何を、失敗した?)
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思い出した。
戦場で、
仲間と背中を預け合った日々を。
民衆に笑顔を向けたあの日を。
エステラと花を編んだ夜を。
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全部──
全部、嘘だったのか?
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胸の奥に、
深く、鋭いひびが走った。
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声にならない叫びが、
喉を掻きむしった。
でも声は出なかった。
呻くことすら、できなかった。
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ただ、
世界が静かに、
崩れ落ちていく音だけが聞こえた。
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ふと、
牢の鉄格子の向こうで、
誰かの足音がした。
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現れたのは、
見覚えのある顔だった。
──カリス・ヴェイン。
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かつて、
戦場で背中を預けた仲間。
たったひとりの戦友。
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カリスは、
エイドを見た。
その目に、
かつての熱はなかった。
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そして──
そっと、
牢の鍵をかけ直した。
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カリスは、
ただ一言だけ、呟いた。
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「……悪い、エイド。」
「これが、俺の精一杯だ。」
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そして、
背を向けた。
二度と、
振り返らなかった。
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エイドは、
拳を握った。
力が、入らなかった。
ただ──
またひとつ、
心の中で何かが、崩れ落ちた。
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世界は、
こんなにも冷たかった。
救ったはずのこの世界が──
誰よりも、エイドを殺そうとしていた。
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夜が来た。
地下牢には、
光も、音も、温もりもなかった。
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エイドは、
ゆっくりと、
膝を抱えた。
ただひとりで。
誰にも助けられず。
誰にも届かず。
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そして、
その心に走った最初のひびが、
静かに、確実に、
彼の中の”何か”を壊し始めていた。
読んでいただき、ありがとうございました。
信じた人に裏切られたとき、
人は“絶望”ではなく、“沈黙”の中に崩れていきます。
エイドが見つめる闇は、まだ完全な破滅ではありません。
でも──それは、確実に始まりました。
次回、第15話は「もう戻れない地点」へ。




