還ってきた副団長
――そんな、まさか。カヘル君……冷えひえなる君が、物語の領域へ行ってしまうだなんてことは!! あってはならない、君の騎士達と……デリアドのために!
いつかの夕べに西の魔術師が語った物語は、不思議ではあっても物悲しいだけの物語だった。
しかしあまりに酷似した現実が、目の前で起こったとするのなら――。いま取り残された自分たちは、どう嘆けばいい? ランダルは、歯を食いしばって自問する。
「置いてかないでくださーい! 副団長ぉぉぉー」
ますます悲しげにわめくローディアの広い背中を、王が震える手で支えようとした、その時である。
「ふがっっっ」
そのローディアの背が、いきなり後方へもじゃりと動く。つられてランダルも引っ張られた。
「えっ」
「わっ?」
どすどす・もじゃり! 一斉に尻もちをついて地面に座り込んだランダル・ローディア・ロランの目の前に――。
「カヘル侯ぉぉぉぉッ」
護衛ブランに素早く助け起こされたランダルが、一番のりで叫んだ!
いつも通りに冷えひえ表情、さらっとすらっときっつい眼差しで、黄土色外套のデリアド副騎士団長が壁石の前に立っているッ!?
「大丈夫ですか。ロランさん」
「ふぁっ、ファイー侯ッッ」
ゆで卵のような古書店主の手を引っぱり起こしているのは、びしッとかっこ良すぎる女性文官である……こっちも通常仕様!
「少々はぐれてしまったようですが……状況は? ローディア侯」
「……」
差しのべられた副団長の手を、ローディアはぽかんと見るだけで取らない。
「貴侯を置いていくわけはありません。ついてきなさい」
じつに冷やっこい超常の冷気が、ローディアのふかふか栗毛をそよがせた――がばーり!
「うわぁぁぁぁん、副団長ぉぉぉぉ!」
その有り余る毛深き巨躯いっぱいに、側近はカヘルをぎゅう抱きした! いやむしろ、もじゃ毛で包みこんだ!
マグ・イーレ王とその親友の古書店主、および護衛のブランは、一斉に口を四角く開けて驚くしかない。
カヘルとファイーが壁石の中から、にゅうんと浮き出てきたように見えたのにも驚いた。しかしこのデリアド騎士ふたりの光景にも、信じがたいものを感じている。
「カヘル侯ぉぉぉぉ」
夢中で叫んでいるローディアだって、本当のところはその毛深き胸の底でわかっていた。上司をぎゅう抱きなんて、しちゃいかんのである。騎士たるもの、同職場においても不必要ななれ合い触れあいは避けるべし、と『騎士職訓』に書いてある。
しかしローディアにとって、これは必要不可欠だったのだ。迷わずついて行ける騎士の鑑、デリアドの未来の礎。寝起きのわるさなんて、ちゃっちい欠点である。そういうカヘルを、ローディアは失いたくなかった。絶対に。
その辺まるっと理解しているがゆえに、カヘルも別段突き放さない。側近のぎゅうは相当の圧であろうに、しれっと涼しげな……いや。生ぬるい表情にて、栗毛もじゃ頭をがしがし撫でているではないか。
「ローディア侯、大丈夫か―― って」
「うへぇ??」
ハナンに伴われてドルメンに入って来た、カヘル直属部下バンクラーナとプローメルも、この奇景を見るなりぎょっとする。したまま、マグ・イーレ王の横で口を四角く開けた。
「錯乱された方と言うのは……?」
別の声がして、ランダルがはっと振り向く。ドルメン入り口のすぐ外側に、長細い男の影があった。後ろに従えているのはエノ傭兵だろうか、異様に細身の衛生兵がひとり付いている。
医療関係者の着る青い衣の上に、質素すぎる黒い外套。雨滴のしたたるその頭巾の下から、若い医師がローディアの方を見、次にはっきりマグ・イーレ王に向かって問うた。
「……落ち着かれたのですか」
「……ええ、大丈夫そうです。ご足労で申し訳ない」
「ご無事でよかった。では、負傷者手当に戻ります」
長細い若い医師は、おだやかな表情でゆっくりランダルにうなづく。そして衛生兵を連れて、足早に去っていった。
彼はローディアのために来たのだ。自分を診に来たのではない、――そうランダルは思おうとした……乾いた心で。自分は固ゆで作風の筆なるぞ。
「やっぱり君のこと、心配で来てくれたんだよ」
古書店主ロランが、ランダルの隣でそうっと囁く。
長年の心の友のてまえ、意地なんて張るだけ無駄である。
じわりと滲むものを見られたくなくて、マグ・イーレ王ランダルはつば広帽子をかぶり直す。……うす暗いドルメンの中にいると言うのに。




