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エコノミー症候群の魔の手

 

・ ・ ・ ・ ・



 デリアド国境を東向きに越える。一日強の道程ののち、カヘル以下六騎は隣国の首邑みやこマグ・イーレ市に迫った。


 塩田の町ザイレーンを過ぎて、残すところあと数愛里(※)となった頃。淡い灰青空と黒い海の中に挟まれて、浮かぶように現れた島があった。≪大いなるマグイーレ≫である。


 頻繁に訪れるカヘルとローディア、直属部下らにとってはおなじみの光景だが、デリアド領内を出ることの少ない地勢課市職員ファイーと衛生文官ノスコには、息を飲む絶景であるらしい。



「湾にぽっかりと浮いているみたいだ……。ここ沿岸街道からだと、どうしても島に見えますよね!」


「その実は、地続きなのですけれどね」


「ファイー侯は、マグ・イーレに何度もいらしてるんですか?」


「いいえ。わたしの親戚は、少し北へ行った内陸地に住んでいるのです。こちら首邑みやこへ来るのは、もう十年以上ぶりかもしれません」



 文官どうし、ノスコとファイーが控えめながら朗らかに話す声が、塩辛い潮風にまぎれてカヘルの耳に入って来る。



・ ・ ・ ・ ・



 デリアド城に比べるとだいぶ規模の小さいマグ・イーレ城は、湾の中にそそり立つように突き出ている極小半島、その丘の頂点部分にある。海上陸側、四方に向けて見晴らしがよろしいのは認めるが、包囲戦に有利とも言えぬ。微妙な孤立っぷりが特徴の、首邑都市である。


 城を目指すには、それを取り囲むマグ・イーレの町を越えてゆかなければならない。


 およそ大路とも呼べないような、狭い路地の数々。こちゃこちゃと商家や事務所が居並ぶ。庶民の家がはさむ合間を歩けば、マグ・イーレ市民はカヘル達の黄土色外套を見て、さっと道を開けてくれる。はにかんで目礼してくる人も多かった。


 デリアドだけが親マグ・イーレなのではない。マグ・イーレもまた、親デリアドの国なのだった。



・ ・ ・



 そのマグ・イーレ城の中核たる広間に、いま五十人以上もの大人が詰まっている。カヘル達の到着に合わせて、≪於テルポシエ戦役マグ・イーレ戦没者遺骨収集調査団≫出発前会議が行われるところだった。



「それを略して、【マグ・イーレ遺骨調査団】ですか」



 配布された筆記布を手に、ノスコがしかつめらしく呟いた。ひょろっともやし体型の衛生文官は、この狭い場でも余裕しゃくしゃくの表情である。



「だいぶ詰めましたね。もっと余裕ある略称でもいい感じですが」


「……もう少し、そっちの角に行けんか? バンクラーナ」


「いや無理だよ、プローメル。ほんと余裕なし」



 二人の直属部下の手前、カヘル横に座した側近ローディアにいたっては、身動きすらできない。縮こめた長い脚の感覚が、徐々に薄らいでいく危機を感じていた。


 前方に長机を置いて、中央の正妃ニアヴを囲むように、濃灰外套を羽織ったマグ・イーレの幹部騎士らがぎっしり座っている。


 カヘル達はその長机の端、壁際に寄せられて、そこだけを黄土色に染めていた。ファイーは親戚のマグ・イーレ騎士と一緒にいるらしいが、腰掛に座した遺族らもたいへんな数である。時折、黄土色の作業衣らしいのがカヘルの右斜めあたりにのぞく。つまり、ファイーはその辺にいるらしい。


 こんなに人間を密集させて大丈夫なのか、と心配になるほどの詰まりようだ。


 先ほど会議の場に入りかけた際、カヘル一行は正直わずかにひるんだのである。



「これは、これは。ようこそおいで下さいました、デリアドの皆さま!」



 低いところから声がかかって、ローディアはもじゃっと見下ろした。と、マグ・イーレ軍の総大将にして軍旗もち、第二王妃グラーニャ・エル・シエが広間入り口でカヘルとローディアを見上げているではないか。



「あの、妃殿下。この混みようでは……。我々は席を外しましょうか?」



 カヘル直属部下のプローメルとバンクラーナは、遠慮してそう言った。しかし毛織もので着ぶくれ気味の≪白き牝獅子≫は、長机の端に行くよう促してくる。



「皆さま入って下さったほうが、温かいのです。ささ、どうぞ」



 小っさい王妃に笑顔でそう言われて、押し込まれてしまった。確かに広間内は人いきれで相当に温かいが、極度に窮屈である。


 そんなぎゅう詰めの中、まずは机中央のニアヴが起立して、今回のテルポシエ行の概要を話し出した。



「故人の尊重を第一とした、和平的行為の一環であるゆえ。テルポシエ側からの要請に応じて、入国するのは遺族の方々と、補佐役の文官のみです。護衛として第一騎士隊の十二名が同行しますが、こちらはオーランのイリー混成軍・駐屯基地にて日中待機することになります」



 次いで、ニアヴの横に座っていたらしいグラーニャ・エル・シエが立ち上がった。……立ち上がっても小っさい人である。デリアド勢からみて手前にいる幅広の老年騎士にかくれて、カヘルには頭半分しか見えない。



「軍指揮官として、本当に申し訳ないのですが。自分は今回、テルポシエへ同行することができません。たいへん遺憾に思っています」



 そう言って、頭を下げている(らしい)。不満の声を漏らす遺族はいなかった。


 九年前のオーラン・イリー主権奪回戦役、それに伴う対テルポシエの陽動作戦にて、彼らの縁者は命を落としたのである。


 そのテルポシエ前線で指揮を執っていたのは、他ならぬこのグラーニャだった。


 責任と言うなら、グラーニャが骨を拾いに赴くのが筋だ。しかしテルポシエ出身のこのマグ・イーレ第二王妃は、エノ軍主権となった現在でも祖国に危険人物とみなされている。


 のこのこ調査団について行けば、挑発行為以外の何ものとも見られないであろうし、暗殺の格好の機会をテルポシエに与えることにもなろう。遺骨調査団全体に及びうる危険を回避するためにも、グラーニャはテルポシエ行に参加できないのであった。


 さらに遺族と言うのはすなわち貴族、軍属の者々であるからして、政治的・軍事的背景をかんがみた宮廷の判断に、異論を唱えるものはいないのだ。



「調査団長として、ミガロ侯がオーランまで皆さまに同行いたします」



 声を上げたニアヴの向こう側に、上背のある壮年男性が立ち上がり、すばやく騎士礼をしてからすぐに着席した。


 カヘルも知る、マグ・イーレ副騎士団長を務めている人物だ。騎士団長のフラン・ナ・キルス老侯は引退したはずが、引き留められて時短勤務中。次期団長となるこのミガロ侯に、現在ゆったり引き継ぎ期間であるらしい。しかしキルス老侯はどこにいるのだろう。ひょろい人だからどこかの隙間、カヘルの見えないところに挟まっているのかもしれない。



「また。調査地へはデリアドの副騎士団長、カヘル侯が同行します」



 ニアヴの声に呼ばれて、カヘルは席から立ち上がる。それに合わせてわずかに身体をそらした真横のローディアは、手足と背中がぎしぎし軋む気がした。


 おお、我らがイリー守護神・黒羽の女神よ。あわれなる毛深き側近をば、血行不良よりまもりたまへ!



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 ※作中、1愛里アイレー・マイルはそちらの世界での約2000メートルに相当。(注:ササタベーナ)

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