今あばかれるシトロ侯の企み
「……貴侯と、フリガン侯が? 生前のシトロ侯に会っていたのですか?」
「はい」
マグ・イーレ王護衛役の騎士ブランが、まだガーティンローの準騎士だった頃の話である。五年前、当時護衛をしていたベッカ・ナ・フリガンに付き従って、ブランはオーラン駐屯基地にシトロ侯を訪問していた。
「東部大半島には、海賊の襲撃をまぬがれて昔ながらの暮らしを続けている人たちが、まだまだいるんです。その中でこっそり海路オーランに来ていた人たちがいることを、ベッカさんと私は知りました。ベッカさんは、故郷を追われた人たちが再び東に帰る足がけを作れるんじゃないか、と考えたんですけど……」
シトロ侯は違った。それらの在東原住民を取り込めば、東部大半島にイリーの軍事拠点を置けるのではないか、と企んだのである。ブランの話す内容は、ベアルサ一味の女性がカヘルに語ったことと一致していた。
「そのあと私はマグ・イーレに来たので、以降はベッカさんとうちの母親に聞いた話ですけど。シトロ侯は折あるごとに、この海路開拓を軍の上層部に提案していたらしいです。でも本当に東部へ行ってきたベッカさんが、騎士団長に向こうの実情を話していたから、誰も取り合いませんでした。シトロ侯はシトロ侯で、海路を使ってオーランに来る東部の人を躍起になって探したけど、見つからない。毎日オーラン港で、奥さんに見張らせていたらしいです」
「……シトロ侯は夫人に探させたの? 自分で探さず?」
怪訝そうな顔で問うマグ・イーレ王に、ブランはうなづいた。
「はい。本人も基地で会った時にそんなこと言ってたし、本当だと思います。でも……」
一昨年のガーティンロー城年賀会、ブランの母は一時帰国していたシトロ夫妻を見かけたのだという。びっくりするくらいにやせ細り、青白くやつれた様子のシトロ侯夫人は、その後まもなく病没したという噂も流れてきた。
「……まさか。あの吹きさらしの港に、毎日立たせて来航者を見張らせていたと言うことですか? か弱いご婦人には過酷ですよ。それでは身体も悪くしてしまいます」
ルニエ老公が、上品に悲嘆のこもった声を上げた。
「……キルス若侯」
正式な呼びかけをされ、ブランはぴくりとした表情でカヘルを見た。
「その亡くなったシトロ侯夫人と言うのは、北ガーティンローの出身ではありませんか?」
やぎのような朴訥顔を少々難しくゆがめて、ブランは小首をかしげる。
「えー……たしか……はい、確かそうだと思います。北部山間部、ラルメーグ森林部のあたり……。中の兄のお嫁さんが母方そっちの方面で、そこの伝手のお見合い情報を交換するためにうちの母親がシトロ侯の奥さんに近づいて行ったはずなので、……たぶんそうです」
「なんて複雑きわまる情報経路なんだ。というかブラン君のお母さんもすごい人脈もってるんだね? 我々の後ろ暗い情報網を、軽く凌駕している気がするよ」
マグ・イーレ王の心の友たる古書店主ロランが、感心した様子でつぶやいた。
「ちょっとロラン、ここはまじめな部分ですよ。ブラン君も、情報源まで全開示する必要はないんだから。……それで結局、シトロ侯夫人が北ガーティンロー出身というのは、何か重要なのですか? カヘル侯」
「いいえ先生、特には。シトロ侯の遺品にそちら由来と思われる首飾りがあったので、確認までに。近親者にまつわるものだと思われましたから」
あの美しい七宝細工の熊笛は、亡くなった夫人の形見であったのだろうなとカヘルは考えた。
「ときにカヘル侯。ベアルサなる敵方理術士が逃走に使っていたのは、ごく一般的な漁船でしたが」
上品に身を乗り出して話しかけるルニエ老公に、カヘルとランダルは目を向ける。
「ああいった舟を使えば、どこの港に入っても漁民としてとられ、怪しまれることはありません。東部系である組織員を潜入させるには、かっこうの変装と言うわけです」
「そうでしょうね……! さすが、海の男たるパントーフル先生の着眼点です」
ランダルが合いの手を入れる。
「さらに、我らがオーラン以西のイリー諸国に比べると、テルポシエの方がずっと東部系住民の割合が多くなる。東とイリーを海路で結ぶにあたり、一番入りこみやすいのはテルポシエです」
ルニエ老公の言わんとすることを、カヘルはくみ取った。
「つまりベアルサ一味は、テルポシエ市内に何らかの拠点を持っている、とお考えですか?」
「推測ですが。私がベアルサであれば、間違いなくそうするでしょう」
その時、古書店主がブランの脇から、そうっと口を挟んできた。
「……それに、テルポシエ港にはティルムン定期通商船が発着します。ティルムン人のベアルサがそこにいても、珍しいとか不審に思う人は少ないんじゃないでしょうか?」
「はっ、その通りだねロラン! 木を隠すなら森の中ということか」
「あやしい本を隠すなら、本屋のまじめな本にはさむのが一番なんだよ、パンダル……」
ゆで卵のような頭の古書店主と、ランダルは力強くうなづきあっている。うつくしい白髪と白髭を上品に揺らし、ルニエ老公もうなづき続けた。
「あとで、我らがオーラン沿岸警備隊にも確認しておきましょう。我々はテルポシエ領海へ乗り入れることはできませんが、ベアルサ達がどちら方面へ逃亡したかで、ある程度の行き先は知れましょうから」
「パントーフル先生、ゼールによろしく伝えてください」
またしても何かを咀嚼していたブランが、飲み込んでから老公に頼んでいる。
傍らで、カヘルはあることに思い当たっていた。
――なるほど。シトロ侯は恐らく、二日前の夜にベアルサ一味とテルポシエ市内で会っていたのだ。私と接触し、ベアルサ一味との会見を取り付けたと報告しに。いや、私は布片を受け取っただけで何も返事はしなかったのだが……。それを約束とりつけと判断したのだろうか。性急である。
怪しいと感じたあの時点で、ど突いて捕らえてしまえば良かったのかもしれない。そうすればシトロはむしろ死なずに済んだ。ベアルサ一味と≪蛇軍≫について、シトロは少なからず情報を有していたはずだから、それを吐かせればイリー側に有益だったはずだ。
――その帰りに、あのテルポシエ墓所へ立ち寄ったのか……。しかし何故また、ドルメンの内に? ああ、それこそ本当に寒さをしのぎたかったのかもしれぬ。夜半のことで宿にも泊まれず、雨をやり過ごしてから闇に乗じてオーランへ帰るつもりだったのだ。
シトロを取り巻く≪蛇軍≫の背景は剣呑なままだが、シトロの死亡経緯そのものは、ごく自然で単純だったとカヘルには思えた。エノ軍医が言ったように、冷え切った外から急に暖かいドルメン内に入って、心の臓が発作を起こした……。
今日一日、テルポシエ墓所の火葬施設は稼働し続けて、マグ・イーレ騎士の白骨遺体を五体すべて焼いたはずだった。他に急な葬送のない限りは、シトロの遺体は明日焼かれる。まったく知る人のない無縁者として。
シトロの身元をテルポシエ側に告げるつもりは、カヘルにはさらさらなかった。
これ以上、イリーを裏切った引退騎士に用はない。異郷で焼かれ、粉塵と化すに値する、と副団長は冷ややかに考えていた。
「失礼します。ぶどう巻きのお代わりをお持ちしました……」
その時、黒いお仕着せの給仕たちが、円卓の背後から上品に声をかけてきた。




