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カヘル侯、ファイー宅にて邂逅

 

・ ・ ・ ・ ・



 こっ、こっ……。


 とっぷり日が暮れて、冷えの広がる眠月じゅういちがつの夕べ。


 夕餉ゆうげの鍋が香る台所、炉と燭と子らの頬があかく輝く食卓にて、数々の筆記布とにらめっこをしていたザイーヴ・ニ・ファイーは顔を上げた。玄関扉を叩く音が、冷やっと彼女の耳に入ってきたから。



「誰か来たよ、母様」



 上の子が、書き取りの手を止めて言った。



「そのようだ」



 言って、ファイーは立ち上がる。珍しく早く帰宅できた日、女性文官騎士は子どもたちの宿題を応援・・していたところである。(※決して、みている・・・・わけではない。)


 下の子がうろちょろとまとわりついて、三人はまとめて廊下に出た。さほど広くもない、デリアド町なかの一軒家である。



「ま~~!! ちょっとー、ザイーヴさーん!」



 ほぼ親戚状態の仲良しばあやが扉を開けていたが、取り次ぐまでもない。その横、黄土色外套の騎士の姿が、ファイーの視界に入る。



「あーっっっ!!!」


「カヘル侯ぉぉぉ!」



 歓喜の大絶叫とともに兄弟は突進し、どす・どすん! デリアド副騎士団長のお腹付近に強烈な体当たりを……違った、熱烈な抱擁をあたえた!



「何でなんで何で!? 今日も一緒に、ごはん食べてくれるんですかぁーッッ」


「千本のっく、しよーッッ」



 小さな兄弟を前に、極度の照れ・・で瞬間凝固してしまったカヘルは、ちらりとファイーの方を見てから視線を下に向けた。



「申し訳ないのですが、今日はお母さまに急ぎの用があって来ました」


「え~……」


「大事な話をして、すぐに帰城します。でも別の日に、また来ます。リリアン君」


「ほんとですか?」


「本当です。日が高いうちに来るので、千本打撃のっくはその時に。……キリアン君」


「はーい」



 兄弟は素直に引き下がる。憧れのデリアド副騎士団長と、いっちょ前に騎士礼を交わし、ばあやと共に台所へ向かった。



「ザイーヴさん」



 静まり返った廊下で、カヘルはファイーをまっすぐ見た。


 ぼかした紺色の毛織室衣へやぎ。くつろいだ格好のファイーはしかし、緊張のまなざしでぎんとカヘルを見返す。


 マグ・イーレから、カヘルは軍馬を速足で飛ばしてきた。はた目にも旅の汚れと疲れがにじんで、非常事態を思わせる様相であろうな、と副団長は思う。しかしデリアド城の騎士団本部へ帰還する前に、何としてでもファイーに伝えなければ、と思ったのだ。


 九年前のテルポシエ陽動作戦、マグ・イーレ騎士の遺骨収集について、カヘルはファイーにかいつまんで話す。


 地勢課勤務の準文官、一介の市職員であるファイーに、叔母ニアヴと話した政治的背景までは言えない。しかし……。



「そこで亡くなられたという、マグ・イーレ騎士のいとこの方を。探しにゆかれる気持ちがあるなら――」


「どうか同行させてください」



 カヘルの提案の終わりをさえぎるようにして、ザイーヴ・ニ・ファイーは低く言った。


 大きく見開いたその双眸いっぱいに、カヘルが映っている。



従兄いとこモーラン・ナ・カオーヴを、わたしは連れ戻したいのです。カヘル侯」



 強い圧のかかった視線――普段は叡智・・に基づいた力のこもるファイーの視線に、今は悲愴が満ちていた。彼女の目の前にいるのは自分なのに、ファイーの青い瞳を占領しているのはカヘルの姿なのに。ザイーヴ・ニ・ファイーは、別の男性を探し求めている……。


 会いたくて来たのに、会えて嬉しいはずなのに。カヘルの胸底は、冷えびえと寂しかった。



「わかりました。私の側から人員枠を確保しておきます。日程などの詳細は、追って連絡しましょう」



 自分を透かして他の誰かを見ているファイーと、副団長は目を合わせていられなかった。事務的に言いながら、カヘルはうつむきがちに身体の向きを変えかける。玄関扉に手をかけた。



「では」



 そのカヘルの右腕に、手が触れた。毛織外套の厚い生地を通して伝わってきたファイーの震えに、カヘルは伏せていた目をはっと上げる。


 白くなるほど唇をかたく噛みしめ、面もちをも白くして、ファイーは動揺していた。その唇を無理やりにこじ開けて、囁くようにファイーは言う。



「ありがとうございます、カヘル侯。わたしの従兄いとこの話を、憶えていて下さったとは」



 動揺して混乱して、それでも自分を立て直そうとしている。こういうファイーを初めて見た。見せてくれたことが、カヘルは嬉しかった。


 一瞬迷ってから思い切る、カヘルは左手をのばす。自分の右腕、肘あたりで震えているファイーのその手を、少し力を込めて上から押さえた。



「大丈夫です。ザイーヴさん」



 ファイーの手は冷たい。あんまり冷たくて、カヘルは自分の手の熱が感じられるほどだった。


 普段から冷えひえで、体温なんぞ意識してこなかったはずのデリアド副騎士団長が、他者を温めるという珍しい事態である。


 ファイーは長く息をためて、吐いた……。顔を伏せている。こぼれそうなものを、彼女は我慢しているのかもしれなかった。


 こうして珍しいこと続き。女性文官とデリアド副騎士団長、つかの間の夕べの邂逅が終わる。



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