謎の変死体
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予期せぬ事態となった。マグ・イーレ遺族らは天幕内へと集められ、カヘル配下とエノ軍幹部、テルポシエ巡回騎士らがドルメンの入り口を囲む。
陽光のもとに運び出してみれば、死体はまごうことなきイリー人の中年男性であった。
「脈はありません。死亡しています」
平生と変わらぬ冷静さにて、若きデリアド衛生文官ノスコが遺体の手首と首筋に手を当てた。
「身体の強張り具合と、小虫のつき方から見ても、亡くなったのはそう前ではありません。死後一日といったところだと思われます」
――それはそうだろう。この男性は昨夜、私に会いに来ていたのだから……。
はっきりと明るい空の下で、カヘルは再確認していた。そう、死んでいるのはゆうべデリアド駐屯騎士の宿舎にやって来た、あの男性らしいのである。しかしカヘルは冷淡なる表情の裏にその事実を隠し、何も言わずにいた。
――と言うのも、私はこの男性の名と素性を知らないからだ。
昨夜の男性と同一人物、とカヘルは確信していたが、そもそも男は名乗らずに消えてしまったのである。恐らく、イリー混成軍基地の駐屯部隊員なのだろうが、どこの国の騎士なのかすらはっきりとしなかった。この状態において自分が遺体男性を知っている、とは言いがたい。
カヘルの毛織衣、隠しの奥深くには、この男から手渡されたごく短い文言入りの布片が押し込まれているが……そこにも署名はないのである。デリアド副騎士団長は、黙っておくことに決めた。
ノスコは、手袋をはめた手で男性の身体を検めて行く。
「これといって、外傷は見当たりませんね……。首元をかきむしっているようなのは、何かものを食べていて喉に詰まらせたか。あるいは、心の臓の急な発作に見舞われて亡くなったような印象を受けます」
「ですね。着ているものも、少し汚れているし……。浮浪者が夜を越そうとして岩家の中に入りこんだはいいが、そこで死んでしまったのでしょうか」
「いや、浮浪者にしちゃ着てるものがまともだし、ひげも刈ってある。金なし野宿旅のおっさんかもしれない。気の毒だ」
エノ軍幹部やテルポシエ巡回騎士らは、衛生文官ノスコの言葉をすんなりと受け入れている。敵対関連にあろうとも、医療関係者はその辺の域を越えて、無条件に信頼されるらしかった。にきび顔のノスコの左胸、樫葉のデリアド国章の下にくっついている、衛生文官のしるしの後光なのであろう。
確かに一見しただけでは、男性は騎士のようには見えない。
男性は、少々くたびれ気味の墨色外套と毛織に股引、厚ぼったい輪状の首巻をつけて、古びた長靴をはいていた。脂ぎった顔と突き出た腹、引き締まった体型とはとても言えない。褐色に近い濃い金髪に白髪が多く混じって、瞳は暗い青色である。デリアドからテルポシエまで、それこそどこにでもいそうなイリー人の中年男性、としか言えなかった。
テルポシエ巡回騎士らが衣類の隠しを探ってみたが、出てきたのは硬貨がわずかに入った小銭入れと手巾くらいである。
「困ったっすね、パスクアさん。身元わかるもんが、何もないっすよ?」
「だなぁ。まあ、とりあえず墓所にいるわけだし……。安置所に置いとこか。家族や縁者が探しに来るだろ」
「そいじゃ、北門の検問に知らせときます。行方不明や探し人届とも照らし合わせて」
やがてエノ傭兵の予備役らが、毛布を運んできた。死体はその中に包まれ、テルポシエ巡回騎士達に運ばれてゆく。
「やれやれ、とんだ発見があったもんだ。……それじゃカヘル侯、マグ・イーレ遺族に調査作業を再開してもらいますが、いいですね?」
潮野方言から正イリー語に切り替えて話してくるパスクアに、内心では驚いていたものの、カヘルは平坦に問うた。
「状況調査は行わないのですか? パスクア殿」
なるほど、不幸な事故死あるいは病死ととるのが妥当な状況かもしれない。しかし人ひとりがこんな妙な場所……戦没者の遺品を安置した墓所の岩家内で死んでいるのだ。まかりなりとも、一通りの調査をして然るべき案件ではあるまいか?
「ええ、しません。事件性はないです」




