副団長(甥)と正妃(叔母)
イリー暦200年眠月三日、午前。
・ ・ ・ ・ ・
遠方からかすかに……ごく微かに、剣戟の音が聞こえてくる。
真剣ではない。木剣どうしを打ち合わせる、重くくぐもった音々だ。おそらくは城内の練兵場で、傭兵部隊が訓練中なのだろう。
びしり。
王妃の手が窓枠にかかり、そこにわずかに開いていた隙間を閉じる。
瞬時に外界の音は遮られ、玻璃窓を通ってくるのは晩秋の朝の光のみとなった。それとて、デリアドとは違う……。ここマグ・イーレの天は多く湿気を含んで、差す陽光はごく和かい。
「はるばる足を運んでくれて、本当にありがとう。キリアン」
室の中央、大きな執務机に見合う大きな椅子にかけて、大柄なマグ・イーレ正妃ニアヴ・ニ・カヘルはじっと正面を見据えた。
ニアヴは現在、五十代半ば。だいぶかさは減ったものの、元々が当代随一の圧倒感を誇る鳶色巻き毛が、王妃の貫禄をいや増しにしている。
ぎーん! と向けられる青い視線は父でなく、自分の眼光によく似ている……と、正面に座したキリアン・ナ・カヘルは思う。思いつつデリアド副騎士団長は、冷えびえとしたいつもの調子で口を開いた。
「便りの中の要約だけでも、たいへんな有事とわかりましたが。実際にテルポシエは、本気で招聘を行うつもりなのでしょうか? 叔母上」
「ええ。ポーム侯、例の書簡を」
「はい。……どうぞ、カヘル侯」
ニアヴの横にひょろんと立つ、秘書役の騎士が机を回り込んできた。大机を挟んで腰掛に座すカヘルに、彼は皮紙を差し出す。じつに良いもの、最高級品の皮であることは触れただけでもわかった。丸まったそれを押し広げて、キリアン・ナ・カヘルは読み始める。
「……少し後ろへずれて下さい。ローディア侯」
白金に近い金髪を後ろへと撫でつけた、端正なる額を曇らせることなく、カヘルは冷えびえとした小声で言う。
それで真横の腰掛からカヘルの手元をのぞき込んでいた、もじゃもじゃ栗色髪と毛のかさばる側近は、慌てて後ろへ身を引く。自分の大きな体躯が影を作ると言うことに、いつまでたっても自覚を持てないらしい。
「……」
読了し、カヘルは顔を上げて叔母を見た。執務室の主、ニアヴはゆっくりとうなづいて話し始める。
「キリアン、あなたもよく知る通り。九年前のオーラン奪回作戦時、我がマグ・イーレの陽動軍は二十名の要員を敵地テルポシエにて失いました。長年ほったらかしだったその遺骨と遺品の収集を、テルポシエは今になって受け付ける、と言ってきたのですよ」
「九年前の戦死者遺骨の収集、ですか」
アイレー大陸・南東部。
沿岸部にかたまる≪イリー都市国家群≫、その最西端にある森ふかき小国の副騎士団長キリアン・ナ・カヘル若侯は、隣国の王へ嫁ぎ現在その元首代役を務めている叔母に向かって、うなづいた。
彼の足元では、腰掛に立てかけて置いた得物がごつい存在感を放っている。
先端にいぼいぼ付きの鉄球がはまった、無骨きわまりない戦棍。これが、この冷徹なる若侯の必殺の武器であった。