ローディアの巨人トラウマ
一行が墓所へと移動を始めた時、ぱらぱらと小雨が降りかかった。
誰もが外套頭巾をかぶって、前へと進み続ける。市外壁に沿って行ったところ、市の北門すぐのところにテルポシエ墓所はあると言う。
ほんの数分後に雨は止んでしまって、もわりと潮風が吹き抜けて行った。
ローディアは両手のひらで、頬から下を押さえる。もじゃもじゃっとしたひげに、まとわりついた水滴を払う。……それを三度も繰り返してしまった、やはり動揺は抑えられない。
――前にここへ来た時は、あいつがいて……。
押しやろうとする記憶が、逆にローディアの心に侵食してくる。彼は春の戦役で相まみえた、≪赤い巨人≫を忘れることができなかった。
真正面で対峙したわけではない、にらまれたわけでもない。ずいぶん遠方に見ただけである。それなのに、側近騎士は赤い怪物の記憶にもう数か月来、怯えていた。
あの悪夢のような姿、……すうっと立った塔みたいな女体と禍々しいばかりの赫色。編んだような長い髪がうねうねと宙に蠢いていたのは、その先が巨大な蛇になっていたから。……蛇。
何かの拍子に思い出してしまうと、ローディアの呼吸は荒くなり、心の臓がどくどくと早鐘をたたくように脈打った。ちょうど今のように。
「ローディア侯」
冷やり、とする低い声が風のように頬をかすめ、ローディアは我に返った。
「場合によっては、遺体との対面から状況記述が必要になるかもしれません。立ったままでの板書きはやりにくいでしょうが、よろしくお願いします」
「はっ、はいっ」
横から見上げてくる氷のように冷やっこい視線が、ローディアにまとわりついていた赫い記憶を全て薙ぎ払い、どこかへかっ飛ばしてくれた。
――そうだそうだ、よけいなことを思い出してる場合じゃないんだ! 今回の副団長は監査役、テルポシエとマグ・イーレの間に入って第三者の観点を持たなきゃいけない。その辺の記録は俺の硬筆にかかってる、記入もれがあったら後が恐ろしいぞッ。
もじゃもじゃうなづく側近の表情から怯えが取れたのを見て、カヘルもまた小さくうなづく。
ローディアだけではない。春に率いたデリアド騎士団の中でも数人、若い騎士が同様の症状に悩まされていることを、カヘルは知っていた。
日常生活や職務に支障をきたすほどではない。しかし常に快活なローディアが、目の前にない何かにひるんで目を虚ろに見開いているのに気づくと、副団長はやはり心配になる。
優秀な書記にして腕っぷしも強く、立派な体格および毛並みを誇る自分の側近ローディアをこんな風にひしゃげさせてしまうとは、とカヘルは巨人を憎んでいた。
さすがはデリアド副騎士団長。キリアン・ナ・カヘルは≪赤い巨人≫を恐れてはいない。
でかい図体で自分の行く先を阻み、しかも話が通じない相手ときては、これはもうカヘルにとって駆除対象の害でしかなかった。だいぶ古い存在でもあるらしいから老害だろうか。どっちみち遠慮は要らぬ。
いつか機会があれば、いぼいぼ戦棍で一発ど突いてやりたい……そう思うほどに、腹立たしく思っているのだった。副団長がやると言ったら本気である。巨人がど突ける相手なのかどうかは、今のところイリー混成軍の誰も知らなかったが。
「皆さん、こちらです」
やがて湿地帯はずっと後ろに、市の北門へと通じている準街道らしき細い道を横断して、一行はテルポシエ墓所に到着した。
低い石垣と灌木で囲われた一画に、大小さまざまな墓石が並んでいる。墓標のない、盛り土だけのところもたくさんあった。
その中をぞろぞろと通り抜けてゆくと、大きな墓石ばかりが敷き詰められた奥に到る。以前は壮麗な石組みだったものが、長期間放置されてところどころ崩れていた。廃墟のように見えるのは、テルポシエ旧貴族らの墓所のようだ。
だいぶ荒れ果てているところを除けば、ごく一般的なイリー式の墓地だ、とカヘルは思った。デリアド市にも同じ様式の市民墓所が、城壁の外側にある。
少し前をゆくランダルが、ふいと首を伸ばしたように見えた。カヘルがマグ・イーレ王の視線をたどると、もちの木の向こうに石積み丸堂がある。椀を裏返して置いたような形をしているが、これは恐らくテルポシエ王族の墓なのだろうと見当がついた。
数基の丸堂を囲むように生えたもちの木の垣根を通り過ぎると、墓所はそこで途切れておしまいである。
「……」
先頭を歩いていたマグ・イーレ遺族らが、低くうめき声をもらした。
墓所のはずれ、丘のふもとのその場に、いくつもの穴が掘り起こされている。
ぽつぽつと少し離れて、警備らしき草色外套のテルポシエ巡回騎士らが立っていた。その傍らには、墨染上衣のエノ軍傭兵らがいる。
自然に立ち止まってしまったマグ・イーレ遺骨調査団を前にして、エノ軍経理関連責任者パスクアと補佐役ウーディクは、神妙な表情で向き合う。
「当時の状況とあわせて、こちらとしてもできる限りの詳細をお話しします。皆さん、聞いてください」




