石冠の丘(西ティルムン伝承)
「えらい面白い話のあとで、何なんですが。今のファイー侯の物語を聞いて、私も思い出した話がありましてん」
語り終え、ほっと安堵した様子で冷めた香湯を飲みかけていたファイーは、小首をかしげる。そこへ西の魔術師の一員・ファランボ理術士が、はんなり言葉をむけた。
「今のお話に出てきた、お姫さまの石の環っか。何と言いましたっけ?」
「環状列石です」
「そう、それね……。故郷にも、ようけ似たようなんがあるんです。私はティルムン大市の出身ですが、祖母は西端の辺境で育ちました。そこに伝わっている、けったいな話なんです」
詠唱で鍛えられた、壮年理術士の静かなる声。その語りに、カヘルをはじめ周りの者たちは、ひゅうっと吸い込まれて行くような感触をおぼえた……。
:::::::::::::
そのむかし、今よりもう少し永遠がちかくに見えていた頃。
巨きな石たちは立ち集まって環をつくり、巨きな環っか宝冠をなしていた。
そういう石冠を載せた小さな丘のそばに、ちっぽけな村があった。
ほとんど地の果てに貼りついたような、その海辺の村ではどんどん人が減るばかり。
なぶりつける風に樹々と草とは削り取られ、乾きが進んで井戸の水は細ってゆく。いちじくの樹にも見放された。
最後に残ったひと家族、その父と母とをみとって、若い男は本当にさいごの一人の住人となった。
ずっと東の村へ移り住んだ親戚の者たちが説得しても、若い男は穏やかに首を振り続ける。
≪子どもの頃に越えた病のせいで、自分は手がふるえ足も立たない。遠くへゆくことはままならないから、この地で村と自分とをみとって、土に還るつもりでいる≫
若い男は毎日毎日、二本の杖にすがっては、石冠を載せた小さな丘の前へ行った。
≪ここではないどこかへ行きたいのはやまやまだが、俺のこの身体では、どだいが無理だ≫
そう繰り返しながら、丘のふもとの岩場に湧いた泉で、男はかぼそく水を汲んだ。
来る日も来る日も、わずかな水を得るために、若い男は丘のふもとに通った。
ある朝、若い男は絶望した。
岩場の水が涸れている。村の井戸という井戸はすでになくなっていたから、もう若い男は他にどこで水を得たらよいのかを知らなかった。
しかし、ふと気づく。
水が涸れ、ただの岩の組み重なりとなったもと泉は、穴のように広がって、若い男をその中に招いているように見えたのだ。
扉がひらかれていた。
若い男はふらふらと、その中へ吸い込まれるようにして入って行ったのだろう。そうして二度と、帰ってはこなかった。
涸れ泉を囲んで、岩家のように組み合わされたその巨きな石の傍らに、若い男の二本の杖だけがぽつりと取り残されていた……。
後から気づいた親戚たちが、若い男の姿を探し回った。しかし岩家の穴は浅く閉じられていて、男の身体はどこにもない。
皆がおろおろとしているうちに、大きな嵐が海からやってきた。
大きな大きな、巨大な災厄が四つ、波間からやって来た。それらはひと晩のうちに、最果ての村を根こそぎ壊し滅ぼした。
丘の上から石冠をなぎ払い、地に刺さっていた岩家をもぎ取って、そこにあった全てを土くれと石のかたまりに変えてしまった。
人びとが村のこと、若い男のことを忘れてしまえば、それはもうなかったことと同じになるように仕向けたのだ。
けれど若い男の親戚は、彼の話を今もこのように語り継ぐことで、在ったものとして遺している。
この話を聞いたひと。ティルムンの子らとその子らよ、どうか他の子らに伝えてはくれまいか。
石冠を載せた小さな丘のそばで暮らした、最後の若い男の話を。
岩家の扉をくぐって、二度と還ってこなかった男の話を。彼が確かに、在ったことを。
:::::::::::::
「以上です。すみませんねー、ずいぶんティルムン調で語ってもうてー」
はっと我に返ったように、ランダル王が顔を上げて理術士と、そしてファイーの顔とを交互に見ている。
「小さい頃は、婆やんの言うてた≪丘の上の石かんむり≫、ちゅうのがいまいちようわからんし、想像できひんかったのですけど。先ほどファイー侯のお話に出てきた環状列石ね、ああそれやったんかい、て思うたんです。世のなか東でも西でも、けったいなもんには不思議な話がつきまといますなー」
ふんわりはんなり話すファランボ理術士に、ファイーが絞り出すような低い声で問いかけた。
「ファランボさん。その話は、古いものなのですか? 話の舞台になった場所は、今でもわかるのでしょうか」
真剣さの中に、びしりと叡智圧がきいている。
「ええ、祖母はそうとう古い話やと言うてました。私自身はその西端辺境へ行ったことはないので、聞いた話なんですけども。滅びた村があったところは、もう長いこと沙漠になって久しいらしいんですね。東へ引っ越した一族ゆうのも祖母の祖先と思いますけど、移り住んだ先も長いですし、何世紀どころやないのですよ」
「それでは、石冠の丘は……」
「砂に飲まれて、今は跡形もないです。全部が無うなってもうて、残ったんはこの話だけ」
理術士の言葉が、それこそ吹きさらしの崖を通る風のように皆の間を過ぎて行った。全員が押し黙る中、暖炉の炎の小さくはぜる音だけがする。
「……不思議な話を、どうもありがとうございました。ファランボさん。貴重な経験でしたね……じつに興味深い」
穏やかに、ランダル王がまとめる。
「それでは皆さん。明日のために、そろそろ休むとしましょうか……。素晴らしい夕べでした。福ある夜を」
それを合図に、各人が立ち上がってゆく。
「……残ったのは、話だけ……」
腰掛を卓子の脇に戻す雑音の中で、カヘルの耳にふとファイーの呟きがまぎれ込んで来た。
「大丈夫ですか? ザイーヴさん」
「ええ。本官は少々疲れました。お先に失礼します、カヘル侯」
素気ないと言うのではない。けれど何だか早口にそう言うと、女性文官は音も立てずにするりと足早、食堂を出て行ってしまった。
ぽつんとそれを見送るカヘルの背中を、ぬすみ見ていた古書店主がランダルに囁く。
「……パンダル、僕の編集長としての勘が言うのだが。彼らの中には、物語が進行しつつあるのではなかろうか」
「そうだね。私の同人作家としての勘も、同じことを言っているよ」
二人のおじさん友だちは、白眼部分と頭とにつやつや暖炉の灯りを反射させながら、低く囁きあった。次いでしわの濃い顔を見合わせ、お互いにうんうんとうなづく。
「だいぶ空気は冷やっこいがね」
「……つめたい風の中でこそ、熱はより尊くあたたかいものなのさ。ロラン」




