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ファダンの夜は物語の夕べ

 

 宿の食堂で一同に会した夕食が終われば、あとはもう各人の時間帯で寝に行くだけである。食後の香湯こうゆが大きな湯のみにて配られると、プローメルとバンクラーナは立ち上がった。



「ガーティンロー騎士団長との会見で、緊張しましたもので。明朝に備えて、私はもう休みます」



 全然疲れていない様相のバンクラーナが、きっぱりと言った。



「バンクラーナ侯に同じです。皆さま、福ある夜を」



 プローメルも、渋さを漂わせて言い添える。二人は湯のみを片手に、そそくさと食堂から出て行った。



「え~~っと! カヘル侯、私はへやでいつもの筋力運動をいたしますので。これにて失礼します、お休みなさーい!」


「カオーヴ老侯、お休み前に少々揉み療治はいかがでしょうか?」



 わざとらしく明るく言ったローディアに肘をつつかれ、衛生文官ノスコもはっとしてファイーの伯父に話をむけた。



「新しく導入された、やわらか治療法なのです。もも色みかんの夢見心地で、安眠直入ですよ!」


「ほ~? わしの肩こりは古参兵ですがの……。面白そうですな、拝見しましょう。そいじゃお休み、ザイーヴちゃん」



 毛深い側近ともやし衛生文官に挟まれるようにして、老人も退室していった。いくつかあるうちの角卓席ひとつに、カヘルとファイーがぽつんと残る。



「……ザイーヴさん、お疲れでしょう」


「大丈夫です、カヘル侯。やはりイリー街道は楽ですね。距離のわりに、苦になりません」



 カヘルの低い問いかけに、さらに低く落とした声で、囁くようにファイーは答えた。


 何気ない風を装ってはいるが、穏やかに話すファイーはやはり疲れているらしい。それはそうだろう、とカヘルは思った。大事な人間の死の現場に近づく旅が、心たのしいものであるわけがない。



――どうか無理をしないで下さい。辛くなったら速度を緩めて下さい、私が付き添います。私を頼って下さい。



 声を大にして、カヘルがファイーに言いたいことはたくさんあった。けれどそれらの言葉、呼びかけはカヘルの胸に淀んでしまって、喉の奥から出て来てはくれない。声にすら形どれない想いを、カヘルは表情で表すこともできなかった。



「……何かあったら。遠慮なく言ってください、ザイーヴさん」



 かろうじて絞り出した声が、冷々淡々と当たりさわりのない表現を紡ぐ。



――いいや、私がザイーヴさんに言いたいのは。そんな誰にでも使えるような、ありきたりの言葉ではないのだ。



 けれどファイーは、わずかに口角を上げた。女性文官が大きな湯のみを持ち上げて、薄荷はっかかみつれ湯をすすりかけた時である。



「皆さん。お耳よごしの暗誦を、失礼いたしまーす」



 食堂の隅、あかく燃える暖炉の脇に腰掛を集めて座っていた数人の中から、声が上がった。カヘルが素早く見渡せば、ランダル王と古書店主に護衛の三人組である。


 マグ・イーレ理術士とハナン傭兵隊長、鎧を脱いでくつろいだ格好の遺族や文官がぽつぽつと、腰掛を持ってそこに寄ってゆく。



「おお暗誦。聞きましょう、カヘル侯」



 途端、ぱちんと好奇心の弾けるような調子になって、ファイーが言った。



「聞きましょう、ザイーヴさん」



 湯のみと腰掛を両手に立っていき、カヘルとファイーはマグ・イーレ騎士らの合間にさりげなく座った。照ってくる炉の炎がだいぶ温かい、……熱いくらいである。



「では、参ります。こほん、――『大鷹王の話』……」



 ゆで卵のような頭をだいだい色にきらめかせて、軽く礼をしたロランが深く息を吸う。その息が物語となって、皆の前にあらわれた。



「……何千年紀も昔のこと、いにしえのアイレーに人がえる前の話。


 南の海に浮かぶ島々のひとつに、よこしまなる長虫ながむしのあつまり住まうところがあった。……」




・ ・ ・




 はっきり堂々と格調高く、しかし滋味のあふれる優しい声で、古書店主ロランは物語ものがたった。日中の彼とは似ても似つかない荘厳な雰囲気で、イリー人の良く知る東の話を吟じている。



――いいや。ロランさん自身ではない。物語それ自体が、彼の口と声とを借りて、我々の前に現れているのだ。……決して滅びることのない、生きもののように。


 カヘルの胸中をよぎったのは、以前ファイーに教えてもらった受け売りである。研究材料、調査対象として巨石記念物の口承伝説を熱心に採集している女性文官が、ぽろりと言ったことを副騎士団長は憶えていた。


 時折そっと横を盗み見れば、ファイーの目には炉の炎が映り込んできらめいている。語り主の方をじっと向いているが、……ロランを透かし、ずっと遥か後方にあるものを追いかけているような、そんな眼差しをしていた。


 巨大な蛇の王と、巨大な鷹の王の壮絶な闘い。その結末を語って、ロランはゆっくり頭を下げた。



「ご清聴、ありがとうございました」



 ぱちぱちぱち……! さざ波のような拍手が湧く。カヘルとファイーも冷えひえびしびし、手のひらを叩いた。



「良かったよ~、ロラン! ほんとに年々、磨きがかかっていくねぇ……。あー、何だか遠い留学時代を思い出しちゃって、涙が……」


「パンダル先生、手巾はんけちをどうぞ」



 ひょろい護衛が騎士道精神を発揮して、おじさん王をいたわっている。


 その時ふろん、と頭を揺らして、後ろの方から声を上げたものがいた。



「先生~。俺もひとつ、うなっていいすかぁ! とっときの怪談が、あるんすよー」


「えーっ、何なに? ハナンさん」



 手巾はんけちを握りしめて、王は傭兵隊長をあおぎ見た。



「ぐふふ、一挙に格調ひくくなるんすけど。『水棲馬エッヘ・ウーシュカの黒腸詰』つう話なんすよ。知ってる人、いる~??」




〇 〇 〇


副店長「おいこら作者、お客様に挿入話がぜんぜん見えんではないか。こういう時こそ、ここ後書きにリンクを貼るのだ!」

料理人「さすがナイアルさん、まめに気配り~」


『大鷹王の話』ロランバージョン(「僕を忘れて、還り来た君へ」第19話)

https://ncode.syosetu.com/n7448jn/19/

アランバージョン(「海の挽歌」第163話)

https://ncode.syosetu.com/n4906ik/163


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