ファダン宿泊、いか煮ディナー
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ミガロ侯率いる本隊と合流して、カヘル一行は再びイリー街道を東進する。
ガーティンロー領を越え、ファダン領へと入った辺りで、本日の宿泊地に到着した。国境間際の大きめ宿場町、複数の宿に分散である。
「疲れたろう、ぶち子や。本当にお前は利口だねぇ。今度の旅も、苦労をかけるよ」
町の公共厩舎で、ランダルは自ら灰色ぶち牝馬の世話をしている。それを見て、カヘルは少々感心した。護衛のブラン青年に任せることもできそうなのに、王は民間人の学者として、きちんと行動に筋を通している。
「軍馬というのは、本当に快適なんだねぇ~! 初めて乗ったけど、視点が高くって疲れにくいよ」
「と言うか、驢馬に乗ってどこへでも仕入れに行く、ロランさんの方がすごい気もします」
「ふふふ。帰りは本箱を積むから、僕は歩くっきゃないのさ……ブラン君」
民間人三人組はかたまって、もそもそと話している。
カヘル達のデリアド勢は、この三人組と同宿だった。ガーティンローのキーン邸で、昼食時に一緒だった面々と同じ顔ぶれがそろっている。
マグ・イーレを出発する前、叔母ニアヴとその秘書騎士ポーム侯から、各人ごとに【旅のしおり】が手渡されていた。それを参照するにつけ、カヘルらデリアド勢はこの民間人三人組と、道中ずっと一緒らしい。
護衛の騎士隊と他の遺族らは、二手に分かれて少し町を外れたところに宿泊している。王とカヘルらに割り当てられていたのは、町の中心部にある中堅の宿だった。小分けになっても十数人いるのだから自然ななりゆきだが、宿は貸し切り状態である。
マグ・イーレ文官と女将が手早く客室の割り振りを言って、鍵を配ってゆく。当然の如くカヘルとファイーのみが単身用の室、その他は二人三人とかたまって相部屋だ。
「うあっ、しまった! 耳栓を忘れちゃったよ。ロラン、きみ予備を持ってたりする?」
「当ったり前さぁ、パンダル! 僕、本屋だもの」
「なんで本屋さんは、当たり前に耳栓持ってるんですか。ロランさん?」
「全力で集中して読む時の必需品なんだよ、ブラン君」
「あー、なるほど」
耳に流れ込んでくる会話を聞く限り、王と古書店主・護衛も三人相部屋らしい。そして一国の王は実に嬉々としていた。どうしてここまで仲が良いのか、理解しがたい三人組である。お互いの寝起きの悪さは心配にならないのだろうか、とカヘルはどこか路線の間違った疑問をいだいた。この辺わりと自己中心的なり、キリアン・ナ・カヘル。人類あまねく自分と同じ悩みを持っている、と思うべからず。
ファダン領でよく食される、いかを使った煮物が宿の夕食に供された。
イリー街道は沿岸よりにつながっている。宿場町でも、海の幸を楽しめるところが多い。
実は潮臭さが苦手、川魚派のカヘルは一瞬気分を落としたが、ひと口食べてみてげんきんに意見を変えた。
ふっくら柔らかくゆで上がったいかの身には、木立薄荷の葉の千切りが散っている。あっさりした口当たりに臭みの主張はまるでなくて、舌先に残るのは上品な塩味だけ。煮汁のからまる数種のゆで麦も、しっかり水分を含んでもちぷちと柔らかく歯に弾けた。胃の腑に満足感がひろがる!
――烏賊と言うのは、じつに良いものだったのだな……。久し振りに食した。
感慨無量で咀嚼しているカヘルの背後、「すみません、お客様」と宿の女将の声がする。後ろの卓子席に座した、遺族の中年騎士に話しかけているらしい。
「本当に申し訳ございません。≪いか酢にんじん≫は、本日切らしておりまして」
「ああ、さよですか。残念ですな、ファダンと言ったらやはりそれだったのですが」
「仕方がありませんよ。復路でまた、試してみましょう。老侯」
――いかすにんじん、とは?
ちろッ! カヘルは斜め左側席に座しているバンクラーナに、冷々たる視線を向けた。イリー各地の逸品について造詣の深い直属部下は、したり顔でうなづく。
「干したいかと人参の千切りを、酢と魚醤などで漬け込んだ郷土料理です。ファダン大市を中心に、つけ合わせとして親しまれているそうですよ」
そうっとしたバンクラーナの説明に、感心したのはカヘルだけではない。
「なんだ、いかした人参ってわけではないのですね」
卓子の右側、ファイーの横にいたノスコがきりっと真剣な表情でうなづいている。
「食の世界は、未知のことがらばかり……まさに異世界です! 深遠なる可能性を秘めたファダンのするめに、もも色みかんの祝福あれかし!」
衛生文官の言動に再び一同、不安をおぼえた。一方でカヘルは、みめ麗しき人参とは何ぞやと考えてしまったのが自分だけではないと知り、やや安堵してもいる。いつか食してみたいものである、ファダンのいかす人参。




