厳選・旅の安全保険
・ ・ ・ ・ ・
質素すぎていっそ清々しい、マグ・イーレ城内の客室にてカヘル一行は休んだ。明けて出立の朝を迎える。
朝日がのぼるのが遅くなる一方のこの季節、しっかり明るくなってからの出発となっていたので、カヘルも寝起きの不調を脱している。もっともこの数か月間、キリアン・ナ・カヘルの睡眠は確実に改善されてきているのだが。
市街に通じる城門のてまえ、マグ・イーレ騎士団と傭兵隊のほぼ総員に見送られる中で、軍馬を連れた調査団一同は立ち並ぶ。
キュリ・ベルボと留守番役の理術士ふたりが、調査団の全員に【厳選・旅の安全理術】をかけた。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
三人の理術士の掲げる杖、聖樹の杖なるこぶこぶ様になった先端が白く輝き、やわらかな光の泡がふわふわと大量に膨らんで、四十余名の調査団の頭上に降る。
「集い来たりて 悪しき物の腐のわざより 彼らが身を護る壁となれ、……」
軍馬の鼻先をなでつつ、カヘルは何やら香ばしいような、得体の知れぬ良い匂いを感じた。人々が控えめな声で驚きどよめく中、白っぽい光の泡はふいと静かに消えてゆく。
「はーい。これで十日は、食あたり水あたりの心配はありません! けど理術の効力を過信せず、どうか皆さん道中は慎重にねがいますー」
留守番役の理術士がはんなりと言った。先頭のミガロ侯と、その付近の要員が動き出す。
「行ってまいりまーす」
まずはマグ・イーレ遺族らが騎乗し、そろそろと城門を出てゆく。そこへ護衛役の第一騎士隊が、たて一列に徐々に寄り添って行った。ハナン傭兵隊長とファランボ理術士隊長に続き、カヘルと直属部下らは列の最後尾、しんがり部分である。つまり出発は一番あと回しだ。
カヘルとローディア、プローメルとバンクラーナ、そして衛生文官ノスコが集団の後方で軍馬の手綱を持って佇んでいると、前の集団から抜けて、ファイーがすうっとやって来た。自らの御すデリアド軍馬と、背の高い老人を従えている。
――あ、良かったぁ! ファイー姐さんも俺らと一緒に道中するのかな?
隣にいるカヘルの冷気が、瞬時にして数度ほど上昇した。この機微を、もじゃもじゃと茂るあごひげ毛先にて敏感に察知し、側近ローディアはほっとする。
「ご挨拶がおくれました。カヘル侯、わたしの伯父のカオーヴ老侯です」
マグ・イーレの濃灰騎士外套を着た厳格そうな老人が、ファイーの横からカヘルにびしッと騎士礼をした。
「よろしくお願いいたします。カヘル若侯」
ぎしりと痩せた強靭そうな体躯、深くしわの刻まれた日灼け顔の中で、しかし柔和そうな双眸が光っていた。もとは北マグ・イーレ地方分団の射手であり、半引退して現在は時短勤務中、と言う。デリアドでも同様の傾向が徐々に高まってきているが、この国マグ・イーレでは騎士団長に倣って、生涯現役が奨励されてもいるらしい。本人がそれで元気なら結構なことである。
その老侯が、ふがっと顔を上げて後方を見た。
「そろそろ騎乗するかの? ザイーヴちゃん」
「おじさん。ここでは侯呼びでねがいます」
「おっと、すまんの。ザイーヴちゃん」
ファイー同様びしびしした口調だが、老人の喋ることはどこか果てしなくのんきだった。厳しいのは見かけだけらしい。ローディアはもじゃもじゃ口ひげの中で、こっそりほっこりした。
「お早うございまーす。カヘル君、皆さーん」
その時だしぬけに脇から声をかけられて、カヘルはそちらを見る。
「私たち、デリアドの皆さんと一緒にかたまって行きますから、よろしくね!」
冷えひえ双眸をばちばちと瞬いて、カヘルはすぐ前で灰色ぶち牝馬の手綱を引いている中年男性の顔を見つめる。
藍色の上衣に黒い股引。官吏のような地味な旅装で、つばの広い帽子をかぶった王……。ランダル・エル・マグ・イーレが、にこにこと笑顔であった。
「陛下……?」
ちっちっち、と王は何やらたくらみ顔で、右手ひとさし指を口の前に振る。
「いいえ。ここから私は、民間学者のパンダル・ササタベーナです。史書家として旅に参加するので、そこのところは一つよろしくお願いしますよ! そしてこちらが、今回記録係として助手を務めてくれるロラン君。私の心の友なのです」
「初めまして! マグ・イーレ随一にして唯一の書店主、ロランです! がんばりますッ」
ランダルの横、紹介されて出て来たのは王と同年代の中年男性だ。つるッとゆで卵のような禿頭で、目立たぬねずみ色の毛織や外套を着込んでいる。
カヘルが薄く口を開けて、唖然としている様子をローディアは見た。ものすごく珍しい光景である。二人の背後で、バンクラーナとプローメルが顔を見合わせていた。
――え……ちょっと何、マグ・イーレ王の護衛も、うちの副団長および俺らによろしくってことなの……?
――さすがに、むちゃくちゃでないのか??
「あとですねぇ、我々専用の護衛がひとりおりましてー。……って、あれ? どこ行っちゃったの?」
見回しかけて、ランダル王は少し後ろにいたミーガン妃に聞いている。
「すみません陛下、ロイちゃんがね……」
眉毛を下げたミーガンの横、涼し気な表情のゾイ王子が、ひょいっと親指でうしろを指さした。
そこでは背高い黒馬の手綱を持った男が、ひょろーんとした背をかがめていた。男のもう片方の手を、生成の外套姿のロイ姫が、両腕で抱え込むようにしている。ぽよッとした頬を真っ赤にふくらまして、口をかたく引き結んだ王女は、何やら壮絶にご機嫌ななめらしい。




