珠子の思い、操の思い
熱も下がり、すっかりいつもの元気な姿に戻った操は、
「姫、心配させてごめんね。お世話さまでした」
と言いながら、ソファーで昼寝をしている珠子にかけた毛布を直した。
操が風邪から完全に体調を回復するまで、三日間ほど珠子は柏のところで過ごしていた。
今朝、登校する孝を見送った後、珠子は操の部屋に戻ってきた。
彼女は何も言わず、ただ操にべったりとくっ付いていた。身動きが取れない操は珠子とソファーに腰を下ろした。そのまま二人とも黙って昼までじっとしていた。
「姫、お腹すかない?」
「お腹すいた」
「お昼、何にしようか」
「温かいそうめんが食べたい」
操が立ち上がると珠子もそれに続いた。
「それじゃ一緒に作ろうね」
大きな鍋に水を満たして火にかけた。
「姫、棚からそうめんを出してくれる」
「はい」
操は別の鍋で、だし汁を作りながら珠子に言った。
「しばらく買い物に行ってないから具は刻み揚げと乾燥ワカメだよ」
「うん、それで充分。それも出しておくね」
食卓に二人並んで座ると、できあがった温かいそうめんをつるつると食べ始めた。
珠子は美味しい美味しいと、大きなどんぶり一杯をあっという間に完食した。
「あーお腹いっぱい」
ぽこっと膨らんだお腹を擦りながら珠子は幸せそうな顔をした。
「姫、お行儀が悪いわよ」
操が注意すると、
「久しぶりにミサオと一緒に食べられたから、特別美味しかったんだもん」
と珠子に言われて、それ以上は何も言えなかった。
「姫は本当に口が上手いわね」
お腹がいっぱいなのと操と一緒にいられることで心安らかな珠子は、ソファーで大の字になって昼寝をしている。
しばらく彼女の寝顔を操が眺めていると、インターホンから孝の声がした。
操が扉を開けて彼を招き入れた。
「いらっしゃい。姫の面倒を見てくれてありがとう」
「おれは何もしてないよ。おばあちゃん元気になってよかった」
孝はソファーの方に向かいながら言った。
そこで軽く口を開けて熟睡している珠子を見て、彼は彼女のほっぺたをつんつんと突きたいのを我慢して操に顔を向けた。
「おばあちゃん」
「どうしたの?」
「あいつさ、自分が昼間ここにいるのは、おばあちゃんの負担になってるって言ったんだよ」
「えっ、どういうこと?」
「タマコがね、本当は行きたくないけど自分が幼稚園に通えば、その間おばあちゃんは自由に過ごせると思うって言ったの。そうすれば、おばあちゃんは昼寝もできるし外出も気軽にできて体が楽になるんじゃないかって」
あいつさ、と孝が続ける。
「ちょっと大人びた生意気な口を利いたりするけど、本心は自分がおばあちゃんやお父さんお母さんのお荷物になりたくないんだって、一昨日おれに泣きながら言ったんだ」
彼の話に操は口を開けたまま言葉を出せなかった。
「あの子……あの子は…何を考えてるの……」
「自分は普通の子どもと違うから、みんな気を使って優しくしてくれてるんだって言うんだよ」
操は何も言えない状態のまま、ぐっすり眠っている珠子に目をやった。
「おれさ、おれもみんなもタマコが大好きだから大切に思っているし、気を使っているなんてあり得ないって話した」
「そうよ。なんでそんなバカなことを考えるのかしら」
操は珠子が寝ているソファーの向かい側に腰を下ろした。孝がその隣に座ると、
「でもね、おれ、タマコの気持ちが少しわかるんだ」
「えっ」
操が孝を見る。
「おれもお母さんも、おばあちゃんや柏たちと会うまでかなり荒れてたでしょう。おばあちゃんたちに助けてもらう前は、おれも思ってたもん。自分がお母さんの負担になってるって。おれがいなければ、お母さんはあんなに苦労をしないでいられた」
孝はどこか遠くを見るような目をした。
「確かに、あの時の月美さんは八方塞がりでタカシ君に辛くあたってたわね。だからって、もしあなたを負担に思っていたら一緒にいなかったと思う。思い出してみて。少ししかない食べ物でもちゃんと分け合って食べてたでしょ。彼女、自分の体調不良を我慢してもタカシ君を病院に連れて行ったんじゃない?あなたがいたから月美さんは踏ん張っていられたんだと思うわ」
操が孝の肩をポンポンと軽く叩く。
「そうかな」
「そうよ。姫もタカシ君と同じ、大切な子どもなのに…」
二人が黙りこんだとき、
ふあーっと大きな欠伸をして珠子が目を覚ました。起きあがって向かい側を見る。
「タカシ」
珠子は立ち上がり孝と操の間に割り込んで座った。
「姫」
操が珠子の手を握る。
「なあに」
こちらを見た珠子に
「……」
無言で見つめ返した。
「……本当に?」
珠子がぽろぽろ涙をこぼした。操は彼女に言葉ではなく心象で伝えた。操の思いが珠子の中で形になっていく。
孝は羨ましそうに二人を見つめた。