珠子、子ども食堂を手伝う
柊と美雪の住まいは、一階の大部分を子ども食堂のために提供している。
地域の子どもたちや老人、一人親家庭の人々などが利用できる食堂だ。企業や個人の寄付と自治体の予算を使って運営されている。
調理や食堂内の管理はボランティア頼みである。
柏と柊が勤めている建設会社の社長と老舗鰻店を営んでいる美雪の父親も、この食堂の運営に尽力している。
柏と柊の会社では金銭的な協力の他に、廃材を使って積み木などの玩具を作って届けている。
美雪の父親も食材の大量寄付や、妊娠する前までは美雪自身が調理や訪れた子どもたちへの応対などを行っていた。
この食堂は、金曜日の夕方と土曜日・日曜日の昼から夕方に開けており地域の人々で賑わっている。
孝と柏たちの出会いも、この食堂だった。
「タカシ、ここに来るの久しぶりだろ」
柊が言う。
「うん。あの頃よりきれいになってる」
孝は食堂内をぐるりと見回した。
「上をリフォームしたとき、こっちも手を入れたんだ」
柊がそう言いながら、奥の調理場へ向かった。
「お疲れ様です。これ母からの差し入れです。手が空いたら召し上がってください。冷蔵品なんで冷蔵庫に入れてください」
「ありがとうございます。後でみんなといただきます」
柊から差し入れの箱を受け取ったのはこの食堂を開いたときから調理を担当しているボランティアの松本尚子だ。
柏と孝と珠子も調理場に入っていった。
尚子がこちらを向いて、興奮気味に言った。
「神波さん、孝君、久しぶり!」
「お久しぶりです」
「尚子さん、こんにちは」
柏と孝も挨拶をした。
「孝君、聞いたわよ。こんなに素敵なお父さんができて良かったわね」
尚子の言葉に孝は素直に、はい、と頷いた。
「で、この可愛らしいお嬢さんはどなた?」
「初めまして。神波珠子です」
珠子が、ちょこんとお辞儀をした。
「神波さんの娘さん?じゃあないか」
「俺たちの姪っ子です」
尚子の疑問に柊が答えた。
「何を手伝いましょうか」
柏が聞くと、
「それじゃ、テーブルを拭いて卓上調味料の補充と、調理の補助をお願いしようかしら」
尚子はテキパキと指示を出した。
「今日はね、チキンカレーと餃子定食といわしフライ定食の用意をします」
珠子と柊はテーブルの準備、柏と孝は調理場を手伝うことにした。
珠子が腕を目一杯伸ばしてテーブルを拭く。柊は卓上の塩・醤油・七味唐辛子を補充していった。
調理場では、孝が餃子の餡を手袋をした両手で一生懸命に捏ねている。柏はカレーの具材を刻み、ボウルに入れていた。
「お父さん泣いてる」
孝が柏をちらっと見て笑う。
「玉ねぎを切ってれば誰でも目に沁みるだろう」
まばたきしながら柏が口を尖らす。
「二人とも仲がいいのはわかったから、しっかり手を動かしてください」
尚子が笑いながら言う。
「次は何をしますか?」
テーブルを拭き終わった珠子と柊が調理場に戻ってきた。
「それじゃ、孝君が作った餡を餃子の皮で包みましょう。私がやって見せるので、同じように包んでください」
尚子の手元を見ながら孝と珠子と柊が両手を動かす。
「パパはこれ得意だよ」
「源兄さんは神波家で一番料理が上手いもんな」
苦戦しながら珠子と柊が話していると、
「口ではなく手を動かしてください」
尚子に注意されてしまった。
「はい」
「すみません」
三人は大人しく手元に集中した。
しばらくすると、ボランティアのメンバーがやって来た。調理場が、にわかに賑やかになった。尚子が柏たちをみんなに紹介して、それぞれが持ち場につくと昼の開店に向けてピッチをあげて準備をした。
正午になり、子ども食堂はあっという間に満席になった。
珠子と孝は注文を聞いたり、食べ終わった食器を片付けたり忙しく動き回った。
珠子は訪れた老人たちから、カワイイ、カワイイと頭を撫でられ手を握られ、その場からなかなか離してもらえなかった。やっと解放されて調理場に戻ると、
「珠子ちゃん、お疲れさま。大人気ね」
尚子が笑いながら麦茶のコップを手渡した。
「ありがとうございます」
珠子はそれを一気に飲み干した。
その調理場では孝が大人気だった。
ここに食事に来ていた頃の彼をよく知るスタッフたちが、
「すっかり立派なお兄さんになって感激だわ」
「ちょっと見ない間に格好良くなって、モテるでしょう」
と、持ち上げられ孝はちょっと困った顔で珠子を見て助けを求めた。それに気づいた珠子が孝の隣にちょこんと立った。
「タカシはね、すっごく優しいんだよ。あのね、聞いて欲しい話があるの。ちょっと来て」
珠子はそう言うと孝の手を取って柏たちがいるスタッフ用の休憩スペースに引っ張っていった。そこで休んでいた柏と柊が
「お疲れさん」
「座って休め」
手伝いを頑張った二人を座らせた。
「タマコ、ここでの作業はどうだった?」
柊が聞くと珠子は
「初めてのことがあったりして楽しいよ」
充実した満足気な顔をした。それから孝を見て言った。
「タカシは調理場のおばさんたちから大人気だね」
孝は苦笑いを浮かべる。
「さて、そろそろ戻って手伝うか」
柏が椅子から立ち上がろうとした時、珠子が急に立ち上がり調理場へ走った。
「タマコ?」
孝が後に続いて走った。何事かと柏と柊も後に続いた。
調理場では珠子と同じくらいの女の子が泣いていて尚子が宥めているところだった。
珠子はその子をじっと見ている。
「どうしたんですか?」
柏が近くにいたスタッフに聞いた。
「どうやら迷子らしいの。食事に来た常連のおばあちゃんが食堂の前の歩道で泣いてた子を連れて来たんですって」
スタッフが答えた。
「この近辺の子どもじゃないの?」
柊の問いにスタッフたちはみんな首を傾げる。
そんな中、珠子がその女の子に声をかけた。
「こんにちは。私は神波珠子です。あなたの名前は?」
彼女は号泣して話ができなかった。
珠子は、そんな彼女に何か耳打ちした。
女の子は一瞬泣き止んで、コクンと頷いた。
「この近くにコンビニはありますか?」
珠子は誰にともなく聞いた。
「ああ、五軒先にあるわ」
尚子が言った。
「そこで、お客さんがこの女の子を探してる」
「え、そうなの?私、コンビニに行ってくる。珠子ちゃん、それまで彼女を見ていてくれる?」
尚子に言われて、はい、と珠子が返事をした。
「それで、お嬢ちゃん、名前言えるかな」
尚子が女の子を見ると
「おおさわ、ひまり、です」
彼女は嗚咽を我慢しながら名乗った。
「ひまりちゃんね。ちょっと待っててね」
尚子は食堂を出ていった。
しばらくすると尚子が三十代ぐらいの男女を連れて戻ってきた。
「ひまり」
女の人が呼ぶと、珠子が女の子と手を繋いで出てきた。
女の子が
「おかあさん」
泣きながら走っていき女の人に抱きついた。
「勝手に車を降りちゃ駄目じゃないか」
男の人が女の子の頭をくしゃっと撫でた。
「皆様、この子を保護してくださって本当にありがとうございました」
ひまりの両親は食堂内の人々に向けて感謝の言葉をかけた。
「ひまりちゃん、バイバイ」
珠子が手を振ると、ひまりも手を振り親子三人は食堂を出ていった。
「あの子は何処の子だったんだい?」
泣いてる彼女を食堂に連れてきた常連のおばあさんが聞いた。
「この辺の子じゃなかったのよ。親戚の家に行く途中でコンビニに寄って、あの子を車で待たせてたらしいんだけど勝手に降りちゃったらしいの」
「ロックしてなかったのかしら」
「忘れたのか自分で解除できたのか、わからないけど」
「大事にならなくて良かったわね」
「ホントよね」
尚子と常連の話はまだ続きそうだったので、
「俺たち、そろそろあがります。お先です」
柊が挨拶をして食堂を出た。
「ヒイラギ、俺たち帰るわ。なんでコンビニのことがわかったのかタマコに質問されると面倒だからさ」
柏が言った。三人が車に乗り込むと、
「そうだな。タカシ、タマコ、今日はありがとうな。母さんにありがとうを言っておいて」
柊が手を振った。
「美雪ちゃんによろしくな」
柏も手を振り車を発進させた。
「タマコ、ひまりって子と頭の中で話したのか?」
孝はサイドシートから振り返り聞いたが、ジュニアシートの珠子は気持ち良さそうに眠っていた。