柊の家
土曜日の午前九時、孝が珠子を呼びに来た。
「タマコ、出かけられるか」
「うん。行けるよ。ミサオいってきます」
靴を履きながら珠子が操に言う。
「姫、これ持っていって」
操が慌てて大小二つの箱を抱えてきた。
商店街のカフェ『ぶるうすたあ』のシールが貼られた箱だ。
「タカシ君、これ一つ持ってくれる」
操は小さい箱を渡した。
「それはケーキだから傾けないでね」
「わかった。気をつけて持つよ」
孝は受け取った箱をしっかり持つと外に出た。その後から珠子と大きめな箱を持った操が出てくる。
柏の部屋の前に駐めたミニバンから部屋の主が降りてきた。
「カシワ、この二つ持っていって。タカシ君が持ってる箱はミユキちゃんにあげて。ケーキだから気をつけて」
操に言われて、柏は孝から箱を受け取って車内に設置した保冷ボックスに入れた。
「これも冷蔵品。フルーツサンドなんだけど食堂のスタッフさんへの差し入れ」
操が持っていた箱も受け取った柏は、これはボックスに入らないけど気温が低いから大丈夫だな、と言って空いているスペースに置いた。そして珠子をジュニアシートに座らせると柏が孝に聞いた。
「どこに座る?」
普通に車のシートベルト着用でよくなった孝はお父さんの隣でいい、と答えた。
車を三十分ほど走らせると柏の弟である柊と美雪の住まいに到着した。
閑静な住宅地の一角にその家はあった。東南の角地で総二階建ての二階部分が柊たちの住まい、一階は子ども食堂として場所を提供している。
車庫に車を駐めると、柏が孝と珠子を見た。
「二人ともマスクを着けて。美雪ちゃんが風邪をひいたら大変だからな」
マスクを着けた三人は、操から渡された洋生菓子の箱を持って、インターホンを押した。
柊の声がして玄関の扉が開いた。
「いらっしゃい。タカシもタマコもよく来たね」
柊が孝と珠子の頭を撫でる。
「ヒイラギ元気してたか」
孝が聞くと
「俺もミユキもお腹の子も元気だよ。さ、入って」
柊はいい笑顔で答えた。
玄関を入るとすぐにエレベーターがある。柊が壁のボタンを押すと、かごが降りてきた。
「ヒイラギんち二階建てなのにエレベーターがあるのか」
孝が驚く。
「タカシはリフォームしてからは初めてか。ミユキのためにってお義父さんがお金を出してくれたんだ」
柊は何とも言えない顔で言った。
「タマコはここに来たことがあるのか?」
孝が珠子を見る。
「うん。まだ作っている途中だったよね」
珠子が柊を見ると、そう、と頷いた。
柏たちは靴を脱ぎ、四人を乗せてエレベーターが二階に着いた。
扉が開くとフローリングの床が広がっている。
「いらっしゃい。奥へどうぞ」
お腹の膨らみに手を添えながら美雪が出迎えた。
「ミユキちゃんこんにちは」
珠子がお辞儀をした。
「美雪さん、これ、おばあちゃんからです」
孝がケーキの箱を渡した。それを聞いた柊が驚いた声をあげた。
「タカシが母さんをおばあちゃんって呼んでる!」
「タカシのばあちゃんだもんな。おかしなことは言ってないぜ。これ、タカシのばあちゃんから子ども食堂のスタッフさんに差し入れだって。下に行くまで冷蔵庫に入れておいてくれる」
柏がもう一つの箱を柊に渡した。
「ヒイラギ君、手を洗う」
珠子が言うと
「ここで洗って」
柊がエレベーターに近いところに設置された手洗い場を示した。
「最近は玄関や出入口の傍に手洗い場を設ける家が多くなったよな。建築士さん」
柊に言われて柏が頷く。
手を洗った珠子と孝が美雪の前に立った。
「ミユキちゃん、お腹触っていい?」
珠子が聞いた。
「いいわよ。孝君も触ってみて」
「おれも、いいの?」
「もちろん」
二人が美雪のお腹にそっと手をあてがった。
「動いてる!」
孝は感動した。美雪が微笑む。
「孝君も珠子ちゃんもソファーに座って。飲み物は温かいのと冷たいのどっちがいい?」
「冷たいの!」
きれいに声が揃った。うふっと笑いながら美雪がミカンジュースのグラスを手渡した。
ダイニングで椅子に腰かけた柏と柊はジュースを美味しそうに飲んでいる二人を見ながら話をした。
「タマコが事件に巻き込まれたんだって?」
「ああ、身近で無差別に人を切りつけるなんて酷いことが起こるってさ世も末だよ」
孝とじゃれ合っている珠子を見ながら柏が低いトーンで言う。
「あんなこと防ぎようが無いよな。俺なんかは家の防犯をしっかりするとか、ミユキを一人で歩かせないとかしかないな」
柊も暗い表情で言い、柏に疑問をぶつけた。
「タマコはどうやって犯人を振り解いたんだ?」
「タマコは母さんより特殊な力があるみたいだ。あいつを掴んでいた犯人の手が大火傷を負ったらしい」
「そうか。とにかく無事でよかった」
「タマコも意識不明で三日間ICUに入っていた」
柏の話に柊の声が沈む。
「そうだったのか。詳しく知らなかったとは言え俺は何もしてやれなかった」
「あいつには源兄さんと母さんがついてたから、俺は何もしなかった、って言うかどうしようもできなかった。お前も、美雪ちゃんに常に気をつけてあげて。それぐらいしか、やりようがない」
気持ちが落ち込むような話をしていた兄弟のところに、キャッキャッとはしゃぎながら珠子と孝がやって来た。
「お父さん、一階の手伝いは?」
「カシワが、タカシからお父さんって呼ばれてる!」
柊は驚きと感動の面持ちだ。
柏がちょっと恥ずかしそうで嬉しそうに孝に言った。
「そろそろ行くか」
柊と柏は椅子から立ち上がった。