珠子とプリン
「プリン、久しぶり!」
店の扉を開けた途端、ダイブしてきたグレーの毛色をしたトイプードルみたいな犬を受け止めようとして、珠子は尻もちをついてしまった。
今、珠子の言ったプリンは彼女の好物のぷるんとしたプディングではなく、彼女にダイブしたカフェ『ぶるうすたあ』の看板犬、ベドリントンテリアのプリンちゃんのことだ。
「こらっ、プリン、ステイ!珠子ちゃん大丈夫?ごめんなさい」
店主の江口カナが看板犬に指示を出したが、尻もちをついたままの珠子の顔をペロペロ舐めながら尻尾を降り続けている。
珠子もそのままの姿勢でワンコのグレイッシュな巻き毛を抱え込むように撫でていた。
「姫、そこにいるとお邪魔になるわ」
後から店に入った操が、珠子の両脇に手を入れて立ち上がらせた。
「本当にすみません。珠子ちゃん大丈夫?」
プリンの飼い主であるカナが恐縮する。
「全然平気です」
「こんにちは、カナさん。大丈夫よ。姫はプリンちゃんに会いたがってたから歓迎を受けて嬉しいのよね?」
操が珠子を見ると、彼女は笑顔で大きく頷いた。
「久しぶりにここでコーヒーを頂こうと思って」
「ありがとうございます。今、カウンターしか空いてないんですけど」
「ええ、こちらでいいですよ。姫、高さがあるから気をつけて」
珠子を抱き上げてスツールに座らせると、操はレジカウンターに行き注文をした。
「私は本日のブレンドを。姫は」
振り返り珠子を見る。
「プリンアラモードをお願いします」
珠子が顔をカナに向けた。
「かしこまりました。ありがとうございます」
会計を終わらせて操が珠子の隣に腰を下ろす。
いくらも待たずに、
「お待たせしました」
コーヒーとプリンアラモードが二人の前に置かれた。
「カナさん繁盛してるじゃない」
客の入りをちらっと見ながら操が言うと、
「最近は駅向こうのショッピングモールに人が流れちゃって」
と言いながらカナは、どうぞごゆっくり、と笑顔を浮かべてレジカウンターへ向かった。
「うーん、やっぱり美味しい!」
プリンを食べてご満悦の珠子を見て、操は心の中が温かくなった。二人がのんびりくつろいでいると、
「こんにちは、神波でーす」
店の奥、厨房の方から聞いたことのある声が流れてきた。
「アイちゃんだ。ミサオ下ろして」
操が珠子をスツールから下ろすと彼女は藍の声がする方に走っていった。
奥にその姿が消えると、
「タマコちゃん!」
藍の驚きの声があがった。
やがて、たすきを着けたプリンのリードを握った藍が珠子の手を引いて奥から出てくると操と目が合った。
「お母さん」
「藍、仕事?」
「そう。週三で散歩をさせる契約をしてるの。タマコちゃん行きたがってるから連れていっていいかしら」
「邪魔にならない?」
「大丈夫。ここの奥の公園の方で散歩させるから車も通らないし」
「そう。姫」
操が珠子を目の前に立たせる。
「姫、プリンちゃんの散歩は藍のお仕事だから邪魔にならないようにしてね。私は商店街でぶらぶら買い物をしているから、あなたが戻ったら一緒に帰りましょう」
「わかった」
珠子が頷いた。
「カナさんいってきます」
「お願いします」
藍は犬の散歩に必要なものを入れたバッグを斜めがけにしプリンを連れて店を出た。すぐ後ろを珠子がついていく。
「カナさんごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
カナに見送られて操もカフェを後にした。
藍は珠子を従えて商店街の奥にある大きな公園に入っていった。いつものプリンは藍を引っ張るように公園の中を進むのだが、今日はずっと珠子の足にじゃれついている。
「タマコちゃん、悪いけど少し先に進んでもらっていい?」
「はーい」
珠子が少し前を歩くと、プリンも弾むように後をついていった。しばらく歩き回るとプリンは地面に鼻をつけてクンクン嗅いだ。そしてお座りをするようにしゃがんで、チョロチョロっとおしっこをした。
「ワンコって後ろ足を片方あげておしっこするんじゃないの?」
珠子が首を傾げる。
藍が斜めがけバックからペットボトルの水を取り出し、地面に染み始めたプリンのおしっこにジャーッとかけながら
「それは男の子。プリンは女の子だからしゃがんでするの」
珠子に教えた。
「お水をかけるのはなんで?」
犬を飼ったことのない珠子には興味深いことだ。
「うーん、これは気休めかな。でもニオイは薄まるわね。うんちはね、こうやってビニール袋で取ってちゃんと持ち帰るの」
プリンがコロンと落としたうんちを掴むように取ると袋の口をぎゅっと縛って斜めがけバックにしまった。
「アイちゃん、少しの間、プリンの紐を私が持ってもいいかな?」
珠子の真剣な目線はなかなか手強くて、藍は思わず頷いてしまう。
リードを短くして珠子の手首にぐるぐる巻き付けるようにして握らせると、一つ注意をした。
「ワンコはね、いろいろな匂いを嗅ぎたくて草の中や木の根っこの辺りに鼻を突っ込むから、そうさせないで欲しいの」
「なんで?」
「草の中に、ワンコの体によくない虫がいたり、口に入ってはいけないものがあったりするかも知れないからね」
「わかりました!プリン、気をつけてお散歩しようね」
珠子が緊張気味に歩き始めると、プリンはチラチラと彼女を見上げながら歩調を合わせて歩き出した。珠子が少し走ると同じ早さでプリンも走り、彼女の足もとから離れなかった。
「プリン、お利口じゃない。私のときも同じようにしてくれないかしら」
藍が呟く。
一時間ほど公園の中を走ったり歩いたりしてプリンは草臥れたらしく、伏せの姿勢で動かなくなった。
「この子は甘えん坊だから、こうやって抱っこしてくれるのを待ってるの」
藍は苦笑いしながらプリンを抱き上げた。
「タマコちゃん、戻ろうか」
「うん。今日は私もいっぱい動いた気がする」
北よりの風が吹いているが、歩いたり走ったりで珠子はジャケットの前を開けたままでいた。
「今日はタマコちゃんにずっと散歩してもらったわね。何か飲む?」
プリンを抱いた藍が自動販売機の前で珠子を見る。
「多分ミサオが山野園で私を待ってると思うので、そこでお茶を飲ませてもらう」
と、珠子は言った。
二人と一匹が商店街に戻ると、珠子の言った通りお茶の山野園で操がお茶を啜っていた。
「ミサオ」
珠子が走り寄る。後ろから藍がプリンを抱いて歩いてきた。
「抱っこしていたらワンコの散歩にならないじゃない」
操が笑うと、
「タマコちゃんがずっと散歩させてこの子疲れちゃったのよ。彼女もかなり草臥れているだろうから休ませてあげて。タマコちゃん今日はありがとう。じゃあね」
藍が珠子を労いながら、カナの店へ入っていった。
珠子は山野園の店主に
「すみません、お茶を所望です」
おねだりした。
「はいはい。低めの温度で入れたから、すぐに飲んで大丈夫よ」
店主から湯呑みを手渡された珠子は味わいながら飲み干した。
「おーいしい」
プリンアラモードを食べて、プリンちゃんと散歩して、美味しい日本茶を飲ませてもらって、幸せを噛みしめる珠子だった。