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絹さんの娘さん

月曜日、孝がランドセルを背負って外に出ると、操の部屋の前で珠子がこちらを見て立っていた。


「タカシ、おはよう」


彼女が笑顔で孝を見る。

わざわざ外に出て見送ってくれるのは何日ぶりだろう。珠子は事件に巻き込まれて体調を悪くし、入院していた。退院してまだ日も浅い。今朝はいつからそこに立っていたのだろうか。


「おはよう。タマコ寒くないのか。風邪ひかないでくれよ」


孝は珠子の目の前に行くと両手を握った。


「冷たいじゃないか」


珠子の両肩にも手をかけると


「ここも冷たい。タマコ、見送ってくれるのはとっても嬉しいけど風邪をひいたら大変だよ。これからどんどん寒くなるから、明日から外に出ないでいいよ」


孝は優しく言った。


「わかった。明日から暖かい格好をして、ここで、いってらっしゃいを言う」


珠子の言葉に、全く可愛いやつだな、と思いながら孝は


「いってきます」


と言って出かけた。

アパートの敷地を出る直前に振り返ると、珠子が手を振り続けていた。

孝が大声で言う。


「タマコ、もう部屋に入れ」


そして手を振り返した。




部屋に戻った珠子は、キッチンの操に


「お腹がすいちゃった」


と、声をかけた。

操が孝と同じように珠子の両手を握る。


「姫、冷たい。もっと厚着をして手袋もしないとね」


「うん。わかった」


珠子が食卓につくと、ミネストローネとチーズトーストが置かれた。スープカップを口もとに持っていき、ふーふーと息を吹きかけて一口飲むと、


「トマトのスープ美味しい。あまーい」


珠子は満足気な顔をして、その後一気に飲み干した。


「おかわり」


空になったカップを操に差し出す。


「姫、ゆっくり飲んでね。トーストも食べてよ」


カップにスープを注ぎながら操が珠子を見る。珠子はチーズトーストを頬ばりながら、スープを早くちょうだい、と目で催促した。

朝食を終え、操と珠子が食器を片付けてお茶を啜っていると、


「こんにちは。すみませーん」


インターホンから声がした。操がモニターを見ながら応対する。


「はい」


「私、104号室の沢野絹の娘の池田洋子でございます」


「まあ、少々お待ちください」


操は玄関の扉を開けた。


「母がお世話になっております」


操より少し年上といった感じのグレーヘアの女性がお辞儀をした。


「洋子さん、お久しぶりです。どうぞ、あがってください」


奥に通され洋子がソファーに座ると、珠子が来客用の湯呑みを乗せたお盆を持ってそろりそろりとやって来た。


「どうぞ」


湯呑みの乗った茶托を洋子の前に、操の前にも彼女の湯呑みを置くと珠子はキッチンへ戻った。


「お孫さんですか?」


洋子が操に聞くと、ええ、と笑顔で頷いた。


「それで、どのようなお話ですか?」


「あの、このところ母の様子と言いますか調子があまり良くないみたいで」


「確かに夏の終わりごろから絹さんのライフワーク、花壇の手入れができていなかったですね。心配で何度か伺ったんですけど、お元気そうではありましたよ」


操が様子を確認しに訪れると大抵彼女は大きなマッサージチェアーに座っていたが、受け答えもしっかりしていて、タイマーが切れるとゆっくり立ち上がりお茶を出してくれていた。


「母も先日89歳になりまして、今は何とか生活できていますが、段々身の回りの事を自分一人でするのは難しくなっているかと」


洋子の話に操はうなずいた。


「うーん、そうですね。それでこれからどうされるんですか?」


「ええ、今、包括支援センターと連絡を取っておりまして、近く担当者が母と私とで面談をすることになりました。その後、様々な手続きが終わるまで母の部屋に泊まってもいいでしょうか?」


『ハイツ一ツ谷』は単身用のアパートなので、彼女はしばらくの間、絹の部屋で寝泊まりすることの了承をもらいに来たのだろう。


「全然構いませんよ。センターの方はいついらっしゃるんですか?」


操が聞くと、明後日です、と洋子が言った。


「そうですか。いろいろ話がまとまるまで、一緒にいらっしゃって大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。面談後、ケアマネジャーが決まるので今度はその方に相談をすることになると思います。私も年齢的に母の面倒を看るのは難しいので施設に入所を考えています」


洋子の話に操は黙って頷く。


「多分、大家さんにもセンターの方やケアマネから話を聞かれたりすると思いますので、よろしくお願いします」


「承知しました」


「母はこのアパートがとても住み心地が良くて気に入ってるんですよ」


「そう言ってもらって嬉しいです」


しばらく世間話をしていた二人だったが、


「それでは、おじゃましました」


と言って洋子は帰り、湯呑みをキッチンに片づける操に珠子が話しかける。


「ミサオ」


「どうしたの?姫」


「絹さん、どこかに行っちゃうの?」


「絹さん、一人で暮らすのが段々難しくなっているんですって」


「そうなんだ」


「今帰った人は絹さんの娘さんなの。明後日、お年寄りの生活相談をするんだって」


珠子は操の話を聞いてしばらく考え込む。そして操を見た。


「ミサオがおばあちゃんになっても私がずっと一緒にいるから、心配しなくていいよ」


「姫!嬉しい!ずっと傍にいてね」


私はすでにおばあちゃんなんだけど、と思いながら操は珠子を抱きしめた。

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