珠子、パパとクッキング
「珠子、今夜は久しぶりにパパの部屋で過ごすか?」
夕方、鴻のいる産院から戻った源が操の部屋に顔を出した。
源の声に珠子はダッシュで玄関へ向かった。
「パパのところに行く!」
珠子は飛び上がって源に抱きついた。
キッチンから操が出てきて聞いた。
「晩ご飯はどうするの」
「きのこと鶏肉とカシューナッツの炊き込みご飯でも作ろうと思って材料は買ってきた。あと、ホッケの開きを焼こうかな。それから小松菜の煮浸し。それと…」
「源、私も一緒に食べていい?今、切り干し大根とひじき煮を作ったから持って行く。もちろん手伝うわよ」
操の提案に源は苦笑いを浮かべた。
「とりあえず珠子を連れて行くよ。鍵を開けとくから母さん勝手に入ってきて」
源は珠子を抱きかかえたまま操の部屋を出ていった。
「パパは料理が上手なの?」
珠子が、テキパキと炊き込みご飯の準備をしている源に聞いた。
「うーん、ここだけの話、母さんよりはうまいと思うよ」
源は笑った。
「パパは、普段向こうで一人暮らしだから毎日自分でちゃんとご飯の用意してるんだ」
そう言いながら、源は刻んだ材料をフライパンで炒め始めた。
「炊き込みご飯を作ってるんじゃないの?」
珠子は源の調理工程を不思議そうに見ていた。
「こうやって具材のうま味を引き出すんだ」
炒めた具材と酒や調味料を入れた炊飯器の蓋を閉めると
「珠子、大事な仕事だ。スイッチを入れてくれ」
源が神妙な顔で珠子に言った。
「はい」
珠子も真面目な顔で炊飯器のスイッチを押した。
まだ料理ができない珠子が見ても、源の手際の良さはすぐにわかった。鍋に湯を沸かしながら、グリルにホッケをセットして大根を素早くおろし、煮浸し用の漬け汁を作る姿は、まるで料理人だった。
「パパってコックさんしてるんだっけ?」
そう聞く珠子に、小松菜をさっと湯がきながら源は言った。
「違うよ。パパは商品の企画の仕事をしてるんだよ」
湯通しした小松菜を冷水に入れながら
「パパはね、こんな物があったら便利だなとかこういう物があったらオシャレで使い易いなって提案するんだ」
源は珠子に笑顔を見せた。
「パパの仕事、おもしろそう」
「そうだな。おもしろいけど結構大変なんだ。珠子、向こうにある踏み台を持ってきて」
流しの前に踏み台を置いて珠子が乗ると
「水に入れた小松菜をこうやって握って絞ってくれる」
源が手本を見せた。珠子が真似て青菜の水を絞る。それを受け取って源が五センチぐらいに切ると、また珠子に渡した。
「今度はこれをもっとぎゅっと握って水を絞って」
「もっと絞るの?もう水出ないと思うよ」
「憎たらしい奴の顔を思い浮かべてギューッとやってごらん」
「私の周りにそんな人いないよ」
「そうか。平和で何よりだ。じゃあ何も考えずにギューッとやって」
珠子は言われた通りに小松菜を握りしめた。
「凄く水が出る」
「だろう。よく絞れたら、この漬け汁の中に入れて」
珠子が真剣に作業をしている間に、源はカニかまとざく切りキャベツとモズク酢を和えて冷蔵庫にしまった。
「パパ、終わった」
「ありがとう。よくできました。ところで珠子、操ばあちゃんは味噌汁を作ってくると思う?」
「うーん、お鍋を持って階段を上がるのは難しそうだから作らないと思うよ」
「なるほど。じゃあこっちでちゃちゃっと作るか」
源は鍋やボウルやザルを洗いながら
「珠子、食器棚の中で一番大きなお皿を取って。ゆっくりでいいから気をつけて取ってな」
珠子が皿を出すのを見守った。
「パパ、これでいい?」
「オッケー。それちょうだい」
珠子から受け取った皿にじゅわっっと焼き上がったホッケを乗せた。珠子がダイニングテーブルを拭いて源がホッケの皿と大根おろしを置いた。小さなフライパンにごま油でじゃこを炒めると、だしに浸した小松菜の上にざーっとかけた。
ちょうどその時ご飯が炊き上がった。と、時を同じくして操がやって来た。
「うあーいい匂い」
「母さん、タイミングいいな。じゃあ、ご飯かき混ぜて」
源に言われて、操はおとなしく従った。珠子は冷蔵庫からカニかまの酢の物風を出した。源はあっという間に豆腐とネギと茗荷の味噌汁を作ってお椀によそった。
テーブルに所狭しと並んだ料理を前に
「いただきます」
三人は結構な勢いで食べた。
源は切り干し大根とひじき煮を食べて
「母さん、腕上げたじゃない」
と操を褒めた。
「神波家一の料理上手に言ってもらって嬉しいわ」
操は本当に嬉しそうだ。
「パパ、このご飯凄く美味しい。タカシに食べさせたいな」
珠子の感想に
「珠子は孝君が好きなんだな」
源は少し寂しそうに言った。
「うん、タカシ大好き」
「俺とどっちが好きなの?」
「えっ、うーん」
源の質問にずっと悩む珠子を見て操が笑った。
「源、あんたを目の前にしてこれだけ悩むのは、タカシ君の勝ちってことよ」
「結婚式で柊の嫁さんの大泣きした親父さんの気持ちがわかってきた」
源は力無く言った。
「ねえ、あの元気な可愛い子の名前は決まったの?」
「うん。鴻と考えてかなり絞れたよ。珠子、聞いてくれるか?」
源は、子ども用の座面の高い倚子で食べ過ぎたお腹を擦っている珠子の顔を見た。
「あのね」
珠子も源の顔をじっと見た。
「あのね、元太っていいね」
「えっ」
「私、弟君に指をぎゅっとされたでしょう」
珠子が昨日のことを話した。
「元太はパパの名前と聞こえ方が似てて凄く好きで凄く嬉しいって」
弟君は私に教えてくれた、と珠子は言った。
「パパもママも何回か弟君に呼びかけたでしょう」
「ああ。確かに」
「ちゃんと聞いてたよ。自分は元太なんだって」
「そうか。神波元太、いい名前だろう」
「たくましい子になりそうね」
操は鴻の傍で眠っていた孫の顔を思い浮かべた。