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弟の誕生(1)

朝早く、源から操に連絡が入った。鴻が分娩室に入ったという知らせだった。

操は気持ち良さそうに眠っている珠子に声をかけた。


「姫、起きて」


無理やり起こすのは可哀想だが、少し体を揺すってもう一度、起きて、と声をかけた。

うーんと言いながら珠子がゆっくり目覚めた。


「姫、おはよう。今、あなたのパパから連絡があって、弟君の生まれる準備が始まったみたい」


操の話を聞いて、珠子は飛び起きた。


「ほんと!」


「ええ、生まれるタイミングはわからないけど、姫も一緒に病院に行きましょ」


操が早く身支度をと()かしたたが、


「私、お留守番してる」


珠子はベッドから離れなかった。


「どうしたの」


「ミサオ、早くママのところに行って」


「何言ってるの。一緒に行くわよ。支度しましょ」


「行かない」


「姫、コウちゃんはあなたに傍で見守って欲しいのよ」


「違う。私が近くにいると、ママは普通でなくなっちゃう」


「コウちゃんが言ったの?傍に来ないでって」


「聞いてないけど、わかる。ママが救急車で運ばれたときも、ママの周りに恐怖と助けてって気配を感じたの。怖いって思ったのは、きっと私が近くにいたからだよ。ミサオ、私は一人で留守番できるから早くママのところに行って」


珠子はベッドの上で膝を抱えてうずくまった。

操は大きなため息をついて、源に連絡を取った。


──母さん、もう出た?


源の声を聞いて、操は涙ぐみながら珠子が病院に行かない旨を話した。


「姫が自分はコウちゃんの傍に行っちゃいけないんだって言うの」


──何を言ってるんだ。珠子と話をさせてくれないか


「わかった」


操は携帯電話をスピーカーにして珠子の近くに置いた。


──珠子、パパだよ


「うん。おはよう」


──珠子、急いでこっちに来てくれ


「行けない」


──どうしてだ?


「ママの大事なときに、私が傍にいたらママの負担になるから」


──珠子、ママはおまえに会いたがっているよ


「私のために嘘をつかなくていいよ」


──本当だ。ママが入院した日、救急車が来るまで珠子が手を握ってくれて体が楽になったって


「……」


──珠子が傍にいてくれて、自分は守られているって言ってた


「本当?」


──パパが珠子に嘘をついたことあるか?


「パパは嘘つかない」


──ママは珠子が傍で見守ってくれるのを望んでる


「うん」


──早くその可愛い顔をママに見せてやってくれ


「わかった」


──母さん、頼んだよ


操は、すぐ行くと言って通話を終わらせた。


「さ、姫、急いで支度して」


「はい」


珠子はベッドから離れた。




操と珠子がタクシーで産院に駆けつけると、源がエントランスで二人の到着を待っていた。


「パパ」


珠子が源に走り寄った。


「珠子、来てくれたか」


源は珠子を抱きかかえた。


「うん」


「コウちゃんの様子はどうなの」


「陣痛の間隔がかなり短くなってきたみたい」


三人は分娩室に向かった。そこを見て操が呟いた。


「この部屋、姫が生まれたところだわ」


「私、この部屋で生まれたんだ」


珠子は感慨深げに目の前の部屋の扉を見つめた。


「神波さーん」


産院のスタッフが源に声をかけた。


「神波さん、中に入りますか」


「そろそろですか」


「その可能性は高いんですけど、まだはっきりとは言えません。でも、白衣を着て消毒したら入っても構いませんよ。奥様の頭側での待機となりますが」


「この二人も入っていいですか?」


源が操と珠子に目を向けた。


「申し訳ないんですが、お子さんはご遠慮ください」


スタッフに断られた珠子は


「私、ここで待ってる。操もママの傍にいて」


源と操を扉の方へ押した。


「お嬢さんはこの長椅子に座っていて」


スタッフが通路の壁に沿って置かれた長椅子を指し示した。


「じゃあ私もここで待ってるわ」


操が言うと、珠子は首を横に振った。


「私、一人で大丈夫だよ」


珠子の言葉に


「どうされますか。そろそろ中へ」


スタッフが源たちを促した。


「この子はしっかり者ですが、時折気にかけてもらえますか」


源はそう言うと、操と分娩室に入っていった。




珠子は一人、静かな通路の長椅子に座った。目を閉じて寄りかかった壁の向こう側を頭の中に描いた。集中すると部屋の中が見えてきた。

扉を入ってすぐは細長いロッカーが五台並んでいる。二つは普通の鍵付きロッカー。操と源の上着やバッグが入っている。残りの三つは紫色のライトに照らされた使い捨ての不織布の割烹着型白衣が幾つも入っている。

操たちはこれを着けて同じ素材のキャップをかぶりマスクをして傍に設置されている手洗い場で手を洗った。足元のベタベタするマットを踏んで、部屋の扉と平行に下がっているカーテンを開けるとその先に、頭がこちら側にある分娩台が設置されている。

珠子の母、鴻がそこで仰向けになって出産のときを待っていた。額から大粒の汗を噴き出しながら。ドクターと助産師が足側で話ながら何かを確認していて、看護師は鴻に声をかけている。歯を食いしばり、スタッフの合図に合わせて呼吸をする鴻を左右から見守る源と操が見えた。




ママ、私もすぐ傍にいるからね。

弟君、ママが力んだら少しずつ頭から外に出ていくんだよ。

ほら、明るい世界までもう少し。


「頭、見えたわよ」


助産師の声がする。

ママ、五年前に私を産んでくれてありがとう。弟君も、もうすぐそう思う瞬間が来るよ。


「鴻!」


「コウちゃん、もう少しよ」


パパとミサオの声が聞こえる。

その間にママが圧のかかった声をあげている。

ママ、ママ、ママ、珠子は両手を出して目の前にいない鴻の手を握る仕草をした。




「はい、無事生まれましたよ。おめでとうございます」


ドクターの声と、独特な音程の新生児の産声が聞こえた。


「神波さん、よく頑張ったわね」


助産師が、柔らかな布に包まれた、しわくちゃで真っ赤な顔の赤ちゃんを脱力している鴻に抱かせた。


「元気な男の子ですよ」


「鴻、頑張ったな」


「コウちゃん、お疲れさま。姫の弟君初めまして」


源と操の笑顔につられて、鴻も微笑んだ。

そして、じっとしてない新生児を胸に、鴻が珠子を呼んだ。


「珠子はどこ?この子を見せたい」


「珠子はこの部屋の外で待ってるよ」


源が鴻の顔の汗をガーゼで抑えながら言った。


「珠子、私の手を握ってくれてたのよ」


「それは無理だ。あの子はこの部屋に入れなかったんだ」


源の話に鴻は納得しなかった。


「いいえ、私の手をぎゅっと握ったの。そうしたらお腹に力が入って、この子がするっと生まれたのよ」


源と鴻の話を聞いて


「すみません、部屋の外で待っている孫の様子を見てください!」


操が焦った声でスタッフに頼んだ。

自分もカーテンの向こう側、ロッカーの前で白衣とキャップを取り、珠子が待っている長椅子のところへ急いだ。

看護師が珠子を長椅子に寝かせていた。


「すみません、お嬢さん静かに座ってらしたので様子を見ていませんでした」


看護師の謝罪に、大丈夫ですよと操は言った。


「姫はここでずっとコウちゃんを応援していたのね」


分娩室から出てきた源が驚いた顔で操の隣に並んだ。


「どうしたんだ」


「この子は、ここからコウちゃんの手を握ったの。姫は自分の体力以上の力を使って体が悲鳴をあげて倒れてしまったんだわ」


「じゃあ、本当に鴻は珠子に手を握られていたのか」


「そうね」


「ありがとうな、珠子。一緒にママと弟のところに行こうな」


源は珠子をお姫様抱っこして、操と共に鴻の部屋へ向かった。

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