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暴れん坊の弟君

今朝も操はアパートの通路を掃いて綺麗にする。

階段から下りてくる足音がした。


「大家さん、おはようございます」


ん?リョウ君?そんなはずはない。声が違う。振り向くと、美大生だった高田涼が留学で退去後に入居した208号室の魚住だった。


「おはようございます。いつもより出かけるのが早い?のかしら。普段この時間に会わないから」


操は、この人は上背があるからスーツが結構決まってるなと思った。


「いえ、いつもはもっと早いんです。今朝は少しのんびりです」


「そうだったのね。魚住さんてスーツ似合うわね」


「そうですか」


彼は少し照れたように笑って


「いってきます」


アパートを後にした。


「いってらっしゃーい」


操は魚住の後ろ姿に手を振った。リョウ君は好青年だったけど魚住さんも感じいい人ねと操は思った。

掃除が終わって部屋に戻ると、寝起きの珠子が電気ポットをセットしていた。


「ミサオおはよう」


「おはよう。姫、お茶の準備をしてくれてるの?ありがとう」


「うん。ミサオの朝一はコーヒーでしょう。温度を高めに設定したよ」


「ありがとう。手を洗ってくるね」


操が洗面所に行っている間に珠子は寝室の姿見サイズの鏡前でスカートの曲がりを直してキッチンへ戻った。

キッチンでは操がマグカップに、お気に入りのインスタントコーヒーを入れてお湯を注いでいた。


「姫、カフェオレでも飲む?」


操が聞くと、珠子はいらないと首を横に振り、


「タカシにいってらっしゃい言ってくる」


外に出ていった。

玄関の扉の前で待っていると、隣の柏の部屋からランドセルを背負った孝が出てきた。


「おう、タマコおはよう」


「タカシおはよう」


「今日も見送ってくれるの?」


「うん」


「ありがとう」


孝は珠子の前に立って優しく頭を撫でた。


「そのスカート可愛いじゃん」


孝に褒められて珠子は満面の笑みを浮かべた。


「タカシ、気をつけていってらっしゃい」


手を振る珠子に


「いってきます」


と孝も手を振って出かけていった。彼の姿が見えなくなると珠子は大きく伸びをして空を見上げた。


「いいお天気」


しばらく上を見ていると、操の真上の部屋の扉が開いた。


「ママ…」


珠子の母、鴻がよろよろと出てきたのだ。様子が変だ。珠子は顔を上げ鴻に向かって叫んだ。


「ママ、動かないで!すぐそっちに行くから」


急いで操の部屋の扉を開けた珠子が


「ミサオ、ママの様子が変なの。来て!」


と、部屋の中に向かって大きな声を上げた。

携帯電話をエプロンのポケットに突っ込んで操がすぐに出てきた。珠子が見上げてる隣で鴻の姿を見ると急いで階段を駆け上がった。珠子も後に続いた。

鴻は自分の部屋の前でしゃがみ込んでいた。


「コウちゃん、どうした」


操もしゃがんで鴻と目を合わせた。


「お腹が痛くて」


「どんなふうに痛いの?」


「お腹が張って、苦しくて、少し出血が…」


操は鴻をその場で左側を下に寝かせて珠子に言った。


「姫、クッションと何か掛けるものを持ってきてくれる」


「わかった」


珠子は鴻の部屋からクッションと倚子に掛けてあったひざ掛けを持ってきた。

その間に操は鴻の通っている産婦人科に連絡を取った。

結局、救急車でその病院に運ばれそのまま入院することになった。処置が終わって病室のベッドに寝かされた鴻を操が見守っていた。


「お義母さん、迷惑をかけてすみません」


「何を言ってるの。コウちゃんは余計なことを考えないで体を楽にして安静にしてちょうだい。それで先生から話を聞いた?」


「はい。この子がかなり暴れていて、もう出たがっているんじゃないかと、でも産道や子宮口はその段階ではないと言われました。ただ、急変する場合もあるからと」


「しばらくは、ここで安静にしていないとね。源には連絡しておいたわ。仕事の段取りがつき次第帰ってくるって」


操の話を聞いて鴻は涙を流した。


「私、情けないです。みんなに迷惑をかけて。救急車なんて」


「なーに言ってるのよ。あの場所からじゃ素人には動かせなかったんだから。迷惑なわけないじゃない。ここの暴れん坊が元気に騒いでるだけよ」


操は鴻のお腹を擦った。


「ほら。今も出たいって暴れてるわ」


操は鴻に優しく笑いかけ、鴻は静かに目を閉じた。




午後、孝が学校から帰ると、そこに珠子がいた。


「ただいま。あれ、なんでここにいるの?」


珠子はなにも言わず、涙がこぼれないようにじっと耐えていた。


「孝、おかえり。こっちにおいで」


月美が孝をキッチンの隅へ連れていくと、珠子の母親の具合が悪くて入院したこと、操が付き添っていること、珠子をここで預かることを伝えた。


「タマコのお母さん、悪いのか」


孝が月美に聞くと、出産直前で大事をとったみたいと答えた。

孝はランドセルを自分の部屋に放り込むと、珠子の手をとって


「ノッシーのところに行こう」


部屋の奥へ引っ張っていった。

元気よくケージの中を動き回るリクガメを見ながら、孝が珠子に言った。


「さっき、お母さんに聞いた。タマコのお母さん入院したんだって?」


「うん。血が出ていたの。ママも弟君も死んじゃうのかな」


涙が珠子の目の中に収まらずあふれ出た。


「おれのお母さんが言ってたよ。安静にしていれば大丈夫だって」


孝が珠子の背中を擦る。


「私の力って、こんなとき何の役にも立たないんだ」


「それでいいんじゃない。タマコが何でもできたとして……」


孝が珠子の顔を見る。


「もし、タマコの力でお母さんを助けたことを知ったら、おまえのお母さん怖がるんじゃないか。これは、おれの想像だけど…」


珠子のお母さんが珠子を怖がるのは、珠子が良かれと思って使った力に恐怖を感じたのではないだろうか、孝にはそう思えた。


「ま、おれはそんな事もひっくるめてタマコが好きなんだけどな」


呟いた孝に


「え、なあに?」


珠子が聞き返したので、慌てて何でもないと答えた。

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