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リクガメ・ノッシーと珠子

珠子は右手に小松菜を挟んだ小さなトングを持って固まっていた。


「タマコ、置物になってるよ。ほら、ノッシーが顔を上げて待ってるじゃん。このチビにおあずけは可哀想だよ」


柊が、ケージから出してもらい床で珠子を見上げている小さなリクガメを見ながら言った。


「はい、わかってます。頭では理解してるんですけど、体が思うように動きません」


珠子はノッシーの小さくつぶらな目に釘付けになったままで口だけ動かした。


「しょうがないな」


柊は珠子の後ろに回り込んでしゃがみ、トングを持った小さな手を握った。


「いいか、このまま小松菜をそっとノッシーの口元に持っていくよ」


目の前まで下げられた小松菜をノッシーが首を伸ばして


『パクッ』


と食いついた。ピンク色の舌がクチバシの横からちらっと見えた。

ノッシーは大食漢で五枚の小松菜をあっと言う間に完食した。まだ貰えるかもと思ったのか珠子の正面で首を伸ばして待っている。

柊がりんごのスライスが乗った皿を持ってきた。


「これトングで挟んで」


珠子はりんごを摘まんだトングを、勇気を出してノッシーの前に近づけた。

ノッシーは少し匂いを嗅いで勢い良くりんごを咥え奪い取った。小松菜より夢中で食べているのが珠子にも分かった。


「やっぱ甘い物の方が好きだよな」


珠子からトングを受け取りながら柊が言った。

ノッシーは、まだ何かくれるのか様子を覗っていたが貰えないと判断したのか凄い勢いで歩き出した。そして、おしっこをした。


「あ、ヒイラギ君、ノッシーが」


「またかー。こいつケージから出すとすぐ開放的になるんだよな」


柊は雑巾で拭き取りながら


「カメはワンコみたいにトイレの躾できないから仕方ないんだけどね」


と言った。そしてノッシーを掴むと洗面所へ連れて行った。珠子も後に付いていく。

柊はノッシーを入れた洗面器を洗面台のシンクに置いて、風呂と同じ温度のお湯を入れた。


「ノッシーのお風呂?」


「そう。俺たちは週二回こいつを温浴させてる」


ノッシーは足をばたつかせていた。


「あ、うんちした」


洗面器に小さな硬めのフンが浮いた。

柊は洗面器のお湯を替えながら


「こいつ、可愛いよな」


小さな頭を軽く撫でる。それを見ながら、


「ヒイラギ君、前にノッシーを見に来ていた…タカシ君なんだけど」


珠子が言った。


「ああ、あいつ、この間久しぶりに来たんだけどさ、また痩せたみたいでさ」


「そうなんだ」


「子ども食堂にも最近は来てないみたい。タマコ、前にもタカシの事を気にしていたよな」


「うん」


「何か思うところがあるのか?」


相変わらず洗面器の中で手足をばたつかせているノッシーを見ながら


「あのね、前にタカシ君の周りが暗いって言ったでしょ。私ね夢を見たの。あの時よりタカシ君の周りがものすごく暗くなっていて、腕から血を流してた。予知夢って訳じゃないけど気になっちゃったから」


珠子は元気なく言った。


「タマコ、お前って……分かった。近い内に柏とタカシの所に行って来る」


「うん」


柊はノッシーをお湯から上げてタオルでしっかり拭くとケージに戻した。

そして洗面台を軽く掃除すると珠子に言った。


「ノッシーと触れ合った後は手を洗って」




土曜日、柏と柊は子ども食堂で住所を教えて貰った孝の家を訪ねた。

平屋の古い借家でチャイムを鳴らしても応答が無いので扉を叩いた。


「こんにちは。タカシいる?ノッシーのお兄ちゃんだよ」


柊が言うと


「おじさんだろ」


柏が笑った。


「お前はおじさんだけど俺は少し若いからお兄さんだよ」


「少しだけね」


二人がくだらない話をしていると、扉が少し開いて


「どちら様ですか」


草臥れた感じの女が顔を見せた。


「あの、子ども食堂で時々タカシ君と会っている神波と申します。彼はいらっしゃますか」


「ヒイラギ来たの」


奥から孝の声がした。


「柏もいるよ。ノッシーが寂しそうにしてるから顔を見せに来てくれないかな」


柏が言うと


「おかあさん、ちょっと出掛けていい?」


孝が聞くと、母親は無言で奥に行ってしまった。

孝は袖口から手首が出る窮屈そうな上着を着て外に出てきた。


「よっ、久しぶり」


「ノッシーが待ってるよ」


柊と柏が孝の背中を軽く叩いた。




ノッシーのケージを覗きながら孝は声を上げた。


「ノッシー大きくなった!」


「コイツにゴハン上げてみるか」


柏がチンゲンサイが乗った皿を持ってきた。孝が頷くと


「手を洗ってこい。上着を預かるよ」


柊は小さめの上着を受け取ると洗面所までついて行き孝がシャツの袖をたくし上げたところを見る。

ノッシーの所に戻った孝はチンゲンサイをケージの中にそっと置いた。大食漢の子ガメはざくざく歩いて緑色の葉にかぶりついた。


「凄い食欲だろう」


「うん。逞しいね」


「タカシは朝飯食ったか?」


時刻は十時を回っていたが、柏は聞いてみた。

孝は首を横に振った。


「ピザトーストならすぐ出来る。食うか」


孝は頷いた。


「すぐ用意するから、手を洗っておいで」


柏に言われて孝は洗面所へ向かった。

孝がいなくなると、


「タマコが言った通り、タカシは腕を怪我している」


柊が柏に耳打ちした。




孝は美味しそうに、厚切りのピザトーストを二枚、あっと言う間に平らげた。

オレンジジュースを飲んでふうっと息をつくと


「ごちそうさま」


少し微笑みながら言った。


「タカシ、少し話をして良いかな」


テーブルの上を片付けながら柏が言った。


「うん。何」


「あのさ、お前、右腕どうした」


「えっ」


「手を洗ってる時見えた」


柊が静かに言った。


「お母さんにやられたのか」


「……」


「ちょっとシャツを脱いでくれる」


「やだ」


柏が孝の傍に立ち


「ちょっとごめん」


言いながらシャツを脱がした。

背中に打撲の痕が幾つもあった。右腕は絆創膏で隠せない大きさの切り傷が見えた。


「何するんだよ」


孝が叫んだ。柏はシャツを着せながら聞いた。


「お母さんにやられたのか」


孝は答えない。


「タカシ、俺たちはお前が心配なんだ」


「大きなお世話だよ」


「そうだな。けど俺たちは放っておけない。だってお前、ノッシーの名付け親なんだぜ。俺たちの大事な仲間だ」


柊が孝の頭をくしゃっと撫でながら言った。


「お母さんがやったのか」


孝は頷いたが


「おかあさんは悪くない。おかあさんだって大変なんだ」


親をかばう。


「そうだな。子どもを育てるって大変だよな」


柊がしみじみ言うと


「お前、親になったこと無いくせに」


柏が茶々を入れる。

その時、


「入るわよ」


操の声がした。


「ウチの肝っ玉が来たよ」


柏がため息を吐く。


「誰が肝っ玉だって。タカシ君こんにちは」


操が珠子を連れてやって来た。


「タカシ君こんにちは」


珠子が孝を見つめながら挨拶をした。


「こ、こんにちは」


孝は俯きながら言った。


「タカシ照れるなよ」


柊がからかう。


「柊、お黙り」


操がぴしゃりと言う。


「タカシ君、ウチのお馬鹿たちと相変わらず仲良くしてくれてありがとね」


操の声に孝は少し笑顔になった。


「タカシ君、今日は少し真面目な話をしましょうか」


操は孝の正面に座り


「ちょっと両手をこっちに出してくれる」


彼の手を包むように握ると目を閉じた。


「タカシ君、お母さんとお話したいんだけど、これからお宅に伺っても良いかしら」


「おかあさんは人と会うの好きじゃないんだ」


「大丈夫。私、君のお母さんと仲良くなる自信があるので」


操は力強く言った。


「それじゃ、私はこれからあなたのお母さんに会ってくるから、君は柏と柊の面倒見ていてくれる?」


操がお願いすると、孝は


「わかった、面倒見ておく」


笑顔で応えた。


操が孝の手を握っただけで孝の表情が柔らかくなった事を柏と柊は不思議に思った。


「母さんてさ、時々……」


「ああ、そうだな。それとタマコもね」




操と珠子は孝の家を訪れた。チャイムを押す。反応が無いので扉を叩いた。根気よく叩いていると、


「誰」


不機嫌な声と共にドアが開いた。


「こんにちは。ウチの体だけでかい息子たちが、こちらのタカシ君に仲良くして貰ってまして」


「はあ」


「少しお話させて貰えませんか」


「特に話すこと等ありません」


「ちょっと良いですか」


「な、なんですか」


操は孝の母親の両手を軽く握った。珠子はその様子をじっと見つめていた。




「ただいま戻りました」


操が言いながら部屋に入って来た。


「母さん、タマコお帰り」


「カシワ君ヒイラギ君おじゃまします」


珠子がにこやかに言うと、


「タマコ、なんかご機嫌じゃない?」


柊が聞いた。


「うん。タカシ君の周りの暗いのが無くなった」


珠子は満足気に頷いた。


「で、タカシのお母さんと話できたの」


柏は操を見た。


「ええ、山口月美さん──タカシ君のお母さんね。まず、病院に行くことを約束して貰いました。その経過を見ながら少しずつ出来る事をやって貰う。茜と藍が協力してくれるって」


「山口さんが体調悪かったことタカシは知ってたの?」


柊が孝を見た。


「おかあさんは何も言ってくれないんだ。でもずっと怠そうだった。やっぱり具合が悪かったんだ。僕が話しても聞いてくれないし、何も言ってくれなかった。だから、少しでもおかあさんの負担にならないようにしていた。おばさん、おかあさんに言ってくれてありがとう」


孝は操に礼を言った。


「タカシ君もよくお母さんに寄り添ったわね。彼女、あなたに辛く当たってしまったって悔やんでた」


操は孝の肩をトントンと優しく手を置いた。少し離れた所でその様子を見ていた珠子が微笑んだ。




しばらくすると出前が届いた。


「そうそう『うまどん』のデリバリー頼んだの。テキトーに注文したから早い者勝ちで好きな丼選んでね。親子丼は月美さんの分だからタカシ君帰るとき持って行ってね。お代はタカシ君の大きなお友達が払ってちょうだい」


操がお茶の用意をしながら言った。


「しょうがないな」


柏が財布を持って玄関に向かった。




珠子は孝と並んでケージの中のノッシーを見つめた。ノッシーは何か考えているのかいないのかケージの中から二人を見つめ返した。

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