はじめての海の味(2)
「綺麗ね」
操は目を細めて目の前に広がる白い砂浜と一瞬南国のそれと勘違いしそうな透き通ったブルーグリーンの海を見ていた。
外海なので波は荒いはずだがこのホテルのプライベートビーチの海岸線だけ入り江になっているので寄せる波も比較的穏やかだ。
「ミサオ、もっと先に行こう」
珠子が手を引っ張っていく。
優しい波が足もとを濡らす。
「きゃっ、以外と冷たい」
珠子は嬉しそうに飛び跳ねる。
「姫、波に足をすくわれないように気をつけて」
操に注意されながら波が膝下まで浸してくる辺りで、珠子は繋いでいない方の手を海水に入れてみる。濡れた人差し指と中指を口に入れた。
「ううっ、苦い!しょっぱい!」
珠子は眉間に皺を寄せ口からべろを出した。
「でしょう」
操が笑う。
「うちで作った塩水よりしょっぱいし、凄く苦いよ。なんでだろう?」
「いろんな成分が入ってるんじゃない。で、納得した?」
「うん。こんなに青い水だから、もっとなんかしょっぱいだけではなく美味しい味がすると思ってた。海の水は舐めるものではないんだね」
二人は寄せる波に沿うように歩き始めた。
ホテルの部屋の窓から、波打ち際を歩く操と珠子を孝は見ていた。
「お母さん、おれもあそこに行っていい?」
「一人で行動しないで、珠子ちゃんたちと一緒にいるのよ」
「うん。わかってるって」
孝が部屋を出ようと扉を開けると
「俺も行くよ」
柏が声をかけてきた。
「来なくていいよ」
孝は柏の耳元で、この間にお母さんといちゃいちゃしなよ、と言った。
固まっている柏にウインクしながら孝は扉を閉めた。
「藍」
「なに」
「お風呂行こうか」
「うん。そうね。空いているといいね」
藍たちが廊下に出ると孝と出くわした。
「孝くん、どこ行くの」
藍が尋ねる。
「タマコたちが浜辺にいるからおれも行こうと思って。藍さんは、お風呂?」
二人が胸元に抱いているバスタオルを見て孝が言った。
「そう、このホテルってチェックインの受付も大浴場が開くのも早めでいいわよね。そうだ、紹介するね。彼女、古沢礼奈さん。茜が来られなくて代わりにつき合ってもらったの」
孝は、藍の隣に立っている女性を見て会釈した。
「綺麗なお姉さんだね。おれ、山口孝です」
「孝くんのお母さんは私たちの仕事を手伝ってくれてるの」
「そうなんだ。孝くん、礼奈です。よろしくね」
「どうも」
孝はもう一度会釈をした。
「また後でね。夜ごはんの時会いましょう」
そう言って、藍と礼奈は大浴場へ向かった。
「タマコ!おばさーん!」
孝は浜に出ると大きな声で二人を呼びながら走り寄った。
「タカシ、海の水は美味しくないよ!」
珠子も叫んだ。
「それは知ってる」
呟いた孝は
「そうなの!」
今度は珠子に聞こえる声で驚いて見せた。
操・珠子・孝の並びで手を繋いで波に向かって少し歩いた。優しい波にのんびり気分の珠子だったが、油断大敵で突然大きな波が寄せてきた。
「きゃあー」
思わず声をあげた珠子のお腹の辺りまでびっしょり濡れてしまった。
「あらら。戻ったらすぐお風呂に行きましょう」
操は大笑いだ。
「そういえば、さっき藍さんたちがお風呂に行くところに会ったよ」
「一緒に綺麗な女の人がいたでしょう」
「うん、礼奈さんって人」
「私たちもそろそろ温かいお湯に入ろうか。姫のお腹が冷えるとよくないから」
操がホテルの方を振り返った。
珠子は足もとをじっと見た。
「タマコどうした?」
孝が珠子の目線の先を見る。そこには三~四センチほどの白い二枚貝の殻が波に持っていかれそうになっていた。
孝はそれを一瞬の動きでつかみ取った。
「綺麗な貝殻だね」
孝がそれを珠子に渡した。
「ありがとう。ここに小さな穴が開いてる」
蝶つがいに近いところに二ミリぐらいの穴があったのだ。
「これはツメタガイが開けた穴ね」
「ツメタガイ?」
「この辺の海にたくさんいるんじゃないかな。巻き貝でね、この白い貝みたいに殻に穴を開けて中身を食べちゃう」
「へえ。おばさんは物知りだね」
孝が感心する。
「これは多くの人が知ってると思うわ。長く生きてるといろんな情報が耳に入ってくるのよ。もちろん百パーセント信用はしないけどね」
「ミサオ、この穴に紐を通したらペンダントみたいになるね」
珠子が貝殻を胸のあたりにあてがって見せた。そして、無くさないようにショートパンツのポケットにしまった。
「そうね、革紐を通したらお洒落ね。そろそろ戻りましょう」
三人は手を繋いでホテルへ戻っていった。
珠子が孝の耳元に
「貝殻拾ってくれてありがとう」
囁いた。
耳にかかった息がくすぐったかったのか、夏の高い気温のせいなのか、それとも珠子が顔を寄せてきたのが恥ずかしかったのか、孝の顔がぽっと紅くなった。