ノッシーは見つかったけど…
柏と柊が仕事から帰ってきた。
柏が操の部屋に顔を出し、孝を呼んだ。
「ちょっと私もあんたのところへ行っていい?」
操が孝にくっ付いて息子たちの部屋に入っていった。
「タカシ君ね体が土と汗で汚れてるんだけど、昼間に熱中症になってね、一人で入浴するの心配だから、どっちか一緒にお風呂入ってあげて」
操が柏と柊の顔を交互に見た。
「熱中症って、どうしたんだ」
柏が操と孝に聞いた。孝は下を向いたまま黙っている。
「姫とタカシ君、庭でノッシーの散歩をさせてたんだけど…」
操が話し始めると、
「おれがちょっと目を離している間にいなくなっちゃったんだ」
孝が小さな声で言った。
「それって、私が麦茶を二人に飲みなさいって勧めている時だったの。彼はちっとも悪くないのに責任を感じちゃったのね。それで暑い中探し回って」
操は孝の両肩に手を添えた。
孝は無言で首を横に振る。
「ヒイラギ、タカシと一緒に風呂入ってくれるか?」
柏の横で話を聞いていた柊が頷いた。
「タカシいこう」
柊は孝の肩を抱きながら浴室へ向かった。
「とにかく奥へ」
柏は詳しい事情を尋ねた。
操は、昼間、子どもたちが庭にノッシーを放して散歩をさせている途中で見失ってしまい、必死に探していた孝が熱中症になってしまったのだと言った。
「こんな暑い時にノッシーの散歩を頼んだ俺が悪かった。配慮が足りなかった。母さんにも迷惑かけちゃったな。」
柏は素直に反省した。
「とにかく大事にならなくてよかったのだけど、タカシ君は自分でノッシーを見つけられなかったのがショックだったのかも知れないわ。元気がないのは体調のせいだけではないかも」
操は孝のメンタルを心配した。
「タカシと話をしてみる。まず俺はあいつに謝らなきゃならないんだし」
「そうだ、デリバリーのピザが残ってるんだけど食べる?」
「ああ、もらう。俺取ってくるから、それまで母さんここにいてくれるかな。ちょっとタマコと二人きりで話をしたいんだ」
柏はそう言って操の部屋へ行った。
「タマコ」
「あ、カシワ君いらっしゃい。ミサオは?」
「俺たちのところにいるよ。ピザがあるっていうからもらいに来た。それと、タマコに話があるんだ」
柏は奥のソファーに腰を下ろし、珠子も隣に並んで座った。
「今日は大変だったな。変なことを頼んじゃってすまなかった」
頭を下げた柏に珠子は困った顔をした。
「カシワ君、謝らないで」
「夏の炎天下に散歩なんてダメだよな」
「うん。ノッシーも暑かったみたいで地面に潜ろうとしたんだね。でもね、ノッシーは頭がいいんだよ」
珠子は笑顔を柏に向けた。
「ん?」
柏が珠子の顔を見返すと、彼女は話を続けた。
「ノッシーは庭を歩き回って…ひょっとしたらすぐわかったのかなぁ。土が掘りやすくてお日さまも当たらないところを見つけたの。それが沢野さんの花壇」
「そうなんだ」
「そう、沢野のおばあちゃんはお花のために土をふかふかにしてるの。だからノッシーはすぐ潜ることができたの。それに」
「それに?」
「ちゃんと甲羅の上半分を土から出してたの。おかげで私すぐ見つけられた。沢野さんは石だと思ったみたいだけど」
「そうか。でもさ、それって…ノッシーが沢野さんの花壇にいたのがわかったのは、やっぱりタマコが感じ取ったからだよね」
柏が珠子の目を見た。珠子は遠い目をして言った。
「うん。確かに私、ノッシーの気配を感じ取ろうとしたよ。でもしっかり感じられなかった。なんとなく沢野さんの花壇が気になって行ってみたら、石があるって教えてくれたの。草取りしてた沢野さんが」
「そうか。ありがとうなタマコ。それと、少しタカシの事で話を聞きたいんだけどさ……」
「カシワどこにいるの?」
風呂からあがった孝が部屋を見回す。
「さっき私たちが食べてたピザの残りを取りに行ってる。タカシ君水分補給して」
操が冷蔵庫から麦茶のペットボトルを出して渡した。いつもビールしか入っていない息子たちの冷蔵庫に孝のための飲み物が用意されているのを見て操はなんか嬉しく思った。
「母さん、俺も水分補給」
柊が甘えた声を出してきたので、バーカと言いながら操はビールを渡した。
「母さん、あったやつ全部持ってきちゃったよ」
と言いながら柏がピザの箱を持って帰ってきた。
「随分ゆっくりしてたのね。じゃあ私は帰るわね。タカシ君ゆっくり休んでね。明日から朝ごはんも私のところで食べてね。おやすみ」
「おばさん、おやすみなさい」
孝が軽くお辞儀をした。息子たちは手を振る仕草を見せた。
柏と柊は温め直したピザをつまみにビールを飲んでいた。
歯磨きを済ませた孝に
「寝るか」
柏が聞くと頷いたのでビール片手に自分の部屋へ連れて行った。それを見ていた柊が、柏はすっかり孝の父親っぽくなってると笑顔を向けた。
柏のベッドに横になった孝に
「タカシ、暑い時にノッシーの散歩を頼んで悪かったな。それと、少し話をしてもいいか」
柏が聞いた。
「うん。おれも聞いて欲しいことがある」
と孝が言った。
柏はデスク用の倚子をベッドの傍に転がして座った。
「じゃあタカシの話を聞こうか」
「あのさ」
孝が話し始める。
自分は珠子より六歳も年上なのに、いつも彼女に助けられてばかりいる。本当は自分が守ったり助けてあげたいのに。初めて会った時も自分の辛い状況を心配して救ってくれた。この間のアサリ採りの浜辺でも自分のために力を使いすぎて倒れてしまった。今日だって自分が熱中症で動けなくって珠子はひとりでノッシーを見つけてくれた。
「おれは、あいつに迷惑ばかりかけている」
孝はタオルケットを頭までかぶり泣き声でぼそっと言った。
柏はビールをぐびっと喉に流し込むと、
「タカシ、俺の話を聞いてくれるか」
うん、と孝の返事を聞いてタオルケットを肩口までめくった。
「さっきタマコと話したんだけど、あいつさタカシが大切なんだって」
柏は孝を見ながら話を続ける。
「あいつ、おまえと初めて会った時に思ったんだって。自分にとって大事な人だってね。あいつの両親や俺たちの母さんや俺たちと同じくらい大好きなんだって」
孝はのそのそと起きあがった。
「タマコがそんなこと言ったのか?」
「ああ。それにタマコはただ自分にできることをできる範囲でしてるだけだって言っていた。それからこの間、二人で花屋に行ったんだって?」
「うん」
「その時、タカシがずっと手を繋いで車道側を歩いてくれて、自分は守られているんだって感じたし凄く嬉しかったって言ってたぞ」
孝の顔に少し赤みがさした。
「タマコ、そんなこと言ったのか」
「ああ。それと」
「それと?」
「これから話すことは誰にも言っちゃだめだぞ」
柏が声を潜める。
「タマコがなコスプレじゃないけどワンコになりたかったらしくて」
「ワンコ?」
「ああ、プリンって名前の」
「商店街にあるカフェの看板犬だ」
「そのワンコのようになりたくて風呂場で…」
「風呂場で?」
「泡がでるボディーソープを目と鼻の穴以外の全身に塗りたくって、ボトル一本空にして」
「ワンコっぽくなれたの?」
「全然なれなかったらしい」
「タマコって結構おバカだな」
孝は思わず笑った。
「だな。あいつやっぱりお子様だろう」
「うん」
「あ、今のは絶対ナイショだぞ。俺とタカシの秘密な」
「わかった」
孝は珠子がたまらなく可愛いと思い、胸のあたりがほわっと温かくなった。