ノッシーを探せ(1)
珠子は珍しく早い時間に目覚めた。
それは隣の柏と柊の部屋に孝が泊まっているからだ。
孝がやらなくてはならない小学四年生の夏休みの宿題というのがどんなものなのか気になっている。
それと今の時点ではまだ言われたわけではないのだが、柏に頼まれるであろう孝と一緒にノッシーの散歩をするのも今日の楽しみの一つだ。
「ミサオ、おはよう」
珠子はキッチンの操を欠伸をしながら見る。
「おはよう。姫、どうしたの?いつもより随分早いけど」
操は具合が悪いんじゃないかと珠子の傍に行き、おでこに手をあてて体の様子をみた。
「今日、タカシと何をしようかと思って早く起きちゃった」
恥ずかしそうに珠子が言うと、
「じゃあ、タカシ君にずっとここにいてもらえば、毎日姫は早起きできるわね」
操が笑った。
「さて、隣は朝ごはんどうするのかな」
操は柏に電話をした。
──はい。おはよう母さん
柏の眠そうな声が聞こえた。操がスピーカーボタンを押すと珠子が元気な声をあげた。
──カシワ君おはよう。タカシ起きてる?
──タマコか。おはよう。あいつはまだ寝てる。母さん何か用?
──あんたたち朝ごはんどうするのかなあって思ったから連絡した
──ああ、俺たちはいつも朝食べないからな。タカシは…月美が茜たちのところにもう間もなく来ると思うんだ。そこで朝メシ作るからそっちで食べてもらうよ
──それじゃ月美さんが大変じゃない。朝ごはんから夜ごはんまでこっちで預かるわよ
──うん。今夜から頼みます。それからタマコ
──なあに
──タカシの宿題が終わったらノッシーの散歩を頼んでいいか
やっぱり。珠子は思った通りノッシーと散歩できると心の中でバンザイした。
──いいよ
──タカシに言ってあるけど、その後に温浴させてくれ
──うん。わかった
操は電話を切ると二つのお椀に味噌汁をよそった。
朝九時になるとタカシが国語と計算のドリルを持ってやって来た。
「おばさんおはようございます」
「タカシ君いらっしゃい。あがって」
孝が奥にいくとソファーの前のテーブルにドリルと筆記用具を広げた。
「あれ、タマコは?」
周りをキョロキョロしながら孝は操に聞いた。
「あの子、タカシ君の宿題を手伝うって、張り切って今朝凄く早く起きたの。でもね、朝ごはんを食べたら眠くなったみたいで、結局今ベッドで爆睡よ」
操は、孝が来るまで何とか起きていようと必死に瞼を指で開いていた珠子の様子を思い出して、くすくす笑った。
孝は少しがっかりした顔でドリルを始めた。
そろそろ終わりにしようとドリルを閉じて鉛筆をしまった時、珠子が目を擦りながら起きてきた。
「タカシ、宿題終わっちゃったの?」
「うん。今日は終わり。おまえ、いつまで寝てんの」
孝に言われて珠子は呟いた。
「今朝せっかく早く起きたのになぁ」
「ちょっと早いけどお昼にする?」
操が声をかけた。
「はい」
孝が返事をしたあと、珠子に向かって言った。
「昼ごはんが終わったらノッシーに散歩させるぞ」
「お昼の後は少しお昼寝してちょうだい。散歩は少し陽が傾いてからにして」
操が口を挟んだ。
「うん。わかった」
「私は起きたばっかりだけど」
「姫は眠らなくてもいいから横になりなさい」
「はーい」
ミックスサンドとキウイ入りのヨーグルトドリンクの昼食を済ますと、二時間ほど昼寝をした。
目を覚ました孝と珠子は預かった鍵を開けて柏と柊の部屋へ入った。
孝がケージからノッシーを出して珠子と芝生に覆われた庭に出た。ノッシーをそっと地面に置く。透明なアクリルの壁がない芝生の庭で南風を感じたのか、リクガメは顔を上げると匂いをかいでいるようだった。
「タカシ、外は暑いね」
珠子が顎の下の汗を拭った。孝はノッシーを木陰に移動させた。操が保冷ケースに入ったペットボトルの麦茶と帽子を持ってきた。
「ちゃんと水分補給してね。ノッシーも適当でケージに戻した方がいいわよ」
「うん、わかった。タカシ麦茶飲もう」
操は暑い空気に耐えられなくてすぐ部屋に戻った。珠子と孝はゴクゴクと麦茶を飲んだ。そのほんの少しの間にリクガメは素早い動きで前進した。
「冷たくて美味しいね」
珠子が笑顔で孝を見た。一瞬その顔に見とれた孝は慌てて後を向いて呼吸を整える。気持ちを落ち着かせて前に向き直った。
「あれ、ノッシーがいない!」
さっきまでじっとしていた辺りに目を配る。
一面緑の芝生の上を動く黄土色の甲羅はすぐに目立って見つけられそうなのに、それらしい姿が見当たらない。孝は焦った。
「タマコどうしよう。ノッシーがいなくなっちゃったよ」
「とにかく探さなくちゃ」
二人は二手に分かれて芝生の周りに植わっている木の根元や陰になっているところを目を凝らして探した。
一時間以上炎天下にいる珠子と孝を心配して、操が出てきた。
「そろそろ部屋に戻ろう」
そう言う操に、汗だくの二人が泣き声をあげた。
「ノッシーがいなくなっちゃった!」