珠子とブルーベリー
「今年は梅雨入りが遅れて助かったよ」
津田健一が笑顔を珠子に向けた。
津田はタウン情報のフリーペーパーを企画・営業・撮影と一人で動いている編集者だ。
今日は年四回表紙のモデルを務める珠子の最後の撮影日だ。今までは表紙用のみの撮影だったが、今回は珠子の特集記事も掲載するということで、いつもよりたくさん写真を撮るらしい。
からりとした青空の下、珠子はヘアメイクの川村宏子が用意したサマードレスを着て、ミニひまわりを三本頑張って抱えた。優しい風がいい具合に珠子の柔らかな髪をなびかせている。
その姿を津田の後で見守る操が、姫可愛すぎる!と声をあげそうになった。
「はーいオッケーです。それでは衣装を変えて次にいきましょう」
この後、六カ所ほど撮影場所を回った。
もちろんこのフリーペーパーのスポンサーが提供したスポットだ。早朝から夕刻まで珠子にとっては結構な長丁場の撮影だった。
最後のカットを撮り終えて、津田が珠子に握手をした。
「珠子ちゃん、お疲れさまでした。神波さんありがとうございました」
「珠子ちゃん、疲れたでしょう。今日は何ポーズも撮影してよく頑張ったわね。どのシーンもとっても可愛かったわ」
川村宏子が労いの言葉をかけた。
「さ、車の中で着替えてメイクを落としましょう」
珠子と宏子と操は津田のワンボックスカーに乗り込んだ。
しばらくすると津田が車に機材を積んで
「そろそろ帰りましょうか。お送りします」
ハンドルを握った。
道中、津田が操にダメもとでお願いをした。
「神波さん、これは私の提案と言いますか希望なのですが、もし可能でしたらもう一年珠子ちゃんにお付き合いいただけないかと…」
操は首を縦には振らなかった。
「津田さん、そう仰っていただくのは嬉しいのですが、ここまでとさせてください」
草臥れてシートベルトに押さえ込まれた姿勢で眠っている珠子を見つめて表紙モデルの継続を辞退した。
「この一年、なかなかできない経験をさせていただきありがとうございました」
操は津田と宏子に礼を言った。
撮影から一週間ほど経った夕方、操のところに持ち手のあるビニール袋いっぱいのブルーベリーを抱えて、茜がやって来た。
「お母さん、これ川村さんから」
操がビニール袋を受け取る。
双子の姉妹の茜と藍は、川村宏子の家のハウスキーピングを時々しており、この日も仕事で訪れた際にこの袋を渡されたのだ。
「凄い量ね。宏子さんがくれたの?」
「この間撮影でブルーベリー畑に行ったんでしょう。その時は完熟した実が少なくて農家さんが渡せなかったんだって。で、やっと熟したからって川村さんが預かったそうよ。どうしてもタマコちゃんに食べて欲しいんだって」
「姫、ちょっと来て」
操が珠子を呼んだ。
「なあに。あ、茜ちゃんこんばんは」
「こんばんは。タマコちゃん、川村さんがブルーベリーをくれたよ。って言うかこの間ブルーベリー畑で写真撮ったんでしょう。農家さんがその時食べてもらえなかったからって」
「そうなの。あの時は木になってる実が赤紫色や青っぽい紫色できれいだったけど食べるのには早くて、まだ凄く酸っぱいって畑のおばさんが言ってたの」
珠子は操が持っている袋の中が気になって覗いた。
「わあ、黒い!」
「そうね。黒く見えるくらい濃い色になると甘酸っぱくて美味しいのよ」
「ひとつ食べていい?」
珠子は袋からつまんで口に入れた。
「美味しい!冷凍のと違うよ」
感激してもう一個食べた。
「茜、少し持ってかない」
操が聞くと、欲しいと茜は言った。
操が小さめなボウルに両手で二すくい入れると茜に渡した。
「ありがとう。そう言えば、津田さんからもう一年やって欲しいって頼まれたんだって?」
「そうなんだけどね、正直、撮影の後の姫はいつもぐったりしてたからお断りしたの。いい経験させてもらえたし、評判も良かったって言われてありがたかったけど」
「ちなみにギャラなんてもらったの?」
「ないわよ、ボランティア。たまに撮影時に着た服をもらったり、今みたいに美味しいものをいただいたりはしたけど」
「そうか、ボランティアなんだ」
「べつに、それは構わないんだけど、姫の体の負担になるのは…ちょっとね」
操は珠子を見ながら言った。
「今度のはタマコちゃんの特集もあるんでしょ。楽しみだね。そうだ、ブルーベリーのジャムとか作ったら声をかけてね。ヨーグルト持参で食べにくるから」
「わかったわ」
「じゃあ、これもらっていくね。おやすみ」
「おやすみ」
「茜ちゃん、おやすみなさい」
茜が部屋を出ていくと、
「姫、早速これいただこう。後で宏子さんにお礼の電話を入れないとね」
完熟のブルーベリーを二人で味わった。