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さよならリョウ君

五月最後の日、208号室の高田涼は操の部屋を訪れた。今まで暮らしていた部屋の鍵を返却するためだ。彼の保証人、そして父である高田利良(りら)も挨拶のため一緒に訪れていた。

ソファーを勧められ腰を下ろした二人の正面に、操と珠子も座った。


「神波さん、うちの涼がいろいろお世話になりましてありがとうございました」


利良が礼を言った。


「こちらこそ、リョウさんには危ないところを助けていただいたり、素敵な作品を見せていただきました。それに…」


操がテレビの置かれている側の壁を見ながら言った。


「あの作品、リョウさんがこの子にプレゼントしてくださったんですよ」


「ほう」


利良は立ち上がって、白木の額に納まった色鉛筆画に近寄りじっと見た。そして、操の隣にちょこんと座っている珠子を見つめた。視線を感じた珠子が利良を見上げた。

ソファーに戻り涼の隣に腰を下ろして言う。


「おまえに面と向かって言いたくないが、いい作品だ」


利良は微かに微笑んでいた。




操の隣、柏と柊の部屋では二人の小さな友人である山口孝が遊びに来ていた。


「カシワ、タマコを誘ってノッシーを庭で散歩させようよ」


孝が言うと、柏は首を横に振った。


「今は無理だ」


「何でだよ」


「今、タマコのところにお客が来ているんだよ」


柊も孝の提案を却下した。


「お客?」


「そう、あいつの大好きな人とその父親」


「なんだ、それ」


「気になるか、タカシ」


「別に」


柏と柊が笑い合う。


「だけどさ、世界的に有名な画家って言うかアーティストなんだろう高田利良さんって。その息子を、よくウチみたいな普通のアパートに住まわせたよな。デザイナーズマンションで生活させそうだよイメージとしては」


柊の言葉に柏が少し不満気に返す。


「普通のって言うなよ。ここって俺たちの作品だぜ。防音、断熱、免震、使い勝手のいいコンパクトな水回り、充実の収納、全室南向きのかなり広めなワンルームでベランダ付きだぜ。住環境良好。風呂トイレ別って凄いと思うよ」


「なんか、住宅のチラシとかに書いてあるうたい文句みたい」


孝は柏の言い方に正直な感想を言った。


「タカシ、このアパートは俺たちが造ったんだぜ」


「そうだったの?」


「そう、設計はカシワ、現場監督は俺だ。見かけはシンプルだけど、かなりイイ建物なんだぞ」


柊が得意気に言った。


「それじゃ、おれがもう少し大きくなったら住んでやるよ」


孝の言葉に柊が真面目な顔でお辞儀した。


「ご入居お待ちしてます。なぁんてな」


「おれ、今日は帰る」


孝は玄関へ向かった。


「なんだよ。ノッシーの散歩しないのか」


柏が追いかける。


「うん、出直すよ」




操の部屋では、利良が珠子に向かってさりげなく絵のモデルになってもらえないかと言った。そんな父親に涼が釘を刺す。


「父さん、ご迷惑だよ。タマコちゃん、神波さん気にしないで聞き流してください」


「リョウ君、時々は帰国するんでしょう。その節は、気が向いたらここに顔を見せてくださいね」


操がにこやかに話す。


「はい。タマコちゃん、会いに来てもいいかな」


涼が珠子を見る。珠子も涼を見つめて言った。


「リョウ君必ず会いに来てね」


「もちろんだよ。それじゃ父さん、そろそろ行こう。神波さん、僕はあと十日間は日本にいるので、退室の件で何かありましたら連絡ください」


「承知しました」


「それでは、お世話になりました。ありがとうございました」


「こちらこそ。どうぞお元気で」


高田親子が操の部屋を出た。操と珠子もその後に続き外で二人を見送る。

ちょうどその時、孝も柏と柊の部屋から出てきた。


「タマコ」


孝の声に珠子が振り向いた。


「タカシ」


珠子が孝を見た。孝の目線はその先の高田涼を見ていた。

こいつがあいつの好きな人か、と孝は思った。涼もじっと孝を見る。時が止まったように、皆動かなかった。やがて涼だけが歩き出した、孝に向かって。そして、孝の目の前で止まった。

涼の右手が孝の左肩にかかった。体を少し屈めて、孝の耳元で囁いた。


──孝君、これからは君が珠子ちゃんを守ってくれ。


それだけ伝えると涼は踵を返して利良のところまで戻り、操たちに軽くお辞儀をして去っていった。


孝は涼の姿が見えなくなってもその場から動かず立ちつくしていた。


「タカシ」


珠子が孝に近づいて来た。隣に立つと、


「リョウ君から何を言われたの?」


「別に何でもない」


珠子の問いに目を合わさず孝は言った。


「変なの」


珠子はほっぺたを膨らませた。


「タカシ君、ウチでジュースでも飲む?」


操が誘ったが、


「今日は帰ります」


孝は帰ってしまった。


「リョウ君、タカシに何を言ったのかな」


気になるのか、珠子がが呟いた。



自宅への帰り道、孝は涼に言われなくても自分はずっとそのつもりでいるんだと思った。でも、わざわざ自分に耳打ちした彼は、初対面なのにいい人なのだと感じた。

涼さん、タマコはおれが守るよ、と改めて孝は心に誓った。

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