操とちょっとお気楽な息子達
ハイツ一ツ谷は、操が両親から相続した土地に六年程前に建てたアパートだ。
不動産会社を介していないので、建物管理や入居者に関する事等全てを操と子どもの柏と柊と茜と藍の五人で運営している。
操の息子の柏と柊は中堅の建設会社に勤めていて、そこがこのアパートの建築に携わった。兄の柏は設計部門に在籍し、弟の柊は現場監督をしている。このアパートは柏の設計だ。
柏は物静かで人付き合いが苦手、柊は社交的で誰とでも気兼ねなく交流できる。二歳違いの性格の異なる二人だが、とても仲が良く子どもの頃からほとんど喧嘩をしたことがなかった。
ただ一度だけ揉めたのは、犬を飼うか猫を飼うかであった。しかもそれはまさに今、なのだ。
「絶対ワンコだろう。豆柴以外に考えられないね。あの千切れんばかりに振る尻尾、眉間から鼻先にかけて指で擦るとちょっと嫌がって皺が寄って人形焼きみたいなんだぜ」
柏が言うと、柊が
「猫の方が可愛いね。あのつれない態度、媚びない姿勢、かと思えば突然すりすりするツンデレにきゅんきゅんするだろ」
保護猫のサイトを見ながらニヤけた。その話を聞いていて、
「あんた達、馬鹿じゃないの」
口を出したのは二人の母親である操だ。
「このアパートは犬猫の飼育禁止よ。それから私の所では食事中にタブレット見るのも禁止」
ここは操の部屋。
今夜は、珠子がいない。彼女の父親で操の息子、柏と柊の兄である源が久しぶりに帰ってきたので親子三人水入らずで過ごしているのだ。そして操がビーフシチューを作りすぎたので隣の息子達を呼んでできたて熱々をハフハフ食べているところだった。
「家族経営なんだからルールを変えれば良いじゃん」
柊が言った。
「いい年して何言ってんの。入居者さんの中には飼いたいのを我慢している人がいるんだよ。あんた達がこのアパートを設計施工したんだから各部屋が広くないの分かっているよね、ワンルームなのよ。ベランダだって広くない。私たちのスペースだって2DKでしょ。室内犬だって猫だって狭い中に置いたら可哀想でしょう」
「そりゃそうだけど」
「だいたい何で今頃になってペットを飼いたいわけ」
「話すと長くなるんだけど」
「長くならないように話しなさいよ。頭使って」
今夜は可愛い珠子がいなくて機嫌が悪いのか、操の言い方がちょっときつい。
「うーんとね、どこから話せばいいんだろう。俺達の会社、って言うか社長がボランティアに力を入れていて、三丁目の住宅地の一角に子ども食堂があるじゃない。そこに余った材木で積み木やちょっとした玩具を作って届けているんだよ。そこでね顔馴染みになった坊主がいて、その子が動物を触れる距離で見たいって言うんだ。そいつ、ちょっと訳ありでさ出来れば希望を叶えてあげたいんだ。ふれあい動物園なんてこの辺に無いし、よその家のペットを触らせてって頼むのもな。ここで飼えば時々一緒に遊べるだろ」
柊がシチューを冷ましながら言った。
彼は猫舌だ。
「あんた達が優しいのは分かってる。でもワンコやニャンコは許可できないよ。インコとか金魚とかならまあ良いけど。別にモフモフにこだわらなくて良いんじゃない」
「ハムスターやフェレットはどうかな」
柊が食べやすい温度になったシチューを頬張りながら言った。
「まあ、その位なら良いんじゃない。よく調べてどのコにするか考えれば。決まったらまず私に調査報告ね。で、納得できたら飼って良し」
一週間後、柏と柊は操に飼いたいものについてプレゼンした。
何の生き物を、どこで購入し、どのように環境を整え、どう飼育するのか、動画と専門書を準備して大家さんにお伺いを立てた。
「うん。良いんじゃない」
操が納得したので早速二人は専門店に出掛けた。
その店内はとても暖かく、棚にはアクリルのケージが沢山並んでいた。そこではいろいろな子が想像以上に活発に動き回っていた。
「お、この子元気だな。ヒイラギ、どうかな」
柏が気になる子を見つけた。柊もその子を見ると
「良いじゃん。こいつ良く動くな。目がつぶらで綺麗だし可愛い顔してる」
彼らはそこの店長に相談しながら飼育に必要な物と、今日からウチの子になるその子を連れて帰った。
飼い方はネットと本で見た通りだが、それ以外にこの子がより元気に育つコツを店長が教えてくれた。
アパートに戻って早速ウチの子の住む環境を整えた。
「床材はこの位の量で良いかな。シェルターと水入れはここかな」
「ここにUVライトを設置するぞ。ホットスポットはこの辺りで、パネルヒーターはここら辺に」
準備が整い、ウチの子をそこに放した。始め、縮こまって動かなかったが、少しずつ歩き出した。
「おお、リクガメ!小さい!良く歩くね」
操がケージをじっと見つめて言った。
珠子は初めて見る生き物に操の後ろで隠れるようにしている。二人は柏と柊から準備ができたと言われて102号室を訪れたのだ。
「男の子?女の子?何食べさせるの?ライト二つ点けてるんだ」
所狭しと動き回る姿を目で追いながら操が興奮気味に質問する。
高さ六十センチメートル程の台の上にアクリルケージが乗っている。幅七十センチメートル、奥行き四十五センチメートルといったところだろうか。
中に椰子殻が敷き詰められ、その上を小さなリクガメがざくざく歩き回っている。
「母さん、手のひら出して」
柏に言われて操が手を出すと、リクガメをケージから出してそっと乗せた。甲羅の大きさは五センチメートル弱。
操の手のひらでカメは一瞬顔と手足を甲羅の中に引っ込めたが、すぐ全てを伸ばした。
黒いつぶらな瞳が操を見ている。
「やだ、可愛い!姫、見て」
珠子を呼んだが、離れたところから凝視している。操が人差し指で甲羅を撫でると首が少し伸びた。
「可愛いだろ。こいつホルスフィールドリクガメって言うんだ」
「ホルス…」
「ホルスフィールド。ロシアリクガメやヨツユビリクガメとも呼ばれてる。前に母さんにこの子についてプレゼンしたけど、結局あまり覚えてないんだね。草食だから小松菜やチンゲンサイやおやつにりんごをあげるんだ。ライトは紫外線を当てる為のと体を暖める為の二種類だよ」
「へえ、ロシアなら私も覚えられる。で、性別は?」
柊が操の手からリクガメをひょいと掴んでケージに戻しながら言った。
「まだ分からないんだ。これもプレゼンの時説明したんだけど、もう少し大きくなると尻尾やその付け根の甲羅の形状で雌雄がはっきりするんだ。それから、この種のカメはお腹にギョウ虫がいるかもしれないんだって」
「ギョ、ギョウ虫!」
「でもこの子は大丈夫。この子がいた店で処置済みなんだ。だけど母さん、カメを触ったら必ず手を洗って」
子ガメが柏と柊の家族になってから一週間が過ぎた土曜日、少年がやって来た。
「タカシ、いらっしゃい。上がって」
柏が彼を招き入れた。山口孝、近くの小学校に通う10歳の少年だ。
「わあ、カメだ。小さい」
孝はケージに向かってダッシュすると中で歩き回るリクガメに釘付けになった。
「タカシ、あっちに洗面所があるから手を洗っておいで」
柊に言われて手を洗ってくると
「両方の手のひら出して」
柊が孝の小さな手に小さなリクガメをそっとのせた。
「小さい!首細い!目がかわいい!」
「そっと床に放してみな」
床に置かれたリクガメは凄い勢いで歩き始めた。
「早っ。カメってのろまじゃないんだね」
孝が興奮気味に声を上げた。
「変な所に潜り込まないように見ていてくれ」
「うん。分かった。あっ、こいつオシッコした。あれ、なんか白いものもしたよ」
「あちゃ、こいつ開放感で緩んだか」
柏はリクガメをケージに戻して、床を拭いた。
「白いのは尿酸って言うんだ。タカシ、この子に名前付けてよ」
「良いの?おれがつけて良いの」
「うん。タカシに名付け親になって欲しいんだ。雄雌どっちでもいい名前を頼むよ。その前に手を洗っておいで。カメを触る前と後は手洗い必須だ」
孝が手を洗って戻ると
「ジュース飲むか、ぶどうのやつ」
柊からグラスを渡された。
「カシワ、ヒイラギ、カメの名前考えたよ。小さいのにのしのし歩くから『ノッシー』だ」
「良いじゃん。おまえ、今日からノッシーだよ」
柊が小さな家族に向かって言った。
山口孝はこのアパートから歩いて十五分程の借家に住んでいる。
子ども食堂の運営者の話しでは、母ひとり子ひとりで、母親は精神が不安定でほぼ育児放棄の状態と聞いている。孝は明るく元気に見えるが、かなり痩せていて時々暗く寂しそうな表情や空腹に耐えている姿を柏達は目撃している。彼以外にも問題を抱える子供はいるだろう。けれど柏と柊は孝の事が気になって仕方ないのだ。
昼近くなって操が顔を出した。
「ねえ、こっちでお好み焼き食べない?」
「タカシ隣行こうぜ」
柊が言った。
「となりって」
「俺たちの母さんが住んでるんだ。腹減った、行こう」
三人は101号室に移動した。
「おじゃまします」
孝は緊張気味に部屋に入った。
「タカシ君いらっしゃい。ウチのお気楽な息子達と仲良くしてくれてありがとうね。
あっ、この子は私の姫様のタマコ」
操が皿を出しながら言った。その傍にいる小さな女の子が孝に向かってお辞儀をした。
「こんにちは。初めまして、神波珠子です。よろしくね」
「どうも。よろしく」
孝も慌てて頭を下げた。
お好み焼きをお腹いっぱい食べた後、珠子と孝はアイスクリームの盛られた器を手にしていた。
孝がアイスクリームを食べている間、珠子はじーっとその様子を見つめていた。強い視線を感じた孝は
「タマコちゃん、なあに?おれあんまり見られると照れるんだけど」
もじもじした。
「ごめんなさい。何でも無いです」
珠子は溶けかかったアイスクリームをゆっくり食べ始めた。
食後、孝はもう一度ノッシーを見てから帰った。
その後、珠子は一人で102号室を訪れた。
「おや、タマコちゃんどうしたの?とにかく上がって」
柏が言うと
「ここで大丈夫。あのね、タカシ君の事なんだけど?」
「えっ、タカシが何?」
「暗いの。あの子の周り」
「タマコちゃん、オーラが見えるの!」
「違う。タカシ君の雰囲気を見て思っただけ」
「そっか、分かった。ちょくちょくノッシーを見に来るように言ってあるんだ。その時あいつの様子を観察するね。タマコちゃんありがとうね」
「それじゃ、お邪魔しました」
珠子が帰ると柏は不思議な気持ちで立ちつくした。