珠子とカフェとワンコ(2)
夕方、仕事が終わって戻ってきた藍が操のところにやってきた。
「お母さん、入るよ。何か私に用があるんだって?」
「藍、お疲れ。あのさ、四丁目の江口さんの話なんだけどね、そこに何とかテリアっているんでしょ」
「ベドリントンテリアね。グレイちゃんって言うのよ」
「グレイちゃんは子ども産んでるよね」
「一年ぐらい前だったかな三匹生まれて、それぞれ貰われていったよ」
「今日、多分そのうちの一匹に会ったの」
「あら、どこで」
「商店街にカフェができて、そこの看板犬なの。江口さんの親戚で、江口カナさんが店をやっていて」
「カナさん……ああ、カナさんって聞いたことある。優しい真面目な人だからグレイの子どもを譲ったって江口さんが仰ってた」
「そのお店でね、コーヒーとプリンアラモードを頼んだらとても美味しかったの」
「いいじゃない」
「ただその店が地味って言うか、商売っ気がないって言うか。せっかく美味しいんだからもっとお客が来るようにアピールするべきだと思うのよ」
「うん」
「で、フルーツサンドをテイクアウトしたから茜と一緒に食べてみて。藍たちSNSやってるんでしょ」
「まあ一応」
「もし美味しかったら載せてくれない」
操はフルーツサンドを二つ藍に渡した。
「あら、美味しそう。このパンはデニッシュを使っているのね。早速いただく」
「それからね、お店が何て言うか……入り口の写真撮ったの見てくれる」
「え、何これ。営業してるの?」
「一度コーヒー飲みに言ってくれない。おごるから」
「そうね、この店構えを見ちゃうとフルーツサンドのアップもちょっと保留ね。近いうちに茜と行ってくる。ケーキとかもたのんでいい?」
「いいわ。領収書をもらってきて」
「わかった。じゃあこれいただいてくね。タマコちゃんまたね」
藍が玄関へ向かった。珠子が見送りにいく。
「藍ちゃん、プリンちゃんがかわいいよ」
「プリンちゃん?ああ、カナさんの店の看板犬ね。会うの楽しみだわ。じゃあね」
「ばいばい」
珠子がキッチンに戻ると
「ミサオ、私もフルーツサンド食べたいな」
「晩ごはんの後に食べよう。先にお風呂入ろうか」
操のダメだしでちょっと残念に思った珠子は、一人で入れる、と言って浴室へ向かった。
浴室で、珠子はボディーソープとシャンプーをぶくぶく泡立てて目と鼻と口を残して、全身に塗りたっくった。髪の毛をツインテールのように左右の上から垂らし、鏡にその姿を映した。
「うーん、なんか違うな」
湯が流れる音がしないので心配になって操が浴室の戸を開けた。
「姫、大丈夫?って何やってるの」
見られて恥ずかしくなった珠子は正直に言った。
「プリンちゃんのまね」
一瞬絶句した操は、お腹を押さえて大笑いした。
「姫もそんなことするのね、最高!でもプリンちゃんには遠いかな」
「やっぱり似てないかぁ」
珠子が沈んだ声を出す。
「写真撮っていい?」
「出来が悪いからやだ」
「残念。さ、泡を流そう。手伝うわ。一気にいくから姫は目をつぶっていて」
操が珠子の頭の上からシャワーをかけていった。浴室の床が泡だらけになって排水口からなかなか流れていかない。
「泡がなくならないね。ごめんなさい」
「ボディーソープやシャンプーは適量を使いましょうってことね」
時間をかけて、やっと珠子も床も泡がなくなった。
「さ、湯船にちゃんと浸かってからあがりなさい」
「はい」
風呂からあがった珠子は大人しく晩ごはんを食べて、食器の片づけを手伝った。
「姫、フルーツサンド食べられる?お腹がいっぱいなら明日の朝食べてもいいわよ」
操が珠子のお腹を見ながら聞いた。
「食べる!今食べる」
珠子は大きな声で返事をした。
「紅茶飲む?」
「うん、飲む」
二人はソファーに座ってフルーツサンドをぱくっと頬張った。
「藍が言っていたけど、パンがデニッシュ生地だからバターの風味がする。クリームはヨーグルトが入ってるのかな」
操が言うと、珠子も頷いた。
「さっぱりしているね。キウイがおいしい」
「うん美味しいね。姫、ほっぺにクリームがついてるよ」
「おいしくてがっついちゃった」
一週間後、珠子と操は商店街に向かっていた。
「プリンちゃんに会えるのうれしいな」
珠子はスキップした。
「カナさんのお店、どうなったのかしらね。藍は少し変わったと思うよって言っていたけど」
商店街に着くと、吉田精肉店から声がした。
「タマコちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
珠子も挨拶をした。いつもは相手の顔を見てお辞儀をするのだが、今日の彼女はカフェの看板犬に会うことで頭がいっぱいなので、カナの店の方を向き気味のお辞儀になった。
「ちょっと急ぐので、失礼します。ミサオ、行きましょ」
珠子は操の手を引っ張った。
「マサコちゃん、後で寄るね」
操は珠子に手を引かれて先に進んだ。
カナの店の前に着くと、
「この間と殆ど変わってないみたいだけど何かが違うわね」
操が呟いた。扉を開けると、
「今日はお客さんがいっぱいだね。席が空いてないよ」
珠子は少し残念そうな声を出した。
そこへ軽い足取りで跳ねるように灰色の巻き毛のワンコが珠子を目指して来た。
「プリンちゃん」
珠子はしゃがんでプリンを抱きとめた。
操は奥から出てきた江口カナに挨拶をした。
「カナさん、お店のどこが変わったのかわからないんだけど、何だか垢抜けた感じがするわ。何が変わったのかしら」
操は疑問を口にした。
「もしよろしければ、狭いんですけど奥に小さなスペースがあるのでいらしてください」
「お言葉に甘えて、姫いらっしゃい」
操と珠子は案内されて、カナの休憩スペースに座らせてもらった。
「これは私からのサービスです」
カナがブレンドコーヒーとデコポンのパフェを小さなテーブルに置いた。
「そんな気を使わないで」
操が恐縮した。
「いいえ、藍さん茜さんに協力していただいて、お客様もたくさんいらしてくれるようになりました」
「確かに、お客さんが結構入ってるわね」
「いい陽気になってきたので、テイクアウトのお客様も多いんです」
「商売繁盛で良かったわ。ただね、お店のどこの何が変わったのかわからないんだけど、この間来たときと何かが違うのよね。ねえ、カナさん何が変わったの?」
操はとても気になって仕方ない。
「あの、藍さん茜さんに口止めされてるんです」
「あの子たち、秘密にしなくたっていいじゃない。後で絶対聞き出しちゃうから。ねえ、姫、そう思うでしょう」
操が賛同を得ようと珠子を見ると、
「ごめんね、ミサオ。今の話全然聞いてなかった」
膝の上にプリンを乗せて向き合ってずっとハグをしていた。
今の珠子は、操との会話よりプリンとのスキンシップが大事なのであった。