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初めての潮干狩り(1)

「カシワ君、お鼻大丈夫?」


珠子が柏の顔の真ん中辺りを見ながら聞いた。


「大分落ち着いた」


かなり前から服用していた処方薬がやっと効いてきたのか、今は花粉アレルギーの症状も落ち着きつつある柏は、車にクーラーボックスを乗せて扉を閉めた。


「天気が良くてよかったな」


「うん。昨日と違って風もあまり無いしね」


「母さんは何やってるんだ。そろそろ出発したいんだけど」


「見てこようか」


「いいや。タマコはトイレ大丈夫か」


「うん」


「じゃあ、ジュニアシートに座るか。源(にい)がタマコ用に買ってくれた」


「パパが」


「そう。自分の代わりにいろんな所に車で連れて行ってくれってサ。俺独り者なのに、こいつ、すっかりファミリーカーだよ」


柏は車のルーフを軽く叩いてから珠子を後部座席のシートに納めた。

それから五分ほどして、やっと操が孝を従えてアパートから出てきた。


「お待たせ。カシワよろしくね。あ、タカシ君ありがとう」


孝から大きめなバッグを受け取って


「カシワ、後の扉を開けて」


操がクーラーボックスの上にそれを置いた。柏は、その隣に水を満たしたポリタンクを納め扉を閉めて孝を促す。


「タカシ、タマコの反対側に乗って。おまえ用のシートをセットしてあるから」


「おれのシート?」


「そう。今日は遠出するから、ちゃんとおまえ用のをセットした。ブースタータイプだから体を少しは自由にできる」


「カシワありがとう」


孝はシートに座るとベルトをはめた。


「忘れ物はないね。さ、母さんも乗って。出発するよ」


柏は車をスタートさせた。


「道、混まないといいわね」


操が言うと、柏の返しは速かった。


「間違いなく混むよ。週末だからね。後ろの二人、トイレとか喉が渇いたとか早めに言ってな」


「うん。タカシ大丈夫?」


珠子が横を向く。孝は珠子の目線がくすぐったいのか少し不機嫌そうに答えた。


「大丈夫だよ。タマコこそ気持ち悪くなったら早く言えよ」




柏の車は思ったより渋滞に巻き込まれることなくスムーズに走行した。


「カシワ君少し窓を開けていい?」


珠子が言うと、七センチほどウィンドウを下げた柏がルームミラー越しに聞く。


「車酔いか?」


「違う。そろそろ海の匂いがするかなと思って」


珠子は顎をくいっと上げて窓の隙間から入り込む風の匂いを嗅ぐ。

これが海の匂いか、と珠子は思った。柔らかくて少し生臭くて懐かしくて暖かい不思議な匂いだ。


「私たちが住んでるところのとは全然違う匂いだね」


珠子は目をきらきらさせて言った。


「確かに、匂いがしてきたね。もう海岸は近いのかしら」


操もウィンドウを下げて深呼吸した。


「ああ、そろそろだな」


柏はカーナビを確認しながら駐車場を見つけて入っていった。


車を止めると、柏はフロントガラス越しに建物を見た。


「あれが管理事務所かな。結構人がいるな。あそこで入場料を払うのかもな。母さん一緒に行こう」


「姫、タカシ君、少し待っててね」


操は後部座席の二人に声をかけて車を降りた。


「タマコ、ヒオシガリやったことあるのか?」


孝が言った。


「何それ?」


「ヒオシガリだよ」


「それ、違うよ。シオヒガリだよ」


珠子が訂正した。


「別にどっちだっていいじゃん。おれはヒオシガリをするんだ」


孝は意地になってそう言った。


「そう。じゃあヒオシガリすれば」


「ああ、するよ」


「せっかく、正しい言葉を教えてあげたのに」


「タマコ、おまえ生意気なんだよ」


孝のもの言いに珠子はほっぺたを膨らませて黙り込んだ。


「お待たせ。もう砂浜に出られるわよ」


浜への入場手続きを終えた操たちが車に戻ってきた。


「あら、車内の空気が重苦しい。あんたたち喧嘩でもした?」


操が聞くと、


「別に」


珠子が不機嫌そうに答えた。


「ま、とにかく浜に行こうぜ」


柏が孝に手を貸して車から降ろした。次に珠子を降ろし、ふたりに蛍光色の缶バッジをつけた。


「このバッジをつけてると、ここの管理人が潮干狩りを許可した証明になるんだ。あとは長靴に履き替えて」


柏の話に、珠子が得意気に孝に言った。


「ほら、シオヒガリでしょ」


「おまえなんか嫌いだ」


「別にいいもん」


子供たちの口喧嘩に苦笑いしながら、操がはっぱをかけた。


「もめてないで、準備をしてアサリ採りに行くよ」


四人は小さなバケツと網と熊手を持って先の方に広がっている砂浜へ向かった。


「タカシ君、姫、勝手に私たちから離れないでね」


「タカシは俺と一緒に採ろう」


柏は孝と連れ立って歩いた。


「姫、私たちはあっちの方へ行ってみよう」


操は珠子と手を繋いで濡れた砂の上を進んで行った。


「人がいっぱいだね」


珠子が周りを見渡した。


「そう。だから迷子にならないようにしないとね。姫、この辺を熊手でがりがりやろう」


操がしゃがんだので、珠子もしゃがんで砂を熊手で引っ掻いてみた。何度か掘るように掻くと砂に海水が滲み出てきてその中にアサリをがいた。


「アサリはすぐ砂に潜ろうとするから急いでこのバケツに入れて」


操が興奮気味に言う。珠子は、姿を現したアサリを一生懸命掴みバケツに入れた。操も負けじと砂を掻いてアサリを採った。ポイントを見つけるのが上手だったのか三十分ほどで、おもちゃのバケツ二つに山盛りのアサリが採れた。


「私たち、凄いわね」


操がうれしそうにバケツを見る。珠子は立ち上がって柏たちの姿を探した。彼らは珠子たちから二十メートルほど先でアサリを探していた。


「カシワたちのところへ行ってみようか」


操と珠子は波打ち際に近いところへ向かおうとした。

その時、珠子が恐ろしいものでも見たような顔をした。


「タカシ、触っちゃだめ」


叫んだが、珠子の声は人のざわめきと孝までの遠さで届かない。操も珠子の焦る理由を理解した。孝が危険な何かに近づいて触ろうとしているのだ。柏はしゃがんで下を向いているので、孝の行動に気がついていない。このままでは手遅れになる。珠子は集中して孝に向かって『念』を送った。小さな全身が熱を帯び、頭から湯気が出そうなくらい息を止めて力を込めて『念』を孝に送った。


──それに触っちゃだめ


──タカシ触らないで


孝が歩みを止めた。きょろきょろと周辺を見回す。遠くに珠子が立ってこちらを見ているのがわかった。今、自分の頭に響くように聞こえたのは珠子の声だ。孝も珠子の方を向いた。

その時、珠子がゆっくりと倒れていくのが見えた。

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